seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良文学愛好会

2026年05月15日

芹沢文学読書会 案内通信 No179 2026年4月20日(月)

案内通信 No. 179 2006420()

(令和8)

柿若葉

春の陽ざしに

爽やかに


松林庵主人


桜の花が咲き、各地で花見が行われました。今年は物価高で、家庭で料理した弁当で我慢するのが多かったようです。アメリカとイスラエルの突然のイラン攻撃で、石油がホル

ムズ海峡で封鎖されて、世界各国で大騒動です。 休戦してパキスタンでの交渉が決裂して

います。 ガソリンの高騰だけでなく、石油製品も不足するので様々なものが値上げされよ

うとしています。 日本は石油の備蓄があり、自動車のガソリン代補助もあって、当分は心配無く過ごせています。 一番の心配は、イスラエルのネタニヤフの戦闘とアメリカのトランプの非常識です。 国際法無視の戦争はロシアのプーチンと共に、止めてくれ!!

初夏の良い季節になりました。どうぞ、お元気に読書会にお出掛け下さい。


179回 芹沢文学読書会

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日時: 517 () 午前10~12 [特別に第3日曜日午前です]

会場:大分県立図書館 研修室 No.1 [特別に研修室1です]

B内容:

[I] 芹沢文学に関する話題や情報 10:00~10:10 am

[U] 芹沢文学読書会 10:10~12:00 am

自由に話す。

○テキスト 新潮文庫 『結婚』 芹沢光治良作 (1995710日新潮社発行)

157~199 ページ 「第六章」 「終章」 * 読んで来て下さい。

読書会では部分的に読んで語ります。 質問にも答えます。

◇父と母が離婚することになり、年子は津田を家に連れて来て、離婚届に署名して、

信州へ父と新子を見送ります。 母を連れて姉の家に連れて行き、 津田と一緒に鎌倉

へ。 年子は妊娠して、 津田との新しい家での幸福な生活が始まりました...

昭和2210月から2310月に雑誌<婦人倶楽部>に連載され、

昭和231230日 大日本雄弁会講談社から 『結婚』 として発行された。

=次回は、712(2日曜日) 午前の予定です。=

◎同封資料; 随筆 「弔辞 八月二十日」 日本ペン倶楽部副会長 芹沢光治良 昭和40101日発行の雑誌<文芸>10月号 (河出書房新社発行) 158~159 頁に掲載された作家高見順氏の弔辞。

*この雑誌は、 河出書房新社の文芸誌である。 「谷崎潤一郎 高見順 追悼特集」 に、 日本ペン倶楽部で専務理事となって交流した高見順氏が死去したので、その弔辞として書いたものが掲載されていたので拡大コピー(×1.15) して同封資料とした。一読下さい。 〔同封資料提供者・中村輝子]



8(2026)420()

編集・文責 小串信正(おぐしのぶまさ)


No.178

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☆第178回 芹沢文学読書会の報告

大分県立図書館研修室No5

178回の井沢女学読書会が、38() 大分県立図書館の研修室で行われました。

常連の参加者で、新潮文庫の長編小説『結婚』をテキストにして、あらかじめ読める人は「第四章」「第五章」を読んで来ることにしました。 父を入院させ、新鶴に帰り、思い詰めて自殺した弟でしたが、この病院の医師津田と交際した年子は求婚されました。 年子は津田に毎目のように恋文を書きました。 婚約して、 417日に大神宮で結婚式をし、大松閣で披露した。

逗子の海岸の淋しい旅館に新婚旅行し、 「あの人と二人海辺にならんで、ほうよりし、大自然の前で、二人が一人になる幸を感謝した。 二人は鎌倉に行き、歓待されました。 住が無く、実家の二回の二部屋に住み、新しい家を探した。父が買った千葉の田舎の家を買って住むことになります。母は行く所が無く、畳に顔を伏せて啜りあげています。

次回は、その続きの「第六章」「終章」について語ります。読書会お出掛け下さい

○令和7(2026)年度の年会費が未納の方に納入をお願いします。

振替の年会費納入の確認が出来なくなっているので、同封の年会費入金報告用 。

入金月日・金額・氏名を書いて、同封の封筒(切手は貼っています)に入れて御面倒ですが

返送して下さい。 寄付も受入れますが、無理をされないように。 芹沢女研究会の会員の方で、芹沢文学・大分友の会にも入会いただいている方々にも会員の継続をお願いいたします。

【芹沢文学案内 No.123】 芹沢文学の仏訳長編小説

芹沢光治良は、戦後に創作を始め、世田谷区の借家にて、多くの作品を著作しました。 戦中から結核闘病を自伝的に書き続けた『孤絶』 『離愁』を戦後に『故国』を書き継ぎ、三部作とした。 戦中に書き上げていた長編小説『懺悔紀』を美徳社から出版した。 片の 昭和25年春に、日本ペンクラブ広島大会に参加し被爆地を直接に見て、原爆の悲惨さを実感しました。 昭和26年にスイスのローザンヌで開催された世界ペン大会に日本ペンの代表として5月末から渡欧しました。大会後にレーザンの結核療養所を再訪し、帰路に7月から4ヶ月間パリに滞在しました。 学友や友人知人を訪ねて再会し、 作家になったことを知らせました。 生友から、作品を読みたいと仏訳をロベール・ラフォン社に紹介してくれました。 仏訳者があれば出版しても良いとのことで、当時パリに留学していた哲学者 森有正がアルバイトでやってもと了解し、仏訳出版契約を結びます。 社のアルマン・ピエラールが監修し、徹底した改訳で 1953(昭和2898日に『巴里に死す』が出版され、多くの新聞で評価され多くの人々に愛読され、商業的にも成功しました。 ラフォン社から次作が求められて、 前年の10月から雑誌<婦人公論に連載した『一つの世界一またはサムライの末裔』 を二作目に選んだ。 青木和子仏訳・ピエラー監修で、 1955 (昭和30)520日に『サムライの末裔』の題で出版されました。 広島の原爆がリアルに創作されていて、大変な評判となる。 第三作として『巴里夫人』 が小野吉郎仏訳・ピエラール監修で、 1958(昭和33)106日に 『アイダ夫人』 の題で出版されました。 これらの仏訳にフランス詩人連盟からフランス友好国際大賞が授与された。 実は、この後に第四作『愛と死の陰に』 小野古郎仏訳が完成したが、何故かラフォン社から出版IMG_4878 (002).jpegされませんでした。 今後出版したいものです。

posted by セリブン at 21:08| Comment(0) | 芹沢文学読書会 大分

2026年05月03日

『わが青春の芹沢光治良 -愛と死の文学』講演会」


大丸2財団主催 芹沢光治良 生誕130年記念
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【詳細】
● 日時:令和8年5月31日(日)14:00〜16:00(受付13:30)
● 会場:サロン・マグノリア(東京都東中野)
● 募集:40名(予約制)
● 参加費:1,000円(珈琲・茶菓子付)
※お申込・お問い合わせはチラシをご覧ください。



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posted by セリブン at 06:29| Comment(0) | 沼津市芹沢光治良記念館

2026年04月19日

芹沢文学愛読者の会  芹沢光治良文学愛読者の会第240号  

旧石丸邸訪問



旧石丸邸での芹沢光治良文学愛好会(東京)読書会に参加して


平石政行


三寒四温の四文字をなぞるように、着たり、脱いだりを繰り返す毎日ですが、安井さんご夫妻にはお変わりございません


か。季節の変わり目は要注意です。ご自愛くださいませ。



去る二月二十六日()久々に上京し、芹沢文学愛好会読書会に参加しました。会場は、近々取り壊されると言う情報を得豊田英文会長が急遽お手配くださった、森次郎と田部氏ゆかりの『旧石丸邸』です。地下鉄広尾駅から徒歩五分木立の中に昭和レトロの空気を纏いながら、ひっそりたたずむ洋館は、今なお結婚式場として活用されていました。


一歩中へ入ると、室内の洋館の家具や、調度品、電気器具など、どれも当時のものを大事に使おうと言う現使用人の心意気


が感じられます。若き日の次郎と同じ場所で同じ空気を吸っているのだ・・・、と読者冥利に尽きるひと時でした。


読書会のテキストは誰にもなじみの深いエッセイ「野の花」でした。


今ならともかく、あの時代に、一時間新聞を読むことを許してくれる伴侶でなければと、自らの意思を貫き通した岡島はるさん


の真摯な生き方に、賞賛と共感の声が集まりました。


 また、エッセイを読みながらしたと言う女性読者が何人も見えました。


  もう一つ嬉しかったのは、読書会の輪の中に、新潮社の北村暁子さんがいらしたことです。『神シリーズ全八巻』の発刊にあたり、編集者として、作家芹沢光治良氏をお支えになったご婦人でした。


「芹沢先生は、日本の物故作家の中で今なお全集が売れ続けている稀有な作家のお一人です。」


読者にとって勲章のようなお言葉をいただき、改めて芹沢文学を愛読し続けてきてよかった二十三人の参加者こころ一つにして、旧石丸邸を後にしました。

「三人の日と書く春を待ち望む雪が溶けたら又会いましょう」


いつの日か朝日歌壇で目にしたこの歌を、この時期になると思い出します。


春になったら安井さんご夫妻との再会の叶うことを願って、ペンを置きます。


三月六日


                               平石政行




226日に東京で、芹沢光治良文学愛好会読書会が行われました。この読書会に平石政行さん(三重県)が出席されました。その時の様子を安井正ニ宛の手紙でご報告くださいましたので、ここに紹介させていただきました。安井正ニ記






自伝抄 第八回



家庭教師で一高パス



貧困はそれ自身悪ではないが、無知を伴って人間をどれほど不幸にするか。それを私はそれまでの暮らしではっきり識った。


中学校の五年間、強制的に日記をつけて、毎週修身の日に提出したが、学校では書いているか否かたしかめるので内容は読まないと、言ったのにかかわらず、校長は私の日記を全部読んだのにちがいない。


入学試験に失敗した報告をすると間もなく、八、九月の俸給をもらって、代用教員を辞める手配をして、すぐに原町の豪家に住みこむように、はからってくれた。中学二年生の家庭教師という名で、私に静養する家を提供してくれたのだから植松家では、富士山に向きあった二階の八疊二間を私に提供した。三時間、二年生とともに勉強することが、私の役目だったが、重雄君は


すなおな生徒で、面倒はなかった。


食事は三度とも食堂で家族ともにするが、三度ともお祭りの日のようなご馳走で、人間の食事はこういうものだったかと驚いた。


家族は多かったが、穏やかな人々で、食事の時になごやかに顔を見せるだけで、たがいに人格をみとめあっているのか、あとは各自独立の仕事をしていた。

これが家庭というものかと感心したが、足をのばせる自分の部屋のあることが、どんなに幸せであったか、私は終日好きなように勉強し、この家の名苑を散歩などして、それまで自分は親からすてられてかくれる小屋もない捨て犬だったと気がついた。


posted by セリブン at 15:06| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋