故 傳田朴也儀 1月6日午前11時51分 84歳にて永眠いたしました。
ここに生前のご厚誼を深謝し、謹んでご通知申し上げます。
葬儀は下記の通りです。
一、通夜 1月13日(日)午後6時
一、葬儀 1月14日(月)午前10時
一、出棺 1月14日(月)午前11時30分
一、場所 駿東平安典礼会館
〒411-0911 駿東郡清水町久米田69-8
Tel 055-991-5751 Fax 055-991-5750
一、喪主 傳田 光 様
一、施主 傳田 正史 様
※ 弔電・レタックス受付 駿東平安典礼会館(1月13日必着)
※ 生花受付 平安葬祭本部
Tel 055-931-5001 Fax 055-932-5690
投稿者: 管理人 日時: 2008年01月09日 21:54
2008年01月09日
訃報御案内
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| 全国大会
2007年12月31日
第6回全国大会のご協力ありがとうございました。
2007年、芹沢光治良生誕111周年・愛好会30周年が終わろうとしています。あっという間の一年間でした。全国大会では、様々な人のおかげで、改めて芹沢光治良を考えるきっかけになりました。
2007年をふりかえりますと、倫理崩壊が目についた一年間だったと思います。『人間の生命』(P12)で(僕は天の将軍から、次の天皇の御代はへいせいという年号だと、聞かされた。へいせいと、僕は問い返した。うん、大自然の親神は、世界を平らに踏みならして、陽気暮らしが成ると、言うてるでーとの答えだった。)と書いてあります。
親神が平らに直してみると、いろいろ今まで見えなかったものが見えてきました。どうしても良いところよりも悪いところが目立った年でした。特に大人の世代での倫理観や道徳的節度がなくなり,社会的な責任を果たさないことが、日々の生活で実感させらました。
10代の青少年の非常識な行いを強く批判されています。しかし、大人の側がこの現状では、青少年に良い影響を与えられません。40代と思われる男の責任者が記者会見でその偽装をパートやアルバイトの責任だと押しつけ、そのわびる記者会見で70代の母親が小声でアドバイスしている姿こそが、節度が無くなって来たことを象徴しています。
私の勤務する高校では、部活に参加しない多くの生徒がアルバイトをしています。仕事の現場で大人のこのような矛盾した行為、言動を見ているかもしれません。
親神がいう陽気暮らしをさせてもらうには、大人の私達が倫理感をしっかり持たなくてはいけないのではないかと今日考えていました。
私が、キックボクシングに通っている道場に来ている選手が、K1 PREMIUM 2007 DYNAMITEのK1甲子園に出場した。才賀紀佐衛門という18歳の少年だ。一緒に練習する時があるが、彼や親身になって指導しているコーチともどもとても純真だ。コーチの矛盾ない態度と言動がこの才能あふれる才賀選手を引っ張っていくのだろう。格闘の世界では、平らに成ったところで(同じルール)で勝敗をきめるところ。技術、精神力の違いが回りの私達からしっかりと見られてしまう。現実を受け入れ厳しい練習を自分に課す。これも陽気暮らしではないだろうか。
HP管理人の独り言でした。HP管理人の独り言でした。
投稿者: 管理人 日時: 2007年12月31日 21:07
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| 全国大会
2007年12月25日
第6回芹沢光治良愛読者全国交流会報告8
・・・ この頃、神シリーズをお書きになるのですね。少しだんだん世界は平和な方向へ向かいつつあるということを、意識なさって、ますますそれを推し進めていかなくてはならない。と芹沢先生は思っていらしたそうです。
そのあと、大江さんのノーベル賞があり、今日本に文学者が多いですけど世界的に知られているのは、まあ大江さんのもの、村上春樹さんのものがアメリカ、ヨーロッパ、中国で読まれている。このころまでは平和で良かったのですが、平成13年に国際貿易センターに旅客機が突入してそこからちょっと困った感じが広がってきたと、有用なものが近代の歴史と文学というものの流れだと思います。
と羽鳥先生は、明解な語り口で、文学史をまとめていただきました。この理解の前提で「近代文学に於ける芹沢光治良の位置」という話しが進んでいきます。
じゃーこういう文学の歴史の中で、芹沢さんの文学はどんな風にとらえられているだろうかということをちょっと見ています。
次の「既存の文学史の中の芹沢文学」
「昭和文学12講」というのが昭和25年12月改造社から出ています。その中の第5講新興芸術派と新心理主義文学)を伊藤整さんが書いていますが、昭和5年に改造社から新鋭文学叢書が出ましたので芹沢さんが書いていると書いていますが芹沢文学がどうこうと書いていらしゃらない。
次に高見順さんの『昭和文学盛衰史 二』(昭和33年11月、文芸春秋社)に出ましたがその第4章といろいろな例をあげてどのように評論されているか教えてくれました。
この作品の中で、〈作品、人物ともにヒューマニスティックな、そして国際的な目を持〉つ、〈出発から今日に至るまで、ずっと自由主義者として貫いている〉、と表されています。
羽鳥先生は、過去の文献をひもといて「既存の文学の中の芹沢文学」を紹介してくれます。
そこで羽鳥先生は、新しい視点を提示します。
さっき述べた、その復習した文学史は、ごく一般的なもので、文学史といってもね、
2007年12月25日 06:28 (続きます)
そのあと、大江さんのノーベル賞があり、今日本に文学者が多いですけど世界的に知られているのは、まあ大江さんのもの、村上春樹さんのものがアメリカ、ヨーロッパ、中国で読まれている。このころまでは平和で良かったのですが、平成13年に国際貿易センターに旅客機が突入してそこからちょっと困った感じが広がってきたと、有用なものが近代の歴史と文学というものの流れだと思います。
と羽鳥先生は、明解な語り口で、文学史をまとめていただきました。この理解の前提で「近代文学に於ける芹沢光治良の位置」という話しが進んでいきます。
じゃーこういう文学の歴史の中で、芹沢さんの文学はどんな風にとらえられているだろうかということをちょっと見ています。
次の「既存の文学史の中の芹沢文学」
「昭和文学12講」というのが昭和25年12月改造社から出ています。その中の第5講新興芸術派と新心理主義文学)を伊藤整さんが書いていますが、昭和5年に改造社から新鋭文学叢書が出ましたので芹沢さんが書いていると書いていますが芹沢文学がどうこうと書いていらしゃらない。
次に高見順さんの『昭和文学盛衰史 二』(昭和33年11月、文芸春秋社)に出ましたがその第4章といろいろな例をあげてどのように評論されているか教えてくれました。
この作品の中で、〈作品、人物ともにヒューマニスティックな、そして国際的な目を持〉つ、〈出発から今日に至るまで、ずっと自由主義者として貫いている〉、と表されています。
羽鳥先生は、過去の文献をひもといて「既存の文学の中の芹沢文学」を紹介してくれます。
そこで羽鳥先生は、新しい視点を提示します。
さっき述べた、その復習した文学史は、ごく一般的なもので、文学史といってもね、
2007年12月25日 06:28 (続きます)
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