seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良と作家: 芹沢光治良文学愛好会

2025年12月04日

人物評 「芹沢光治良氏のこと」 遠藤周作

人物評「芹沢光治良氏のこと」遠藤周作 (初出『日本文学全集 19645新潮社「こころの風景なつかしき人々 119961010小学館発行 64~68 1100



芹沢光治良氏のこと


 五年ほど前の冬のことである。その冬、ぼくは巴里にいた。雨の降っている夕方に(町の名も忘れてしまったが)ある人を訪問して、その人の事務所から出て歩道歩きだした時、一人の中年の仏蘭西人につかまった。

「あなたは、日本人ではないでしょうか」

「そうです」

 こちらがそう答えると、人は、おたずねしたいことがあるが宜しいかと言う。

「実は、私はお国の作家、ムッシュー・セリザワの『サムライの後裔」という小説を読んで非常に感動したのだが、他に彼の小説で仏訳か英訳の出ているのを御存知ありませんか?

 彼女にそう言われて、私は首をかしげた。芹沢氏の巴里における出版社はロベール・ラフォンだときいている。しかしロベール・ラフォンに問いあわせろとだけ返事するのはこの婦人に薄情な気がした。日本の小説を愛してくれるこの仏人には日本の作家の端くれとして親切にしてあげるべきであろう。私は紙を出し、文芸手帳をめくって芹沢氏の住所を紙に書いた。

「これが作者の住所です。おそらくあなたが手紙を出されたら、必ず返事を下さるでしょう」

 その婦人はとても嬉しそうに礼を言って去って行った。私も我がことのように嬉しかった。

 「サムライの末裔」「巴里に死す」の仏訳本の題である。私はこれを戦争中によんだ記憶がある。

 芹沢氏の作品に初めて接したのは戦争中、まだ学生の頃だ。新潮社からその頃、昭和名作選集というのが出て、その中には阿部知二氏や芹沢氏の作品がふくまれていた。それから私は氏の作品を少しずつ読みはじめた。そしてその頃は氏は何かきびしい、近よりがたい人のように勝手に想像していたのである。

 私がはじめて芹沢氏にお目にかかったのは自分はやっと小説家になり、「三田文学」の先輩の阿部光子さんにつれられて三宿のお宅に伺った時である。学生時代から氏の作品を読みつづけていた私は、実際にみた芹沢氏と、自分が長い間想像していた氏との間に大きな食い違いがあるような気がした。

 想像の中では芹沢氏は、非常にきびしい顔だちをされた近よりがたい作家だった。

しかし実際にお目にかかった氏はニコニコと笑われ、女性的なくらい優しい声でゆっくりと話される人だった。

 芹沢氏は笑いながら、巴里にいられる令嬢のお話や、一番下のお嬢さまも向うに行きたがって困ります、などと語られていた。このピアノを勉強されている令嬢たちには、後に私も巴里でお目にかかった。

 しかし私はすぐ気がついた。私の空想していた氏と実の氏とは食い違いはないこと、このニコニコと笑いながら、優しく話される氏の内側は古武士のような潔癖さと忍耐心と、それからきびしい精神が存在しているのであって、それは後になって、氏からお手紙を頂いた時、はっきりとわかった。その手紙には、肺ガンの疑いがあったので自分は誰にも言わず耐えていたという一行があったからだ。

 私は氏と同じように仏国に留学し、その仏で胸部疾患に倒れ、その後、帰国して小説家になったという同じような 過程を経てきたためか、氏の作品仏訳までも眼を通してさせて頂いている。芹沢作品集のあと書きも書かせて頂いた。

しかし同じような過程を経ながら、私には芹沢氏のような強い意志、きびしい克己の精神がとてもない。氏の作品を読むたびにこの強い意志ときびしい克己心に慣れのようなものを感じる。

 近頃の芹沢氏はますますお元気のようだ。なども薔薇色でまるで少年のような若々しさを感じさせることがある。今、大河小説にとり組んでいられるそうだが、その完成を待っているのは私たちだけではなく、あの冬の日の歩道で私をつかまえた仏蘭西人のような外国の読書も多いのである。

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2007年07月22日

江国香織と芹沢光治良

 芹沢光治良全国愛読者大会のポスターの校正が終わりました。ただいま印刷中です。次回、7月29日の月例会で、公開します。お楽しみにして下さい。

 2004年に「号泣する準備はできていた」で直木賞を受賞した江国香織は、20代前半に1年間アメリカのデラウェア大学に留学しました。この時芹沢光治良の『結婚』に出会っています。留学中、日本語が読めなくていいやと思っていた江国は、留学して数ヶ月後、ニューヨークの日本の本の専門店を覗き、すごく動揺し、陶然となったそうです。

 日々英語に格闘していた江国は、読まなくても活字を見ているだけで、肌が言葉を吸収してしまったそうです。しかし日本の本といってもニューヨークでは洋書。値段が高く、学生でお金のない江国は、、その場で読んでしまうことにしたそうです。

 芹沢光治良の『結婚』を隅々まで舐めるように読んだ。本屋に座り込んで本を読んだのはあの時だけだと書いています。

 江国香織は恋愛小説、童話的な作品と様々に作品を書いています。いつか芹沢光治良論を聴いてみたいですね。





投稿者: 管理人 日時: 2007年07月22日 06:40
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2007年07月09日

大江健三郎氏と芹沢光治良

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 愛好会会員のI氏から大江健三郎氏が芹沢光治良に言及している本を紹介していただきました。

 2007年5月発行の『大江健三郎 作家自身を語る』です。新潮社でISBN9784-10-303618-0です。聞き手の尾崎真理子氏が「大江健三郎、106の質問に立ち向かう」でふれています。大江氏は短篇について芹沢作品を高く評価しています。氏が評価する短篇作品とはどういうものでしょうか?大江氏が、1994年3月20日に講演された人性批評家(モラリスト)の文学ー芹沢光治良の生涯の独特さーの講演のなかでは、『ブルジョア』『巴里に死す』『死者との対話』を挙げて話されています。短篇は、『死者との対話』です。大江氏は、「そこにあるのは非常に男らしい、責任を持って生きている、信頼できる知識人という芹沢光治良というひとですね、・・・」と「戦後知識人として新しくなっていかなくてはいけない」という事は「唖の娘に話しかけるように」という事だと話されています。

 大江氏は、また、この講演の中で芹沢光治良の短篇にこの様にふれています。「戦争直後の短篇のように今、手に入らないけれども、どのように僕達と同じ時代を見つめて、モラリストとして生きて来られたかということが、よく判る小説を読むことができます。人間の観察の点でも、そして或いは人間の魂、精神についてどう考えるかという点でも、、すなわちモラリストの文学というものが、日本でこの百数十年の近代文学の歴史の中で、芹沢光治良というどのように見事な結実を示しているか」とまとめています。

 大江氏の講演録を読んでいて、今の時代こそ、精神、魂を大切にする風潮が失われて来ている中、芹沢光治良が考えるそれらを小説で経験することは大切だと改めて思いました。


posted by セリブン at 22:51| Comment(0) | 芹沢光治良と作家