seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良とフランス: 芹沢光治良文学愛好会

2008年08月17日

芹沢文学研究会より

 今日は東京は涼しく、よく眠れました。

大分県より、芹沢文学研究会の会報が届きました。読書会とは違い、芹沢光治良の文学を研究する会です。

四季報/芹沢文学研究会・会報  
夏号  2008(平成20)年7月31日刊行

芹沢文学研究会・会報

   第六十六号
(No66)

 夏 号

◎サロン・マガノリア
 *2007年4月〜2008年4月の記録ノート*
 岡玲子様から今年も「サロン・マグノリア記録ノート」が届きました。一年分の講演会やコンサートなどの催物を記録した小冊子です。最初に「サロン・マグノリアと私」 (加藤恵美子) 「疎開日記から」 (芹沢光治良)が載せられ、昨年の4月30日の喪生日記念講演会として、金井豊平(杵星五平)氏の講話「感動した『坂の上の家』や邦楽「京鹿の小娘道成寺」や江戸端唄「木遣りくずし」の演奏も行われました。6月「パリの日本人」(近藤慣行)、7月「芹沢光治良の生命観」(鈴木貞美)、10月「ピアノ・コンサート」
(岡玲子)、11月「『私の歩んだ道』と芹沢光治良先生」(菊島竹丸・柴田洋子)、12月「1900〜1945雑誌の姿あれこれ」(川島澄子)、2月「しあわせはいつもいま」 (山崎陽子)、3月「『芹沢光治良研究』を刊行して」(鈴木吉維)、4月「中村真一郎ラジオドラマシリーズ『三角な夢』」 (佐岐えりぬ他)。「もう少し加えます」や参加者名簿なども収録されています。貴重な記録で、着実な歩みを知ることが出来ます。
 お便りには、チューリッヒ大学の可ブルジョア論を書かれたSimon Muellerさんが、
東京に8月10日〜22日に滞在されていて、17日にお招きされるとありました。新しい交流が開かれることを期待しています。スイスなどヨーロッパに、再び芹沢文学の愛読者や研究者が増えてくることを念頭しております。地方にいると参加できないことが残念です。

◎『芹沢光治良の奇蹟』(森高啓介氏)
 エッセイに読み取る芹沢光治良・誕生記念講演会
 岡玲子様から小冊子『芹沢光治良の奇蹟』も送られてきました。これは、今年の誕生記念会(15回目)での森高啓介氏の講演(奥様が代読)を活字化したものです。森高氏は、皆さんも衝存じかと思いますが、インターネットで「芹沢光治良の一読者による私設ホームページ」を開設し維持されています。
  24貫の小冊子ですが、「芹沢光治良という作家はどうやって誕生したか」「対人関係に見る芹沢光治艮」 「エッセイにおける奇跡的な出会い」 「おわりに」などの内容です。『教祖様』 『男の生涯』「失恋者の手紙」 「わが青春」 『こころの広場』 『文学者の運命』 『文芸手帖】 「小さい運命」 『こころの旅』 『幸福への招待』 「生きる日の悦び」 『愛情』、そして『人間の運命』や「最後の連作、神シリーズ」などの作品をもとに話されて(書かれて)います。
  「評論家の方々とは逢った、あまり文学的でない、わかりやすい芹沢光治良論」として、「神」 「信仰」 「出会い」 「文学への思い」 「気の強さ」 「気の優しさ」 「こころの広さ」 「日ごろから常に自己を反省することで、天に通じるような生き方」など多くのことが丁寧に語られています。 森高啓介氏のホームページは、下のアドレスのようです。 http://www.hi-ho.ne.jp/kstudio/kojiro/

◎芹沢文学(秋田)緑陰紀行
 *2008年7月19日〜21日・芹沢光治良文学愛好会*
 芹沢氏が官吏として赴任した秋田営林局などを訪ねる緑陰紀行を開催。「石川達三記念室」等も訪ね、瀬田川昌裕先生の文芸講演「秋田と芹沢文学」もありました。27名の参加があり、楽しい文学の旅が行われたようです。小冊子案内やアルバムも作成されました。


同封資料
・資料/短編小説「ゲイシヤ・ガール」芹沢光治良。昭和27年3月1日刊行の雑誌〈小説新潮〉に発表。
 *戦後の創作ですが、まだ歴史的仮名遣いで書かれています。実体験をもとに書かれたものと思われます。
コピーが不鮮明です。   〔中村輝子氏資料提供〕
◎「会員便り」☆★せ★
 *順番に会見各位の便りを掲載していきます。
    信仰          
No29          福岡市博多区 H・S(管理人の方で匿名としました)
  会員の皆様へお便りいたします。
  私の芹沢文学との出会いは三年程前の学生の頃便です。神・宗教・信仰、生き方などいろいろ考えていた時でした。私は読書の習慣などなく本を読まない現代の若者の一人です。ただ神シリーズ・教祖様はすぐに読破しました。非科学的な場面などは非常に興味をそそられましたが、その優しい文体と読んでいくうちに心が開放されていく心地よさが魅力です。
 大自然は常に我々人間に与えつくしているのに何かを求めてしまいます。お願い信仰になりがちです。現状に感謝できてないのが今の私でもあります。
 外にばかり神を求めて、人間は自分の中に宿している神を忘れてしまいます。日のもとである日本に生まれたこと、生かされていることに感謝を忘れずに生きていかなければなりません。
 連日、暴い日が続いておりますが、皆様の衝健康をお祈りいたします。
◎芹沢文学 豆知識J =紀と記の書名=
 *長編小説『懺悔機』の評価と愛読のお勧め*
  隔月(奇数月)に大分県立図書館で持たれている「芹沢文学読書会」で長編小説『懐悔紀』を読み語りました。『懺悔紀』を『ざんげ紀』『懺悔記』 『ざんげ記』と書かれているのもあり、混乱しています。
 紀の書名は、『希望紀』 『習俗紀』 『幸福紀』 に使われ、記の書名は、『青春記』『純情記』 『真実記』『哀愁記』などに使われています。
  『懺悔紀』は、戦中に書かれたものですが、作者の愛着のある作品です。芹沢文学の代表作の一つとして高く評価されるべきであると再確認しました。

 会報No66(夏号)をお届けします。連日の猛暑ですが、お元気にお過ごしのことと思います。芹沢文学を心の糧として愛読していきたいものですね。
    

 ◇刊行 芹沢文学研究会
〒870 0171 大分県大分市法勝台3丁目8番2号
п@〔FAX〕 097(527)6657 事務局小串信正



投稿者: 管理人 日時: 2008年08月17日 09:05
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2007年04月15日

芹沢光治良氏のフランス留学の生活

 芹沢光治良氏は、その代表作『人間の運命』にフランス時代の留学生活について書かれていないので、その詳細はなかなかわかりません。芹沢光治良氏が何かの折に書いたものを整理して、その留学時代にふれる事が出来ればHPで書き出していきたいと思います。本日は、芹沢先生がボアロー街で一緒に下宿していた人を紹介します。

 昭和22年10月1日発行「婦人世界」10月号(ロマンス社)より

 芹沢先生がパリで下宿したのは、ボアロー街。老文学者ベレソール氏と市役所の役人、十歳ばかりの少年を連れた一人の夫人が下宿していた。

 この夫人の名はルネ夫人(34〜5歳)といい、少年の名はミッチェルといいます。彼女は戦争未亡人であり、主人は内務省の役人だった。ミッチェルは、早く生まれ、何処か弱くて、、夫人は育てるのに苦労したそうです。

 ルネ夫人の家兄は、フランス農林省の林政局長をしていたそうで芹沢光治良先生は、農林省の嘱託事務という立場で、夫人の兄さんに頼んでナンシーの農林学校の卒業生と、ある夏十日間国有林で過ごしたそうです。

 こんなことから芹沢光治良先生は、夫人一家と親しくなったそうです。ルネ夫人は芹沢光治良先生達が帰国してからも年に数回便りをくれた間柄だそうです。



 愛好会会員N様。貴重な情報をメールでいただきましたが、そのメールを受けたパソコンが残念ながら修理中です。直りましたら、HPで公開したいと思います。

NHK教育で23時より清元の「隅田川」が放送されます。私は、見る予定です。また、同じチャンネルで21:00より「吹奏楽のススメ」があります。愛好会会員A様是非見て下さい。月例会の休憩時間で語り合いましょう。管理人の学校の定期演奏会にAさん来ていただいきました。A様の学生時代とは大部違うと話されました。確かに吹奏楽の曲も一作品40分近いものが高校生が演奏してしまう時代です。3時間半に及ぶ長い演奏会最後までつきあっていただいてありがとうございました。

 NHKといえば、「風林火山」面白いですね。最初は、原作にない部分でありましたが、原作に入ったとたん、山本勘助の雰囲気が変わったのは原作の力ですね。

posted by セリブン at 15:46| Comment(0) | 芹沢光治良とフランス