seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良の周りの人物: 芹沢光治良文学愛好会

2023年07月02日

訃報

芹沢光治良文学館で、訪問者の方々に、いつも優しくお話をしてくれたり、お話を聞いてくれた澤田角江様が令和5年6月30日(金) 20:35に老衰で84歳の生涯を終えられました。通夜および告別式が以下の日程で行われますので謹んでお知らせ申し上げます。


喪主

  澤田友子 

斎場

  静岡県駿東郡長泉町下土狩(しもとがり)71−11

  平安典礼ステーションホール  

  TEL:055−999-2000

  JR三島駅北口 車2分 徒歩5

通夜

  7月4日(火) 18:00〜

告別式

  7月5日(水) 10:30〜


ここに私達に芹沢光治良文学の理解を深めるために奔走しているご生前の活動に感謝いたします。             合掌

posted by セリブン at 15:56| Comment(0) | 芹沢光治良の周りの人物

2022年07月23日

リリー・コルネリッサン 『愛と知と悲しみと』

『愛と知と悲しみと』では、石川三四郎から紹介されたアナーキストのジャック・ルクリュとの交流ついて書かれた小説です。

ジャックとリリー・コルネリッサン(小説では、コルネリッサン夫人)との関係をふまえ、「私」が中国の作家巴金(はきん)に呼びかける形で進行します。そのコルネリッサン夫人について調べました。


1878年頃にフリードリッヒシュタット(シュレスヴィヒ、ドイツ)で生まれ、1952年にプレシロビンソン(オードセーヌ)で亡くなりました。アナキスト。



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 オランダで育ったリリー・ルペルトゥスは、1898年にオランダのアナキスト、クリスティアン・コルネリッセンと友達になり、1904年に息子のフレデリック(フレディ)が生まれました。彼らはパリ郊外のクラマートで1911年にBourg-la-Reineを設立しました。

リリーは、翻訳を通じてコーネリッセンが発行した労働組合運動の国際速報に寄稿しました。 とりわけ、それは人々を互いに接触させ、広大な知的で過激な環境を頻繁に訪れました。 マックス・ネットラウとの彼女の通信はこれを証明しています:彼女は彼女の家の常連として、エマ・ゴールドマン、ルドルフとミリー・ロッカー、石川三四郎、そしてパリの仲間とリュクル家に集まっていました。人類学者のアーノルド・ファン・ゲネップ、政治家科学者ロバートミヒェルス。 彼女はまた、長老たち、墓、プーゲ、ゲリノーを忠実に訪問します...フランス語とドイツ語でのこの通信は、貴重な情報源です。

1920年頃、彼女は夫と別居し、20年後輩のジャック・ルクリュスと暮らしました。 彼女は1933年から1934年に中国で彼を訪ねました。 彼女は翻訳と秘書の仕事をしていました。

Groupe des Temps Nouveauxのメンバーであり、MarcPierrotが創刊した雑誌PlusLoinに寄稿しました。

彼女はクロポトキンの孫娘、ピエラ(1922-c.1945)を育てました。


 とても才能があった女性でした。コルネリッサン氏とリリーさん、ジャックとの関係は、『愛と知と悲しみ』の中でも取り上げられています。コルネリッサン夫人として小説に書かれている彼女は、ルクリュという名前も変えないので、深くジャックに対して見返りのない愛を最後まで実践します。私は、芹沢先生が、この小説で言いたかったのは、それではないかと思っています。




posted by セリブン at 22:46| Comment(0) | 芹沢光治良の周りの人物

2022年07月17日

エドワール・エストニエ Édouard Estaunié

フランスのディジョンで生まれたエドワール・エストニエ(1862-1942)は、彼の作品「TraitéPractiquedeTélécommunicationÉlectrique」で「電気通信」という用語を発明したエンジニアでもありました。


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posted by セリブン at 08:00| Comment(0) | 芹沢光治良の周りの人物