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芹沢文学読書会 6月便り 案内通信 No. 174 2025年6月25日 (水) (令和7年)
芹沢文学読書会
6月便り
案内通信
No. 174
2025年6月25日 (水)
(令和7年)
暑さ夏••••
芹沢文学
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松林庵主人
6月になり、真夏の日々が続きました。沼津市など線状降水帯で記録的大雨が降った地域もありましたが、中々梅雨になりませんでした。やっと北部九州も梅雨となりましたが、高温が続いています。今年も猛暑の夏になりそうですが、地球温暖化のためと思われます。
世界では、ロシアのウクライナ侵略が続けられ、イスラエルによるガザ地区攻撃が止み
ません。今度はイランを攻撃し、トランプも核施設を爆撃しました。戦争は止めろ! 芹沢
文学は戦争反対です。この地球には戦争の無い世界平和を実現したいものです......。
今年も芹沢文学読書会を継続して行きます。今回の読書会も、『思い出すこと』の批評
の最後の二章を読み語ります。梅雨の季節ですが、お元気に読書会にお出掛け下さい。
第174回芹沢文学読書会
1 日時; 7 月 13 日 (日) 午前10時~12時〔*平常は第2日曜日午前です]
A会場; 大分県立図書館研修室 No. 5 [平常は研修室No.5 です〕
★☆
B内容: [I]芹沢文学に関する話題や情報 10:00~10:10 am 自由に話す。
[U]芹沢文学読書会 10:10~12:00 am 参加者で輪読
○テキスト@「十五役所時代のこと」A「十六著作集の読者へ」
*@は、農商務省に就職し、交流した官吏(大臣)の石K農政課長、小平事務官、坂田君、武智君、小野さん。
特産局の勝田さん、植村幸五郎人事課長のことなどが回想されています。官吏を辞めてパリに留学。
Aは、著作集の読者に対して、収録しなかった作品のことが書かれています。『明日を逐うて』『ここに望あり』『命ある日』等最後に大河小説『人間の運命』は14巻でなく、全16巻とすると明言しています。
初出『芹澤光治良作品集』(新潮社発行)の全16巻の月報に連載されました。昭和50年4月~ 同50年5月。
初刊本/『こころの広場第三章思い出すこと』昭和 52 (1977)年4月15日新潮社発行。全245頁、 800円。
再録/ 『芹沢光治良文学館12』平成9(1997)年8月10日新潮社発行に再録。 294~298頁。
=次回は、9月14日 (第2日曜日) 午前の予定です。
◎同封資料紹介 (墓碑) 「芹沢光治良」 ( 「宮沢賢治」) 岩井寛著平成9(1997)年6月10日東
京堂出版発行『作家の臨終墓碑事典』 178 頁。 *岩井寛氏は、昭和16年に川崎市に生まれ、明治大学文学部卒。出版社に勤めながら、全国の墓地・霊園を廻り、約7千人の墓を調査した。『作家臨終図絵』『作家の墓を訪ねよう』の著作があり、この本はその集大成と言える。「芹沢光治良」は178頁に書かれていて、墓の写真も収録されている。同年生まれとも言われる「宮沢賢治」 (314頁)も参考まで収録した。
芹沢文学大分友の会
令 7 (2025)年6月25日 (水)
ふじ
会報No.173
編集・文責小串信正
☆第173回
芹沢文学読書会の報告
於大分県立図書館研修室No.1
第173回の芹沢文学読書会が、 5月18日 (日) に大分県立図書館の研修室No.1で行われました。芹沢光治良記念文化財団の小冊子『芹沢光治良ノート (5) 』や芹沢文学館の頃の会報「芹沢・井上文学館友の会会報163」を今回も参考資料として参加者に渡しました。ノートには、長編小説『サムライの末裔』が紹介されています。雑誌<婦人公論>に連載された時の題は『一つの世界』で仏訳では『サムライの末裔』となりました。小学館の新刊は『サムライの末裔』です。会報の (1) 頁には、次女朝子さんの御主人野沢孝氏の随筆「軽井沢星野の山荘」、連載芹沢文学入門88には短編小説「戯れに恋はすまじ」。東京愛好会の「軽井沢緑陰セミナー」も紹介。
今回のテキストは、『こころの広場思い出すこと』の二評論で、@「十三私の裡に棲む鬼」とA「十四ソルボンヌ大学で」を読み語りました。次回も、「思い出すこと」の二評論を読み語ります。
【芹沢文学案内 No.117】図録戦後八十年連動企画展「光治良の戦争と平和「サムムライの末裔」」沼津市芹沢光治良記念館から、企画展「光治良の戦争と平和『サムライの末裔』 -」の図録 (冊子)が届きました。カラーの表紙で、 A4判 57 頁の冊子です。企画展 (令和7年6月13日~令和7年11月30日) の案内図録のようですが、「展示品と本書掲載資料とは必ずしも一致しない」とのこと。今年令和7 (2025)年は終戦から80年目に当たるので、この機会に「戦争と平和」を長編小説『サムライの末裔』を通して再認識する企画として、この図録が編集され刊行されたようです。新資料や別紙年表も収録。芹沢光治良は、明治・大正・昭和を生き抜き、膨大な作品を創作しました。また、随筆評論や書簡や日記も書き続けました。その集大成は、大河小説『人間の運命』(全16巻)であり、最晩年の連作『神と人間』 (全8 巻未完) と言えます。芹沢光治良は、パリに留学しソルボンヌ大学院で経済学や社会学を学びましたが、結核で倒れフランスやスイスの高原療養所で闘病し、作家になる決意をして帰国しました。雑誌改造の懸賞小説に昭和5年に当選して、療養しながら作家生活を始めました。日本は中国に進出し満州事変、上海事変から満州国を建国しました。日華事変から南方戦線となり、太平洋戦争から、昭和20年8月に広島・長崎に原子爆弾が落とされて、敗戦したのです。
芹沢邸は空爆され、中軽井沢の山荘に家族で疎開したのでした。戦中には『孤絶』『離愁』や『巴里に死す』を創作し、疎開日記を書き、昭和20年8月15日の終戦を迎えたのです。
戦後には、『夜毎の夢に』を書き、映画化 ( 「異国の丘」)されました。昭和26年のスイス
の国際ペン大会に参加し、帰路にパリで旧友の尽力で『巴里に死す』が仏訳出版されることになり、仏訳の第二作として昭和27年に広島の原爆投下の惨劇を『一つの世界又はサム
ライの末裔』に書きました。昭和30年に仏訳『LA FIN DU SAMOURAI』が刊行され、大きな
反響を与えたのです。それで、『サムライの末裔』の題でも出版されました。この作は原爆
文学としてもっと評価され精読されるべき長編小説だと思います。しかし、この作は戦後の
米兵との混血児問題にも取組み、人種を越えて世界平和を説く「一つの世界」が書かれてい
るのです。それで芹沢光治良先生は、題を『一つの世界又はサムライの末裔』とすることを
明言したのです・・・。小学館からも『サムライの末裔』と題して刊行されたのですが、この企
画展は「光治良の戦争と平和- 『一つの世界』 -」と題されるべきであったと私は思います。