seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良の作品について: 芹沢光治良文学愛好会

2022年10月14日

100分de名著

100de名著に芹沢作品を取り上げていただきたいために、このような文を考えました。

今後、扱って欲しい名著
 芹沢光治良の『巴里に死す』
理由
 7月8日にテロが起こり、あの悪夢と言って良い暗い戦前の社会情勢に近づいているのかと不安になっています。芹沢の『巴里に死す』は第二次大戦末期の最も凄惨な状況下に書かれています。戦争中、人間の生命が軽んじられ、生命は尊く死を急ぐなと、絶叫したい気持ちを耐えて、この慎ましい小説を書いたと芹沢は、言っています。主題は「命の尊厳」です。戦力増強に資しない作品ととられてもおかしくありません。しかし芹沢は一度も軍からも編集部からも注意を受けないで、しかも一字の伏せ字もなく、作品は「婦人公論」に昭和17年1月から12月まで連載され、完結しました。湯川編集長が、反戦的な作品ではなし、銃後を激励する作品として、多くの読者が感動して寄せる手紙を、毎月提出して、軍の避難を外し、単行本を6千部出す許可と紙の配給をようやく得たと芹沢に苦労を話しています。


posted by セリブン at 20:29| Comment(5) | 芹沢光治良の作品について

2017年04月24日

芹沢先生の本が復刻されました。

 こんにちは。芹沢光治良先生の本が完全復刻されました。

 生誕120周年記念です。

 今、よみがえる、珠玉の少女小説!とありますが、なかなか読み応えがあるものです。

 ポプラ社 電話 03-3357-2212 又は アマゾンで注文してください。

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posted by セリブン at 08:17| Comment(0) | 芹沢光治良の作品について

2015年01月28日

『人間の運命』第16巻『遠ざかった明日』修正版刊行のお願いにそうだと思う私!!皆さんも考えて下さい。

『遠ざかった明日』もこんなに間違いがあったのですか。
私達は、なぜ出版社から訂正一覧が来ないのかという事と、完成版として研究した成果を出すと言うことで、地元の図書館に紹介してかつ
自分も全巻買ったのに、どういうことなのでしょうか?
間違いは1巻2巻にあり、批判もされ、巻が増えるにつれ、当然直されていくと思ってました。
しかし、芹沢研究会さんが教えてくれた事実関係は、研究の結果が私と違うと言うことではなく、いたずらに字を詰め込んだ本というイメージを持ってしまいます。
 批判しあっていくところい『良いもの』が出来上がることを信じています。
 以下の文を読んで下さい。           (管理人 )


『人間の運命』第16巻『遠ざかった明日』修正版刊行のお願い
芹沢文学研究会
小串信正
大河小説『人間の運命』が全日巻で刊行されたのは、素晴しいことです。しかし、余りに校正が足りず、芹沢光治良先生の改訂もど
れだけ忠実にされているか疑問があります。第1巻『次郎の生いたち』・第2巻『親と子』の修正版が出されるようですが、もう一つ決
定的に問題がある巻があります。終章の第日巻『遠ざかった明日』です。この{編集付記】によると、この巻は「他の巻のような著者
訂正本は残されていない」とのこと。芹沢先生は、この巻の改訂は必要ないと思われたものと拝察します。ところが、この第日巻『遠
ざかった明日』の底本を昭和釘年1月の新潮社版の単行本にしたことが大きな問題です。何故なら、生前の最後に校訂した『速さかっ
た明日』が昭和羽年8月発行の新潮社版『芹揮光治良作品集第6巻』に収録されているからです。貴社の編集者もこの巻を確認して
いて、「参照した」と書いていますが、『パリに死す』を『巴里に死す』にしたこと、国名のイタリーをイタリア、人名のベランを守フラ
ン、ジュルをジュール、ハアモンをハiモンにしているくらいで、余りに多くの改訂が変更されていません。私は今回、徹底的に比較
精読して、第日巻の底本を昭和U年1月の単行本にしたことは、大変なミスであったと確認しました。どうして、最終版の『芹浬光
治良作品集第6巻』収録の『遠ざかった明日』を底本にしなかったのかと思います。この版こそ、芹沢先生の生前の校訂であったの
です。貴社の刊行した『遠ざかった明日』に『芹津光治良作品集第6巻』収録の『遠ざかった明日』の改訂したことを全て書き込み
ましたが、膨大なものです。全てをここに書いて示すことは出来ませんが、代表的なことを例として書いてみます。是非とも、この二
つを比較精読していただきたいと思います。何とかこの第日巻『遠ざかった明日』の修正版も刊行していただきたいと存じます。
問題点の例
@昭和姐年8月発行の『遠ざかった明日』には、単行本のものに多くのルピが追加されましたが、新しく入れられたルピは第日巻の
『遠ざかった明日』には付けられていません。作品集で単行本のルピが除かれたものも少しありますが、そのルピは除かれていませ
ん。戦後生まれの若い読者には、作品集に収録された『遠ざかった明日』でルピが付けられたものの方が良いと思います。
A校正ミスの例としては、お頁の「作っていたか」は「作っていたが」、g頁の「つげられた」は「つけられた」、包頁の「過して」は
「通して」、同日頁の「園祭日」(単行本で既にミス)は「国際日」、Ng頁の「ご理慮」(単行本でもミス)はコ」遠慮」、また口ω頁の「ある
のを。」は「あるのを、」、Ng頁の「痛ましくなり。」は「痛ましくなり、」のように句読点のミスもある。NE頁で「法王ピオ十二世」
と正しく改訂されているのに、Mg頁は「法王ピオ十一世」(語注の印*はここに付けられるべき)のミスのままである。敬語として間違っ
た巳斗頁「申す」を「仰有る」、Eω頁の「申して」を「仰有って」と作品集で改訂しているのに単行本のままになっています。
B外国人の人名や地名でカタカナ表記が新しいものになっているのに、単行本を底本にしたので、変更されていません。たとえば、Eω
頁以後に、フランスの有名な俳優の名を単行本では「ルイ・ジュベ」と書かれていますが、これは作品集の時に「ルイ・ジユウベ」
と変更されました。『人間の運命』の第15巻以前の巻にも、この俳優の名が出て来ますが、「ルイ・ジュウベ」と書かれています。この第16巻のみ「ルイ・ジュベ」となり、
70頁の人名「カクマツジヤク」を「郭沫若」に、73頁人名「ヨサノ」を「与謝野」に作品集では改めたのに変更されていません。同様に、66頁「ドウソン」が「ドーソン」、68頁「ブラッセル」76頁「ブリユッセル」が「ブルッセル」〔注73頁はブルッセルと改められていて統一されていない〕、83頁〜「エイグル駅」が「エーグル駅」、87頁〜の人名「ルツソー」が「ルソー」、160頁〜の地名「ラタン区」が「ラテン区」、173頁の地名「ハンダイ」が「アンデイ」と変更されいるのに、単行本のままですので改訂されていません。
C「ー」が除かれたものとして、101頁〜の人名「アンリー」は「アンリ」に、191頁〜の地名「ブランリー」は「ブランリー」に、288頁「ボンベ−」は「ボンベ」に、フランス語の205頁「パ・プレー」は「パ・プレ」に、265頁「コンセルバトアール」は「コンセルバトアル」に、232頁「プーレ」は「ピュレ」に、265頁の地名「ヌベール」は「ヌヴェル」に変更されたのに改められていません。72頁の国名「ユーゴスラビア」78頁「ユーゴースラビア」と統一されていません。逆に「ー」が付けられた186頁「キャバレー」が「キヤバレ」のままで改められていないものもあります。「ー」を「ウ」に変更したものに166頁〜「サナトリューム」を「サナトリウム」がありますが改められていません。そして、「・」が除かれたものとしては、182頁〜「キュルム・ホテル」は「キュルムホテル」、「グランド・ホテル」は「グランドホテル」、フランス語「ボン・ジュール」を「ボンジュール」などがあります。逆に「・」が入れられた
ものに、83頁の山名「モンブラン」は「モン・ブラン」がありますが、これらも改められていません。
D平仮名の表現で改訂された例として、76頁から「おる」は「いる」へ、88頁「おって」は「いて」へ、「ある」は「いる」へ、「おおそれた」は「だいそれた」へ変更などがありますが、単行本のままですから改訂されていません。
E漢字で旧字体の「躰」は作品集では全て「体」に、「註文」は「注文」に変更されているのに、単行本のままで改訂されていません。
F47・188・282頁「一人一人」は「一人々々」に、50頁「我利我利」は「我利々々」に、210頁「一通一通」は「一通々々」に、281・284頁「馬鹿馬鹿」は「馬鹿々々」に、145頁「清清しい」は「清々しい」に改訂されいるのに、単行本のままです。また逆に、2・49頁の「人々」は「人人」、271頁「処々」は「処処」に改訂されているのに、単行本のままなので改められていません。
G平仮名を漢字にしたものの例。23頁「よる」は「寄る」、24頁「いっしょ」は「一緒」、25頁「るる」は「棲々」、44頁「のり」は「糊」、52頁「つば」は「唾」、65頁「あなた」は「貴方」、81頁「なまり」は「訛」、82頁「水をうった」は「水を打った」、83頁「わびしい」は「侘びしい」、85頁「みのる」は「実る」、85頁「といた」は「説いた」、89頁「なげた」は「投げた」、89頁「ひびいて」は「響いて」、89頁「はげんで」は「励んで」、90頁「たがい」は「互い」、91頁「こんで」は「混んで」、101頁「さげて」は「提げて」、111頁「じんべえ」は「甚兵衛」、113頁「さえて」は「冴えて」、114頁「おふる」は「お古」、115頁「らくを」は「楽を」、118頁「つらく」は「辛く」、119頁「すなお」は「素直」、132頁「きしる」は「軋る」、133頁「もどった」は「戻った」、133頁〜「ならんで」は「並んで」、140頁「こばんだ」は「拒んだ」、147頁「このみ」は「好み」、158頁「おきき」は「お訊き」、168頁「ていねい」は「丁寧」、175頁「かせいで」は「稼いで」、175頁「じだらく」は「自堕落」、258頁「おめぐみ」は「お恵み」、266頁「うかつ」は「迂闊」、 278頁「じみ」は「地味」、280頁「ねって」は「練って」、281頁「飛びこんだ」は「飛び込んだ」などがあります。
H漢字を仮名にしたものに、101・208頁「瓦斯」は「ガス」、228頁〜「料亭」は「レストラン」に変更されているのに、単行本のまま。
I熟語を変更しているものの例。47頁「惨」を「滲」、100頁「拗く(しつこく)」を「執拗く(しつこく)」、114頁「朝夕だった」を「日を送った」、132頁「父も」を「ペールも」、133頁〜「道」を「路」、137頁の「敬虔な」を「清純な」147頁「招じた」を「請じた」、159頁「うず高く」は「堆く」(うずたかく)173頁「持主」を「主人」、220頁「建てて」を「樹てて」、239頁「ママ」をお母様、257頁「膝まずいて」は「脆いて」、257頁「クララ」を「マダム」、271頁「喜悦」を「歓喜」、277頁「目がね」を「眼鏡」、287頁「手代」を「店員」と改訂。
J語句の一部や助詞を変更したものの例。65頁「戦ったですもの」を「戦ったんですもの」、74頁「お目出とう」を「お目出度う」、86頁「申出た」を「申し出た」、81頁「次にフランス」を「フランス」、109頁「おろしたい」を「おとしたい」、109頁「あの年」を「あの年齢」、101・110頁「マッターホルン」〔注/単行本はマッタアホルン〕を「マツターホン」、112頁「笑声」を「笑い声」、114頁「よかりそう」を「よさそう」、115頁「赤ン坊」を「赤ん坊」、120頁「淋しんだ」を「淋しく思った」、121頁「とかきいた」を「ときいた」、
 158頁「肯じない」を「肯んじない」、。159頁「仰しゃった」を「仰有った」、195頁「ヴエルサイユ」を「ベルサイユ」、199頁「以上」を「以上は言わずに」、200頁「ラジオ・セット」を「ラジオ」、202頁「序でに」を「序に」、232頁「建つです」を「建つのです」、232頁「プーレ」を「ピュレ」、235頁「ブーグ・レゾー」を「プーグ・レゾー」、237頁「焼けあと」は「焼跡」、238頁「申訳」を「申
し訳」、244頁「日」を「毎日」、258頁「ニエーブル」を「ニエーヴル」、261頁「種子」を「種」、263頁「退院する」を「退院できる」、271頁「パンション」を「パンシオン」、273頁「聖地が」を「聖地を」、275頁「これ等」を「これら」、279頁「スポーツに」を「スポーツで」、281頁「いらしった」を「いらした」、283頁「売子」を「売り子」、291頁「思ったが」を「思った」など。
K勝手に改めたものの例。40頁「きめた」を「決めた」、88頁「うつる」を「映る」、101頁「小さな部落」を「小さな村」に変更したのは作者の改訂によるのか?それとも勝手に変更したのか、単行本や作品集のものと違います。
L215頁以後に、書名の「懺悔紀」が「懺悔記」のままで訂正されていません。また275頁の作品名「死者の言葉」は「死者との対話」に改めるべきだと思われますが、改められていません。〈以上平成26年1月識〉
刊行
芹沢文学研究会

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