seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良文学愛好会

2025年05月23日

芹沢文学読書会  案内通信 No. 173  2025年(令和7年)4月21日 ( 月 ) 4月便り

松林庵主人




柿若葉(かきわかば)・・・


既に初夏なり


爽やかに




4月の後半になりましたが、 九州では既に夏日が続いています。 北海道にも桜前線が届きました。 大坂では万博が開始され、多くの人が出掛けています。 雨が降ったり、 急に夏の暑さへの対応が問題になっているようです。 対策をして入場者が増え、万博が成功することを祈ります。


アメリカのトランプ大統領が、関税をかけてアメリカの赤字を解消しようとしているようですが、 嘘情報で、 勝手なことを言っています。 日本にアメリカの車が売れないのは、変な検査の為ではなく、 性能の悪い大型車は必要ないからです。 しかし、アメリカに売る車に、 25%もの関税がかけられたら大変なことになります。 また、平和憲法では軍隊を持たないことになっているのに、自衛のための兵隊・兵器とかで防衛費が膨大になって来ています。 これは憲法違反です。 武器や戦争によるのではなく、対話や外交で平和的に対策すべきです。


芹沢文学読書会を細々と継続して行きます。 今回は第3日曜日になります。 温かくなりまし


入会も歓迎します。




173回 芹沢文学読書会


I


@ 日時: 518 () 午前10~12 [*平常は第2日曜日午前です]


A会場; 大分県立図書館 研修室 No.1 [*平常は研修室No.5 です]


B内容; [I] 芹沢文学に関する話題や情報 10:00~10:10 am 自由に話す。


[U] 芹沢文学読書会 10:10~12:00 am 参加者で輪読


○テキスト


@「十三 私の裡に棲む鬼」


A 「十四 ソルボンヌ大学で」


@は、『芹沢光治良文学館』の第十三巻の月報で、 ジッドの悪魔 私の鬼。 パリ留学と結核闘病など。


Aは第十四巻の月報で、 ソルボンヌ大学、 ブラン書店、 平石君。 留学と闘病で己を無にしたことなど。


初出 『芹澤光治良作品集』 (新潮社発行) の全16巻の月報に連載された。 昭和50215~ 同年315日。


初刊本/『こころの広場 第三章 思い出すこと』 昭和52 (1977)415日 新潮社発行。全245頁、 800円。


再録/ 『芹沢光治良文学館12』 平成9(1997)810日 新潮社発行に再録。 283~290頁。


=次回は、 第2日曜日の713日午前の予定です。


=


◎同封資料 ; 随筆 (紀行文) 「私の見てきたヨーロッパ」 芹沢光治良


雑誌〈中学時代〉昭和27(1952)21日旺文社発行 70~71頁 ※旺文社の中学生雑誌に求められて、 昭和26年にスイスの国際ペンクラブ大会に参加した帰路に見たヨーロッパのこと、 特にイギリスの子供達の見学で静かなこと、フランスの中学校では卒業の時に進学する生徒たちは全国一斉の高度の国家試験があるので、真剣に勉強に励んでいることなどが書かれています。 印刷が悪く、 写真が潰れ、 活字も不明。 〔同封資料提供中村輝子]






芹沢文学・大分友の会




連絡先: 872-1651 大分県国東市国東町浜 4765 (番地) 小串信正方




文学・大会の会


会報


ふじ


令和7(2025)421




172回芹沢文学践書会の報告


大分県立図書館 研修室No5




172回・芹沢文学読書会の報告


39()に大分県立図書館で行われました。通常の会員のみの参加ですが、何とか芹沢文学読書会を年6回(奇数月)で継続していきたいと思います。福岡の会員の方々も都合をつけて、どうぞ読書会へお出かけください。




芹沢文学館の頃の会報「芹沢・井上文学館 友の会 会報 162 (198881)を今回も参考資料として参加


者に渡しました。青木秀夫氏が「芹沢先生との出会い」の題で、芹沢先生との最初にして最後の「運命的な出会い」について回想をしています。平成4年の夏に、次の会の『先生の山荘を訪ねるツアー」に参加し、中軽井沢の山荘で先生にお会いして、傳田先生の紹介で、個人的に紹介されたのです。「先生の文学精神を医療に活かしております」と自己紹介をしたことが書かれています。「水平線」に梅野佳子さんが「読書の魅力」を寄稿。芹沢文学入門 87 (小串信正筆)には、中編小説「運命」を紹介しています。


今回のテキストも、 「思い出すこと」 の二評論を読み語りました。 @ 「十一 親と子との関係について」と


A 「十二 次郎の厄介になった叔父夫婦」がテキストでした。 ペール田部氏との関係は実話ですが、最期に


世界一周の遊覧船で船出させマッターホルンに身投げしたことは虚構です。 実父には子としての愛を持てな


かったと書いています。 実父母が出家して、 祖父母と同居したのは父の弟の平作 (三吉)叔父です。 伯母知賀は残された次郎を理解して励ましてくれましたが、 33歳で早世。 沼津の大火で家が焼けたので、フランス留学費の五百円を叔父に渡しました。ところが実父が天理教会に二百円を献金させたとか。次回も二随想を読む。








【芹沢文学案内 No116】 鈴木邦彦著 沼津文学祭開催実行委員会発行




この冊子は、「第一回沼津文学祭」 事業の一環として、「沼津市の豊かな文学資源とゆかりの文人たちを紹介する文学ガイドブック」として企画されたものです。 沼津文学祭開催実行委員会の事務局である沼津市教育委員会文化振興課が国立沼津工業高等専門学校教授であった鈴木邦彦氏に執筆を依頼して、 平成16(2004)331日に発行されました。 A5 59頁。


「はじめに」 には、 「沼津と文学とのかかわりには、三つの大きな特色」があるとして、 「沼津が文士たちの風待ち港となっている」 「沼津が旅人としての文士たちを惹きつける人と自然の魅力を持っていたこと」 「沼津出身の文学者及び沼津が育んだと目される文学者が、 質とその数において抜きん出ていること」 を挙げています。


「沼津文学紀行の表紙目次は、一から十一として、 太宰治・ 井上靖・ 若山牧水・ 芹沢光治良・明石海人・勝田香月・伊藤左千夫・ 北原白秋        ・ 田中英光・ 渡辺白泉・ 大岡信の作家、 歌人、俳人が紹介されています。


. 芹沢光治良は、 「() 芹沢光治良の沼津・・芹沢光治良の生い立ちと文学」として、28~33頁に収録されています。 生年が 「明治30年」 と書かれ、 「たまたま沼津に来ていた海軍士官が」学資を引き受けてくれたとあるが、父の妹婿の海軍士官に手紙を書いたのです。 「安生家の娘鞠子」は、本名「鞠」です。 パリ留学で結核となり療養したのは、フランスのエーン県オートヴィルの方が先です。 『人間の運命』 を 「自伝的」と言うべきではなく、 全16巻の大河小説であるのです。


「わが青春」は随筆では無く自伝です。 『愛と死の書』 『巴里に死す』 『教祖様』 『一つの世界(サム


ライの末裔)』 『愛と知と悲しみと』、 最期の連作 『神と人間』 (8) なども紹介すべきです。


また、フランス友好国際大賞・フランスのコマンドール章を受章、芸術院会員となったことなども書くべきであると思います。 文化勲章やノーベル文学賞が与えられなかったのは残念ですが沼津を代表する第一の作家は、 沼津で生まれ、 沼津に墓のある芹沢光治良だと言えます。




posted by セリブン at 19:33| Comment(0) | 芹沢文学読書会 大分

2025年05月22日

芹沢文学研究会 四季報 春号 2025(令和7)年4月30日 発行 

四季報春号


=春の歌=

野や山は

青葉若葉の

日の光

爽やかな風

故郷(ふるさと)は初夏

松林庵主人


同封資料

@評論「天界の仕組み」神渡良平『星降るカミーノ魂の旅路』平成15(2003)98PHP研究所発行[資料提供中村輝子]

A野沢朝子著『山荘』『導かれるままに」

芹沢文子著『芹沢金江』『天の愛』

B文学評論連載「芹沢文学講話」

C自伝的家庭小説『女にうまれて』芹沢文学研究会代表小串信正



同封資料

@評論「天界の仕組み」神渡良平『星降るカミーノ魂の旅路』平成15(2003)98PHP研究所発行[資料提供中村輝子]

A野沢朝子著『山荘』『導かれるままに」

芹沢文子著『芹沢金江』『天の愛』

B文学評論連載「芹沢文学講話」

C自伝的家庭小説『女にうまれて』芹沢文学研究会代表小串信正

@各地の芹沢光治良文学関係の話題

芹沢光治良記念文化財団

芹沢光治良先生の命日323日没後32

光治良忌38() 1030~1130分墓前献花

沼津市市営墓地芹沢家墓前参加無料、予約不要

芹沢光治良・文子先生、岡玲子様の墓

昼食場所・マグロキツク予約 0978554229 芹沢

メニューは海鮮丼定食 1760円のみ

主催沼津芹沢光治良文学愛好会不破久温

*読売新聞や沼津朝日で報道された。約20名が参加、カーネーションを献花。今年は光治良がパリ留学した年から100年。

財団講演会「芹沢光治良と軽井沢文学」

会場サロン・マグノリア

参加費千円 320(午後~4

大藤敏行(軽井沢高原文庫管長)

予約制40名メールの返信か池田三省へ。

沼津市芹沢光治良記念館

 沼津市芹沢光治良記念館企画展第2

@令和6年企画展『人間の運命』の舞台を旅する    

 芹沢の代表作『人間の運命』で描かれる沼津、東京やフランス等ゆかりの場所を特集します。

38()1330~14時展示説明会定員 10人程度入館料は必要

期間第2回は、令和612 ()~令和761()

開館時間 9:00~16:30

A芹沢光治良先生の誕生日54(日・祝)は記念して無料開放。説明もします。

410-0823 静岡県沼津市我入道蔓陀ヶ原5171   沼津市芹沢光治良記念館

休館日月曜日、休日の翌日、年末年始(1228~13)FAX055.932.0255

芹沢光治良文学愛好会

 会報通信No543

芹沢光治良文学愛好会の例会、東中野区民活動センターの洋室4(2)で。

38回は、420()13:00~17:00に読書会(テキスト短編小説「毛虫」)と総会。エ

藤純男が司会した。送付資料は、

@短編小説「毛虫」(昭和2 (1947)85日「FEMINA号」河出書房発行)

A文藝評論「芹沢光治良の恋愛」鈴木吉維(令和7(2005)21日発行「解釈」(解釈学会発行)

B「芹沢光治良氏の新邸宅」(昭和3(1957)91日発行「建築文化 13 彰国社発行)

C芹沢光治良自伝「わが青春21 「貞奴夫人とパリの昔話」[静岡新聞昭和60(1985)316()

D次回の田村正義氏講演会「芹沢光治良を語る、芹沢光治良は語る」でした。

*この資料の文藝評論「芹沢光治良の恋愛」鈴木吉維(令和7(2025)21日発行「解釈」解釈

学会発行)を鈴木吉維氏より、芹沢文学研究会にもお送りいただいていて、今回の同封資料として会員にお送りするつもりでしたが、愛好会がコピーして贈ったので、別のものにしました。

芹沢文学愛読者の会

@手作り冊子「紙上新年会3分間スピーチ」

芹沢文学愛読者の会の第5号「令和7年紙上3分間スピーチ」(令和7127日発行)安最終号が届きました。表紙は安井正二さんの「アスパラの絵手紙」で「すてきなあなたに届けます」とあり、平石政行が「発足から今まで、会の継続と発展にご尽力くださった安井正二さん安井恵美子さんご夫妻を思う時、感謝の念が募ります。」と「はじめに」に書いています。よくも50年間も続けられたと思います。52名から届けられたスピーチが五十音順に掲載されています。手書きやパソコンで打ったものもありますが、人柄が感じられます。知った人もいますが、知らない人もいます。5冊の手作り冊子は良い思い出になると思います。私小串のところにも、毎回葉書が届きましたが、名古屋の新年会等に参加しなかったので、遠慮して書きませんでした……

沼津芹沢光治良文学愛好会

代表不破久温[会便りをお読み下さい]

@芹沢光治良を偲ぶ会 54()の芹沢光治良先生の生誕日に沼津市芹沢光治良

記念館2階ギャラリーで愛好会の定例会を公開して行う。 13:30~15:00 ▽予約済

第一部日本大學三島高等学校・中学校が推進するグローバル時代の教育竹中朝祟校長

第二部芹沢光治良がヨーロッパで出会った音楽電子ピアノ演奏  ピアニスト及川智史氏

A会員便り No87

連載会新入会員の自己紹介として書いてもらいました

この作家と出会ってよかった 

不破久温(ふば ひさよし) 静岡県沼津市大岡

芹沢光治良を読みはじめて、漸く十年です。

光治良の静かだが真剣な「()り」に」にユマニストの思いを気づきました。この作家と出会ってよかったと思っています。たとえば『南寺』は、日中戦争の戦地取材からの「小さい土産」ですが、冒頭の景観描写の「語り」に、すでに強い「非戦の意思」が感じられます。「大同の駅には灯がともっていなかった。」「風が音をたてずに、砂塵を吹きあげて、夕闇に濃霧が垂れ込め、音もない風は「索漠たる」戦跡に拡がり、街の人々は無気力に佇んでいるようです。しかし、翌朝、大同城の城壁の上から、大寺院の屋根が「木造建築のもつ柔らかな美しい線を、紺の大空へ、ゆるやかに描いている」のを見つけて、昨夜着いたばかりの作家と経済学者は「驚愕」し「感動」します。そして、大同の人びとが、城外に「日本軍を迎え」「戦禍をさけ得た」話を聞いて、人類の宝を「巧みに兵火から救った本能のような智慧が、大同の人にあった」と知ります。歴史の往く手を見極めようとする、緊張した「語り」です。

 『離愁』の主人公は、去年、ただ眺めていたフォンテンブローの森の風景が、今年は、「毎日私に啓示を授ける」ようで、「新緑の梢をもれる光や微風や樹々などが、何かしら神の表現のように感じられて、それに応える私の魂をうちに聞く思いがした。」そして、自分の文学は「神の無言の要求に言葉を與えるのでなければならない。」と真剣に考えた、と超越的な経験を、詩人のように「語り」ます。読者も銘記したい誠実で真剣な「語り」です。

 『巴里に死す』にも、詩のような「語り」が見つかります。スイスの高地療養所の医師に、「夫が帰国することになった」と偽り、退院の了解を得た主人公の伸子は、一年近く過ごした療養室に出てみます。「夕陽が白い壁も、白いベッドも、薔薇色に染めていた。」「澄み切った空の下に、レマン湖が遠く、細い紺の帯のようにくすんだ向こうに」「二度と見ることのできないスイスの山々」「私はじっくり胸のなかに写しておこうと眺めた。」まるで韻を踏んだ美しい叙景詩のような「語り」が魂に響きます。

 光治良の「物語り」に耳を傾け、作品を深く味わいたいと思います。(327)

B神渡良平(かみわたりりょうへい1948~2023) 氏について *同封資料の「天界の仕組み」を参照

神渡良平氏が、200398日にPHP研究所から発行した『星降るカミーノ魂の旅路』の「第八章天界の仕組み」に、最晩年の連作についての芹沢光治良について書いています。20年以上も前の著作ですが、今回の同封資料としました。参考までにお読ください。平成5(1993)323日に芹沢光治良先生が96歳で逝去されて10年目に書いて出版されたものです。以前に神渡良平資氏が、芹沢光治良先生に注目し評価されていることを知り、便りを書いて「芹沢光治良について一冊の本を著作して下さい」とお願いして、芹沢文学研究会の会報をお送りしていました。

 令和551日に死去されたことを最近知りました。芹沢光治良についての単行本は書かれませんでした。この文章は、芹沢光治良先生に注目して、まだ余り詳しくない時に書かれたものと思われますが、まず名前が「光次良」となっています。活字ミスかと思いましたが、四ヶ所とも「光次良」となっていて記憶違いをしています。尊敬していたかも知れませんが、本人の名前を間違えているのはミスというより失礼です。また死去した日も「二十四日」と間違えています。

 私小串は、ずっと前から交流しているスイス在住の松林幸二郎さんへの芹沢先生の手紙が引用されているのには興味があります。神渡良平氏は世界各地を巡っていたので、松林さんと交流があったものと思います。神の社の伊藤幸長(大徳寺昭輝)さんにも会っていたと思われます。この本は別府の中村輝子さんからの提供です。

年会費が未納の方は、納入をお願いします。今年度も年会費を1800円に据置きました。同封の郵便振替にて年会費の納入をお願いいたします。自主的な寄付も受入れます。どうか、よろしくお願いします。

新入会員の紹介その後の入会者は有りません。新入会員をお誘い下さい。

☆ 編集後記 :

・編集責任 小串信正・・・

 芹沢文学研究会の会報第133()号と同封資料をお届けいたします。昨年は地球温暖化で、アメリカの西海岸ではもの凄い山火事があり、今年には日本の各地に山林火災が起きました。この春は外国からの観光客が記録的に増えて、色々な問題も起きています。外国人の移住が多くなり、泥棒や犯罪も増えています。

 アメリカのトランプ大統領の勝手な関税に世界が振り回されています。ロシアのプーチン、の侵略戦争が続き、イスラエルのガザ戦争も止みません……

 会員の皆さんの健康と平安をお祈りいたします。今後も、芹沢文学を愛読し研究を続けましょう。


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posted by セリブン at 06:40| Comment(0) | 沼津市芹沢光治良記念館

2025年05月20日

芹沢文学愛読者短信 第236号 2025年4月30日 芹沢文学愛好会愛読者の会

芹沢文学愛読者短信

236


2025

430日 芹沢文学愛好会愛読者の会


『愛読者の集い』について (報告)

『芹沢文学愛読者短信』ですが、しばらくの間ごぶさたしていました。

この間、皆様にご協力をいただき今年初め「紙上 3分間スピーチ第5号』を完成し送付しました。


『愛読者の集い』について

『愛読者の集い』につきましては、現在検討中の途中経過をお知らせいたします。


「愛読者の集い」について



『愛読者の集いは』いつも昼食を挟んで共に語り合い楽しんで参りました。

 会場はこのところ13年間ずっと『ウィンクあいち」を利用してきました。

 その間に準備委員の皆様の高齢化が進み、会場の設定に支障が出てきました。

 それは、会場設定のための机、椅子の移動です。いつも利用していますあの部屋は、会議室用として机、椅子が配置されています。

 そのため準備委員が机、椅子を移動して皆様とのお話がしやすく、聞きやすいようにと並び替えて白布をかけてきました。終了後は、白布を外して元通りの会議室用に並べ変えが必要です。こうした机、椅子の作業は力仕事であり、高齢化に伴い難しくなってきました。

そこで、ただいま検討中なのは、すでに設定された会場を利用してはどうかということです。

 例えば同窓会、OB会などで利用している会場です。さっそく、交通の便をも考慮して探してみますと、多くの場合『会場利用は食事を入れて2時間です。今までと比べ随分時間が短縮された集いとなり、内容の縮や検討が必要です。それでも一度試みて見てはと、この秋に実施を目指して、ただいま取組中です。

決まり次第『愛読者、秋の集い』として、お知らせいたします。


(紙上3分間スピーチ)、第5号を読んで


(敬称略)


楽しみに待っておりました。ありがとうございます。この大変な作業を思いますと、どれだけ感謝しても尽くせないものを感じます。洞谷)


手作りの冊子を手にして、コロナも悪い事ばかりではなかったと思いました。これから過ご

す日々をあたたかく伴走してくれます。(河野)


スピーチ集ありがとうございます。きっと皆様のお手元で時々読み返して、ほっこりする

ことと思います。野沢)


表紙に入っています。アスパラの芽の一つ一つが芹沢光治良先生と言う大樹に集う読者に思えてなりません。生命力の強い、アスパラから生きる力と喜びを得る、あなたの声をも聴こえてきます。平石)


生涯の宝がまた増えました。皆々様の熱い生き様をお手本に、精一杯頑張ろうと私の中に新たな意気が湧くのを覚えます。(本田)


五冊のスピーチ集は宝物です。今回は病気と戦ったと言うお話が多いように思います。困難を乗り越えたお話からも力をいただきました。(坪山)



毎日少しずつ楽しみに読んでいます。杖を頼りの生活にも慣れてきました。ゆっくり動いて

おり行動範囲は団地の中。読書サークルに出席。(内野)


皆さんの手書きで書かれたスピーチは素晴らしいです。楽しく読ませていただきました。

(鈴木和子)


コロナ禍で対面が難しかったときに、この冊子が大きな力となったことでしょう。言葉には

人を励ます力があることを痛感します。

(鈴木吉継 )


皆さんのスピーチからお顔を思い出し、芹沢文学に対する思いが熱く伝わってきます。

(伊藤みち)


あたたかい表紙絵はじめにの文、おわりのことぼ伝心。昨年は入院中の枕元に。今年も良き睡眠薬になって、もらえます。(稲垣)


一回全部目を通して、再び読んで時間を置いて、また手に取って読んで、芹沢文学の歴史を

しみじみ感じす。(亀井)



スピーチを読ませていただくたびに、皆様を思い出しています。芹沢先生の本を身近なところに置いて読んでいきたいと思っています。

(新美)



お一人お一人の個性と熱い思いが伝わってきます。ゆっくり読ませていただき嬉しく思いました。(荒川)


五年間も続いたスピーチ集年末になったら何を書こうかと、考えるようになりました。

(岡崎)


スピーチ集を手にした重みが心地よく、読みやすく、一人一人に語り掛けてくださるようで幸せです。感謝のほかありません。 (西田)


長らくすばらしい集いを実施してこられたことを、改めて認識するところです。(井上)


3分間スピーは会の絆で、最高傑作集です。(高村)


3分間スピーチ読ませていただきました。希望を持ち、健康に留意し生きていこうと思います。(平田)


お詫び


紙面の都合で、お寄せ下さった全員の皆様のご感想を掲載できませんでしたこと

お許し願います。



名古屋芹沢文学読書会

名古屋市港図書館

地下鉄「港区役所」下車スグ

午後1:30~4:30

242令和7511 ()

「『神の慈愛』10

posted by セリブン at 15:36| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋