seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢文学研究会: 芹沢光治良文学愛好会

2016年02月25日

芹沢文学研究会・会報 四季報 冬号 第96号

四季報 冬号
芹沢文学研究会・会報
2016(平成お)年1月24日(日)刊行
第九十六号(No96)
会報
初雪が正月下旬にドカ降りし

=冬の歌=
暖冬の中の具常気象?   松林庵主人

野沢朝子者『導かれるままに』が出版されました
 芹沢先生の次女野沢朝子さんが、信仰体験を中心にして、生涯を回想した著作『導かれるままに』を2015年12月15日に自費出版されまし'た。先に随想集『山荘』を2010年に刊行しています。この著作は、妹文子さんの死後に書き始められ紅葉の秋に書き終えました。「あとがき」に「父に書かされたように思える」と書かれています。芹沢家のことも素直に綴られています。
 内容として目次を紹介します。「はじめに」「1神をめぐって」「2播州の親さま」「3存命のおやさま」「4霊母マリアさま」「5聖母アンマのダルシャン」「6母なるものに支えられて」「7宗教について」「8死について」「9晩年の父」「10『芹沢光治良戦中戦後日記』」「あとがき」で、全158頁です。
 芹沢先生の信仰から、播州の井出クニと交流し助けられました。兄芹沢真一氏は親さまや朝日神社に関わりました。存命のおやさまとは天理教の中山みき教祖で、芹沢先生は『教祖様』を創作しています。天の声を聴き、伊藤青年(のちの大徳寺昭輝氏)との出会いから、晩年の連作も書きました。朝子さんは文子さんと共に天命庵に関連しましたが、中傷で離れました。朝子さんはカトリックの学校で学び、聖母マリアさまや聖母アンマ、そして慈母観音などの「母なるもの」に支えられ、宗教的には自由に生きたことが書かれています。最後に2015年3月23日の命日にに出窓された『芹沢光治良戦後戦中日記』についても紹介しています。
 平明な文体で、体験や所感が率直に書かれていて、大変読み易いです。芹沢文学の愛読者や研究者にも、必読の貴重な著作と言えます。一読をお勧めします。


城戸祐子さんを偲ぶ会
平成28年2月7日(日)午後 藤沢

昨年の10月14日に、芹沢文学の愛読者であった城戸祐子さんが73歳で御逝去されました。癌と闘病されましたが、その死が惜しまれました。藤沢市にお住まいで、『赤毛のアン』等を若い時から愛読し、芹沢文学の熱心な読者となりました。、沼津市の芹沢文学館の会員で、私が昭和52(1977)年7月に東京で「芹沢文学館・東京友の会(芹沢文学研究会)を立ち上げた時から、ずっと御理解・御協力をいただきました。その人徳で皆さんを愛おしみ明るくして下さいました。私達の結婚式にも御参加いただき、祝福していただきました。その個人的な御究流は長く、平成4(1922)年に大分県国東町で始めた「芹沢文学研究会」へも、後に御入会いただき、ずっと継続して御支援いただきました。
芹沢光治良文学愛好会の有志による「城戸祐子さんを偲ぶ会」が2月7日(日)13:00〜17:00に藤沢商工会館ミナパーク503会議室にて行われます。当研究会の会員も多く参加します。私も参加したいのですが失礼して、九州の大分から御冥福と感謝を改めて申しあげます。皆さんが再会する機会ともなることでしょう。城戸祐子さんの御遺志を受けまして芹沢文学の愛読に尽力します。
鈴木春男さんから、立派に編集された小冊子をお送りいただきました。31頁。

女「いのちのふる里」第3号が刊行されました。
沼津芹沢文学愛好会(和田安弘代表)の同人誌『いのちのふる里』(第三号)が、2016年1月1日に刊行されました。沼津市芹沢光治良記念館(沼津市役所文化振興課)からお送りいただきました。特集「芹沢光治良ゆかりの地を訪ねて」で、目次は「はじめに」「沼津芹沢文学愛好会のあゆみ」「寄稿(栗原裕康・菅野昭正・渡部芳紀・鈴木吉維・富岡幸一郎・岡玲子・安井正二)」「芹沢光治良ゆかりの地を訪ねて」「会員寄書(天野博人・五十風由子・石井恵美・芹沢守・高嶋孝行・仁王一成・和田万理江・和田安弘)」「関連記事」「会員アンケート集計」です。沼津市を中心にした地元の情報が満載されていて、芹沢文学の愛読者や研究者の参考になります。
 沼津芹沢文学愛好会は、沼津市の地元で愛好会(例会)や光治良忌を継続しています。講演会に参加したり、見学会や旅行などにも出かけています。

◎同封資料 @短編小説「告白の女」芹沢光治良   
 雑誌〈新風〉昭和22年(1947年)3月号大阪新聞社東京支社発行36〜41
戦後の新雑誌に求められて書いたもの。書筒形式の作品。戦後に解放された女性の欲望の目覚めが不倫願望で創作されている。
A文芸評論連載「芹沢文学講話」C「芹沢光治良氏と苦学・向学」小串信正

連載 会員便り    No55   二巡目の会員便りです。

年末の思い

                   長野県松本市 下山田 誠子

 戦後70年という2015年が数日で終ろうとしています。暦年は大晦日から初平日に希望を仰ぐ新年へとつながっていきます。人の生の暦は誕生という新年から、再びそこに戻っていくことはありません。螺旋を描いて歩みゆく人生の大晦日は、もう新年に続くことはないのです。
 大分・国東という言葉の響きは胸底にかすかに鳴っている通奏低音のようです。国東という地で地味な文学研究を長年続けておられる小串さんには、もう長いお交わりを頂いています。
 私共の次男は22才で生涯をおえて、もう25年になります。当時住んでいた静岡の安倍川の奥の中学校は荒れた時代で世相を-つつしていました。「今日は○○君の名字がかわった・・・・」という話題が多く、息子のクラスの女の子も姓が変わり、九州の黒東という所に越していきました。たぶんお母さんの故郷の方だろうということでした。次男は「かわいそうだねえ」を連発し別れを惜しみました。その后、一〜二回手紙がきたようでした。差し出し地は国東でした。
 頭部を強打した次男は言葉を発することなく一年足らずの後逝ってしまいました。彼の荷物を整理する中で、その可愛らしい手紙が出てきました。10年間も大切にとっておいたのでしょう。その後、国東でお幸せに暮らしたでしょうか。
一昨年、東京からお骨を信州松本に移しました。大きな骨董いっぱいの骨は彼の若さの証しです。順不同の生とはいえ、先逝きし子も親もあはれであります。私の母も引き揚げ時の混乱の中で、みどりごの妹を失いました。戦火に、難民にと、何と多くの母たちがいとしい子を先立たせねばならなかったか・・・。
 花開くこの春三月に復活の再会に希望を託して、先祖代々の墓に納骨しようと思っています。少年少女の交した幼く純なこの二通の手紙も読むむことをせず、一緒に入れようと思っています。

二O一五年師走に

 芹沢文学研究会会計報告 反省点 改善点
 会員各位「会計報告」と「反省点・改善点」などを御了承下さい。
・収入の部前年繰越   96,130円 ・支出の部切手代 23,300円
       会費収入 32,400円 ・文学代      5,577円
       寄付収入 62,600円 ・コピー代    55,610円
          計19,130円     計       84,487円

 会計決算 191,130−84487=106,643円
                                   (振替 101240+現金5403)
 会計責任 小串信正  会計監査 白木淳視

【反省点・改善点】
・芹沢文学研究会は、24年間継続し、今年度は四半世紀25年目の歩みになります。細々とした会で、研究会としての役割を余り果たしていないのですが、芹沢文学を研究しようという会が無いので、芹沢文学の文学的評価を少しでもしていきたいと思います。作家芹沢光治良を日本文学史に位置づけ、世界的な文学者として評価していきたいと念願しています。会員各位の自主的研究を期待しています。
・会員が中々増えず、退会したり死去したりして減少しています。どうか、芹沢文
学研究会を知人・友人等に紹介して、入会をお勧め下さい。昨年度は安藤清治氏や顧問の山本正夫先生などから過分な寄付をいただき、会計としては余裕がありますが、会員数は問題です今後も会員の継続をよろしくお願いいたします。
・研究会の運営や会員増加対策などで御一意見や御提案を気楽にお寄せ下さい。

☆新年度の年会費納入をお願いいたします*同封の払込取扱票にて納入下さい。今年の年会費も1800円に据置きます。郵便振替にて納入をお願いいたします。寄付も受入れますが、無理をされませんようにして下さい。尚、どうしても退会されます方は、御面倒でも、ハガキ等にて御一報いただきたいと存じます。
一一〉新入会員の紹介
*その後の入会者はありません。

  編集後記    編集責任    小串信正

 会報96(冬)号と同封資料をお届けいたします。昨年は戦後70年で、『芹沢光治良戦中戦後日記』(勉誠出版)と『導かれるままに』(野沢朝子著)が出版されたのは、芹沢文学としては大きな意味がありました。芹沢先生が作家として、一家の主人(父親・大黒柱)として、戦争に如何に耐えられたかが、素直に読み語られています。大分の芹沢文学読書会でも読み語っています。
 会員の皆さんにも精読をお勧めいたします。新年度の各位の御健康をお祈りします。

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2015年11月07日

芹沢文学研究会・会報 第95号 四季報 秋

2015(平成27)年10月31日(土)刊行 

四季報/芹沢文学研究会・会報…  秋号 第95号
2015(平成27)年10月31日(土)刊行

=秋の歌=
柿の実を 採りて洗いて 小包で兄妹に送る 故里の味      松林庵主人

第27回『我入道の集い』が開催されました。

 芹沢光治良文学愛好会の主催で毎年秋に行われている「我入道の集い」が、今年も10月11・12日に開催されました。平成元年から始められ、今回は第27回です。11日(土)は湯ケ島温泉のいろりの宿「三吉」に宿泊し、懇親会(愛読者交流会)が行われ、芹沢光治良古本の無料頒布会も実施されました。12日(日)は、10時〜12時に文芸講演会「一期一会」(講師浄土真宗本願寺派西年寺住職井出恵先生)が行われました。記念写真、読書会、みんなで歌おう等もありました。
 今回の講演者井出恵先生は、佐賀県伊万里市の西念寺住職で60歳。有京大文学部インド哲学科卒業。父の死後に住職を継ぎ、独り芝居や横笛リサイタルなどユニークな催しを寺で開催。アレグリーノ神父との往復書簡集『心のシルクロード』(平成7年、佐賀新聞社)、世界を結ぶ人間の絆『新 心のシルクロード』(平成年、佐賀新聞社]を出版しています。作一一家芹沢光治良先生を尊敬し、作品を愛読し、平成2年11月12日に芹沢宅を訪ねてお会いしています。「芹沢光治良先生は、私にとって、大きな安らぎを与えてくれる偉大な存在でした。」「言葉のひとつひとつを祈りながら話された先生のお姿は、今でも自に焼きついてはなれません。」「時代の不安や狂騒が高まれば高まるほど、清らかな泉のような信仰に私の魂はいやされます。先生が逝かれた今、私は私に語っていただいた言葉のひとつひとつを大切にしていきたいと思うのです。」と書いています。
 多くの人々が参加し盛会であったようです。会員の方で、参加した人もいたことと思います。鈴木春雄氏など役員の御尽力で毎年継続されていることを、芹沢文学研究会として高く評価し、私個人としても嬉しく思っています。


○平成27年度芹沢光治良文学講演会  11月21日(土)午後

沼津市教育委一員会の文化振興課・沼津市芹沢光治良記念館の平成元年度の芹沢光治良文学講演会「文学にとって戦争とは何かー戦後初一周年に当って」(講師菅野昭正さん[フランス文学者、文芸評論家、世田谷文学館館長])が、11月21日(土)13時30分〜16時頃に図書館4階視聴覚ホールを会場にして行われます。定員200名-入場無料。芹沢光治良記念館から郵送のチラシ案内を会報に同封いたします。聴講を希望される方は各自で申込み下さい。
 菅野昭正先生は、1930年生まれ、東大文学科フランス文学科卒。東大文学部教授、白百合女子大学教授を歴任退職し、現在は世田谷文学館館長です。主な著作に『詩学創造』『ステファヌ・マラルメ』『永井荷風巡歴』『憂鬱の文学史』『小説家大岡昇平』などがあります。芹沢光治良や芹沢文学についてのお話もしていただけるものと思います。大いに期待しております。

☆第2回「光治良と戦争展」 於 沼津市芹沢光治良記念館

 芹沢光治良記念館で、第1回「光治良と戦争展」が11月1日まで行われていますが、11月14日から来年の5月29日まで第2回の「光治良と戦争展」が引続いて開催されます。その展示作成や準備に御尽力のことと思います。第2回も図録の小冊子を作成中と思いますが、期待しております。
 今年は戦後70年で『芹沢光治良戦中戦後日記』(勉誠出版)が出版出事されました。作家芹沢光治良氏を知ることが出来る貴重な記録であり、芹沢文学の愛読者や研究者は必ず精読しなければならないと思います。大分の芹沢文学読書会でも現在、読み語っています。大河小説『人間の運命』との比較研究も必要です。この機会に、太平洋戦争について語り、平和についても考えましょう。

「ほほえみ通信」最終号  No88    2015年8月8日刊行

 史記の会として発足し、大河小説『人間の運命』を読む会として継続して来た仲間の通信として、伊豆市の斎藤博子さんが刊行していた「ほほえみ通信」がNo88で最終号になりました。A4判でカラーコピーの会誌でした。この10月14日に逝去された藤沢市在住の城戸祐子さんが、この通信に「思い出の中から」と題して十回で連載されましたが、貴重な回想(遺書)となりました。

斎藤さんの意向ですが、終わりましたのが残念に思われてなりません。

◎同封資料/@インタビュー「芹沢光治良ー物言わぬ神の意志を文字に託して」
 芹沢光治良氏が連作を創作していた時に、雑誌「たまNo78」(平成4年4月10日発行)
の瓜谷侑広氏のインタビューを受けて大自然や実相の世界などについて語ったものです。※23年前のインタビューですが、肉声を思い出して読んで下さい。

A文芸評論連載「芹沢文学講和B芹沢光治良と天理教」小串信正

会員便り No54 ※便りが届かなかったので小串が書きます

城戸祐子さんの御逝去   大分県国東市  小串信正

秋の良き季節となりましたが、皆さんお元気にお過ごしのことと思います。私は元気無事に実家で田舎生活を楽しんでおります。散歩も毎朝しています。
 芹沢文学の熱心な愛読者で癌との闘病をしておられた城戸祐子さんが、10月14日に御逝去されました。真に残念でなりません。城戸さんは藤沢市にお住まいでしたが、私が東京で芹沢文学館・東京友の会(芹沢文学研究会)を始めた時から御理解、御協力をいただきました。文通で交流し、お子さんに童話の本などをお送りしたことも思い出されます。私が大分に帰郷して、芹沢文学研究会を再開した時にも入会いただき、ずっと交流が続きました。
 娘さんが結婚されたオーストラリア人の御主人が、別府のAPUの教官(教授?)で由布市に住んでいるということで、いつか御紹介いただけるとのことでしたが、果たせませんでした。ずっとお便りの交換を続けて来ました。
 乳癌になられたと聞いて、励ましのお便りを書きましたが、ずっと癌との闘病を続けられました。平成25年6月13日に沼津市芹沢光治良記念館を鈴木春雄さんと訪ねた時に、藤沢からお出掛けいただきました。体調は悪く心配されましたが、楽しい語らいの時が持てました。沼津市営墓地の芹沢先生のお墓にお参りして帰りたいとのことで、鈴木さんが車でお送りしました。これは、私に最期の挨拶に来ていただいたのだと思っています。
 城戸さんは闘病を続けられましたが、この10月14日にご逝去されました。73歳でしたが、その死が惜しまれてなりません。19目の葬儀には参列出来ませんでしたが、無宗教の音楽葬儀と献花であったとのこと、芹沢先生の葬儀に倣ったのでしょうか。鈴木春雄さんが弔辞を読み、私の弔電もお読みいただいたとのこと。生前の御交誼を感謝し、御冥福をお祈りいたします。合掌

◎芹沢文学豆知識 良識派(ボンセンス)文学者 島崎普から村上春樹まで
 私は、日本文学史への評価付けのない作家芹沢光治良(1896〜1993)を「良識派」と命名し、この流れの生家を「良識派文学者」として研究し論評して来ています。
 良識派の先駆として、森鴎外・夏目撤石の「余裕派」と有島武郎・武者小路実篤等の「白樺派」があります。「良識派」の先輩は島崎藤村(1872〜1943)です。日本ペンクラブを創立し、芹沢光治良は発会から協力し、第五代の日本ペンクラブ会長となりました。もう一人の先輩は野上弥生子(1885〜1985)です。「良識派」の代表作家は芹沢光治良と野上弥生子と思っています。この「良識派」は西欧の大河小説派に繋がっています。その特色を、@知識人・教養人であり良識を持している。A語学力があり世界文学を学び翻訳もしている。B多くの作品を書き続け、大長編小説か大河小説を創作している。C必須ではないが、人生を息抜き長寿であること。D詩歌・随筆・戯曲・評論・人生論なども書いている、などです。島崎藤村は大長編『夜明け前』、野上弥生子は大長編『迷路』
を書き、芹沢光治良は大河小説『人間の運命』(全16巻)を創作しているのです。
 「良識派」の日本の作家には、加賀乙彦(1929〜)・五木寛之(1932〜)・大江健三郎(1935〜)などがあり、村上春樹(1949〜)もこの中に入れています。加賀乙彦は大河小説『永遠の都』『雲の都』を書き、玉木寛之は大河小説『青春の門』を書き続け(?未完)ています。大江健三郎は三部作『燃えあがる緑の木』等多くの作品を創作し、ノーベル文学賞を受賞しました-村上春樹は戦後生まれの団塊の世代です。長編小説『ねじまき鳥クロニクル』(三部作)、『IQ84』(三部作)を書き、世界的に翻訳され愛読されています。カフカ賞・エルサレム賞等を受賞し、10年近く有力候補に挙げられて来ましたが、今年もノーベル文学賞を逃しました。総合小説、ドストヱアスキーの『カラマーゾフの兄弟』のような大長編小説を書きたいと言っていますが、この60代に野上弥生子の『迷路』や芹沢光治良の『人聞の運命』のような大河小説を創作して欲しいと思います。

新入会員の紹介       *その後の入会者はありません。

編集後記・・・・・・・:・・・・:・・・・:・・・・・・・・・・:編集責任 小串信正

 会報95(秋)号をお届けいたします。芹沢文子さん、城戸祐子さんが相次いでお亡くなりになりました。-残念であり、寂しい秋になりました。読書の秋です、芹沢文学を愛読して耐えて行きましょう。芹沢文学は「希望・和楽の文学」です。皆さんの御健康を祈ります。

posted by セリブン at 18:25| Comment(0) | 芹沢文学研究会

2015年05月01日

芹沢文学研究会・会報 No93

芹沢文学研究会・会報

第93号(No93)
2015(平成27)年4月22日(火)刊行
春の歌
鶯や 雲雀囀る 里の道  心楽しも朝の散策     松林庵 主人

芹沢光治良先生の命日
3月23日 今年は没後22年
作家芹沢光治良先生は、平成5(1983)年3月23日に東京の中野区東中野の自宅で96歳10ヶ月の天寿を全うされました。今年の命日で没後22年になりました。もう22年にもなるのかという感慨もあります。沼津市営墓地にお墓が生前に建立されました。墓石には、「古ごろも/ここに納めて/天翔けん」と刻されていて、墓石の上の分厚い石造り本には、「自己確立のために/東大パリ大学に遊んだが/病を得てから/自ら求めて学んだ/イエスに生と愛を/仏陀に死と生を/中国の霊賢に道を/科学者の畏友ジヤツクに/大自然の法則と神の存在を/かくて孤独に生きて/ひたすらただ書いた/光治良」という墓碑銘が刻まれています。この墓碑銘の「イエスに生と愛を」と「仏陀に死と生を」が対で、二人に「生」を学び、特にイエスに「愛」を、仏陀に「死」を学んだことが知られます。
「中国の聖賢に道を」と書かれていることにも注呂する必要があると患います。日本の知詩人は漢文による中国古典から教養を学んだと言えます。天理教や中山みきのことは書かれていません。「科学者の畏友ジャック」とは、パリで結核に倒れて、エーン県のオートビイルの高原療養所での闘病仲間の一人であった天才的な科学者ジヤック・シャルマンのことです。彼に「大自然の法則と持の存在を」学んだと言うのです。墓碑銘に書かれているのですからジヤックは虚構の人ではないのです。「大自然の法則」とは、宇宙自然界の科学的法則であると共に宗教的な原理でもあると恩われます。「神の存在」の神は「大自然の一存」であるからです。この墓碑銘を命日の3月23日毎に、深く再考する必要があると思います。
○『芹沢光治良戦中戦後日記』芹沢光治良著勉誠出版発行三二0O円
 2015年(平成23年)3月30日(月曜日)朝日新聞の一面に広告が掲載
芹沢光治良氏は、戦中から戦後の創作を発表する機会が制限された時期に日記を書き続けました。それらの日記が勉誠出版から刊行されました。朝日新聞に掲載された広告には「1940〜48年まで、超大作『人間の運命』の作家が残した克明な日記を初公開。戦中戦後の庶民と知識人の生活の実体をつぶさに知りうる貴重な資料。詳細解説
=勝呂 奏」と紹介されています。書店からの注文で入手出来ます。
○「沼津市芹沢光治良記念館」パンフ・チラシ英訳版
 沼津市芹沢光治良記念館(仁王一成館長)から、記念館のパンフやチラシ「芹沢光治良ってどんなひと?」の英訳版をお送りいただきました。諸外国の愛読者に対応する試みとして良いと思います。のちに可能ならば、フランス語訳版も出されることを提案いたします。
 参考まで一部を紹介します。館名は「NUMAZU CITY SERIZAWA  KOJIRO MEMORIAL MUSIUM」(仏訳では「SERISAWA」と書くこともある)です。
「文学はもの言わぬ神の意思に言葉を与えることだ」は「Literature is just givinga ward to God's without speaking.」
『巴里に死す』は「Pari ni Shisu(To Die in Paris)」」、大河小説『人間の運命』は「His best known work 『Human Destiny』と訳されています。翻訳では『サムライの末裔』となっていますから、これでも良いのですが、この作品の題は最終的には『一つの世界ーサムライ
の末裔』となっています。「スイス」は「フランスやスイス」とすべきです。半年間、サナトリュームに入ったのはフランスだからです。チラシでは、本名(幼名)の「光治良」の所は「Mitsujiro」とすべきで、「Kojiro」は筆名として使い出してからにすべきです。
「大長編小説 enormous epic novel」は「大河小説」とした方が良いと思います。
○「春の芹沢文学・バスの旅」4月12日(日)芹沢文学愛読者の会
愛知郡東郷可の安井正二・恵美子答夫妻からの「芹沢文学愛読者短信」(第203号)によると、4月12(日)に平石政行さんのお世話で、「再び信楽の呈へ」の春の芹沢文学・パスの旅が行われたようです。スイス在住の芹沢文学愛読者松林幸二郎さん(三重県津市出身)が信楽のギャラリーで友人と「陶芸&リトグラフ展」を開催していて、参加者と交
流。帰途にHIRO MUSIUMで特別展を見学し、見事なしだれ桜を鑑賞したとか。
 ◎同封資料 児童文学(童話)「海の色」芹沢光治良作【拡大×1.4】
雑誌〈落穂ひろいこどものための文学〉こども朝日編昭和22年10月15日朝日新
聞社発行。53頁〜61頁。*芹沢先生のフランス留学中に下宿した家の二人の少年アンリとジヤンとの交流を体験的に作品にしたもの。私は「セリザワ」で、『スリジエ(さくらごと呼ばれ身長が「五尺三寸」と書かれています。フランスの子供の躾が面白く書かれています。〔森次郎文庫資料提供〕
 文学評論連載「芹沢文学講話」@「芹沢光治良氏の氏名と生年」
*これから、芹沢文学についての知識や話題について気楽にお話(講話)します。

会員便り   No52
    二巡目の会員便りです。
思い返せば
埼玉県川越市    加藤優男  かとういさお
先日テレビが、今日でオウム・サリン事件から二十年になると伝えていました。あの日の前夜、芹沢文学愛好会の帰途、東中野の駅前の飲み屋に古参の酒匂さん、本間教授、平山惟美さん、田村英里さん、僕との五人が合流。飲みながら、芹沢文学について語り合い、議論に花を咲かせました。その時、気のせいか、奇妙な眼つきで、我々を観察している男がいたのが印象に残っています。
 思い返せば、昭和四十三年五月神田で、芹沢光治良先生の講演があり、初めてお話を聞くことができました。「川端康成という人はニヒルな人だが、『何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぽるる』と西行が詠んだ歌を引用して話をしています。皆さんも信仰とか神について真剣に考えてみてはいかがでしょうか。」と先生は語りかけました。一方、「貧しさのために私の身体はこんなに小さいのです。」と、怒
りに胸を震わせていました。
 僕が、会に出席する動機の一つは、雑誌『こころの窓』に載っていた小串さんの研究論文に触発されたことと、もう一つ、小説に書かれる現場に立ち会いたいとの願望でした。須釜さんが司会をした愛好会に出席できて、この一場面が小説に書かれましたので、この望みは叶ったことになります。
○随筆「森高さん」野乃富紀子出典/「無人塔」第23号(むじんとうの会発行)
同人誌「無人塔」に、岩手県山田町在住の芹沢文学研究者・野乃宮紀子さんが、昨年の3月6日に胸痛(先天性心臓疾患)で急逝(印歳)された森高啓介さんのことを書かれています。この同人誌を野乃宮さんからお送りいただきましたので、御紹介します。会員の多くの方々は御存知かと思いますが、森高さんはホームページ「芹沢光治良文学館」を1998年3月に開設し、ずっと誠実に運営し充実させて来ました。その交流を詳細に書いています。「文学館管理人の月報」に感動してメールも交換するようになりました。手紙もやり取りし、森高さんが香織さんと結婚されてから四回お会いしたとか。「誰よりも生命の尊さを自覚し、実感し、感謝し、生かされていることを素直に喜んだ。人はみな十分に与えられ必要なだけ生かされている。そのことに気づいている人は幸福である。森高さんは幸福な人であった。」と追悼しています。森高さんはHP「芹沢光治良文学館」を残しました。
この同人誌には、御主人渡部芳紀先生(中央大学名誉教授)の紀行文「地球一周航海日誌盟中南米編・太平洋・帰国」も掲載されています。
渡部先生は、「沼津朝日』に「芹沢光治良ゆかりの地を訪ねて」を連載しています。当芹沢文学研究会の顧問として御指導いただいています。
○芹沢文学・大分友の会「芹沢文学読書会」第112回於大分県立図書館
平成8年(1996)9月に芹沢文学・大分友の会として発会し、奇数月(年6回)に大分県立図書館の研修室で持たれて来た「芹沢文学読書会」がこの3月8日に第112回となりました。18年目の歩みを重ねています。会員は少ないのですが、熱心な会員に支えられて継続しています。
○新年度の年会費納入のお願い ※未納の方は納入して下さい。
年会費は今年も1800円に据え置きますので、同封の払込取扱票一にて納入いただきたいと存じます。寄付も受け入れますが、無理をされませんように。尚、どうしても退会される方はハガキ等にて御一報下さい。
☆編集後記・・・・・編集責任小串信正:;
会報No93(春)号をお届けします。桜前線が北上して野山は春の盛りとなりました。私は毎朝、ラジオ体操のあと、海浜への散歩に出掛けています。鴛や雲雀が鳴り、爽快な朝散歩を楽しんでいます。カメラを持参して「哲学の道」を歩き、海浜で朝日に合掌・深呼吸をし足の屈伸もします。俳句を作り、員殻類などを拾ったりもします・良い季節となりました・芹沢文学を愛読していきましょう。

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