seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢文学愛読者の会 名古屋: 芹沢光治良文学愛好会

2023年11月03日

名古屋愛読者短信 第231号

名古屋文学愛読者短信 第231

20231030日 芹沢文学愛読者の会


4『令和6年紙上3分間スピーチ』

作成について

前号の短信 (230でお知らせしましたように、毎年1月に実施していた新年会を、陽気の良い69(日曜日)に「芹沢文学愛読者の集い」として行います。さらに、3号まで発行した「紙上 3分間スピーチ」は好評につき、第4『令和6年、紙上 3分間スピーチ』と

して作成します。


記入要領

1 : 記入用紙は同封のハガキを使用。二枚同封で一枚は予備

(個人でお持ちの白紙のハガキにパソコンで印字も可)

2 :ハガキに記入する筆記具。

@黒のボールペン、黒のサインペン、万年筆 (黒インク使用)

A鉛筆は不可 (印刷機が読み取れないため)

3: 文章はハガキ一枚片面。

締切令和51220 ()

発行日令和6125日送付予定

ハガキの送付先、および連絡先


安井正二宛



名古屋芹沢文学読書会の開催予定です。

芹沢光治良著「神の微笑』

226 1112 (6

227 1210 (7

場所:名古屋市港図書館集会室 (二階)

時間午後1時半~4時半


自伝抄4

捨て犬か雑草のように

芹沢光治良


厄介者の餓鬼となる


 実際網元の旦那から、老いぼれの漁夫に転落して、しかも富裕な親類からは、信仰をうつされてはと、つきあいをたたれ、村の衆からも冷たい目を向けられる日々で、祖父が不機嫌になるのは当然だが、おまけに、暮らし向きが苦しくて好きな浄瑠璃もすてたから、時々は端の者に怒鳴りたくなっても無理はない。


 でも、私はこんなに落ちぶれたのは親

爺のせいだと、いつも叔母に言われるの

で、子供心に親爺に代ってやり切れない

思いだった。

 しかし、落ちぶれたとて、二人の叔母が

かたつくまではご飯に麦が入り、おかず

がなくなっても、西風の季節に絶食する

ほど貧乏ではなくて、さすが大釜の底だ

と、陰口をきかれたそうだ。


 下の叔母が嫁に行ったのは、小学校二

年生になったばかりの時で、私は小さな

家ながらも独り天下になったようで、家

中駆けまわってしかられたが、嬉しかっ

た。


 或る夜半、いっしょに寝ていた祖父の

言葉をきいてしまった・・・わしは、坊主さ

えいなければ、もう土をかぶりたい。あの東京の旦那は連れに来てくれないかね・・・くめ、あの時彼奴の希望通り沼津の兵学校にやっとけば、天理教に迷うこともなかったろうかなあ、と。

坊主とは私のことなので、全身を耳にした。

祖母が囁いた―ね、身を落として村のみんなと苦しみをともにすれば、神さんがみんなともどもに幸せにしてくれますよ。

 その数日後、祖母は町へ魚の行商を始

めたのだった。

 祖母が祖父の釣った黒鯛やせいごをもって町へ行商をはじめたことは、信仰上の英断だったろうが、わが家の零落した象徴のようで、村の衆の噂にもなり、親しい人を悲しませた。

 私は子供心に祖母をあわれんで、しばしば村はずれの道に立って一本路を町から帰る祖母を待ったものだが、それが土産欲しさにとられて、辛かった。


 祖母が行商をはじめて一年もしないで、叔父達が相談して、三男の叔父夫婦が相続者になって、わが家に移り住んだ。

 この叔父も父の被害者であるが、ただの舟子ではなくて一隻の漁船の持ち主であつたから、祖母は生活的に助かったが、担母は行商をやめなかった。


その時、叔父夫婦には私より年下の三人の子供があった。叔父も叔母も好人物であったが、この時から祖父はあからさまに私を厄介者扱いにした。

 学校から帰ると、一歳になる従妹の子守をさせられ、冬には週に二三回、近所の小学生といっしょに、牛臥山や焼き場のある松原に、落ち葉をかきに行かされた。

 その松原に現在私の文字館が建っている。文学館を訪れる度に、落ち葉が少なくて困った少年の日を思い出すが。


 浜に打ちあげられた木片をひろいに行った。夏には、祖父の黒鯛釣りの餌に、たにしを稲田に採りに行くのが私の役がだった。稲の葉に目を突かれて田を這ううにして、両手でたにしを探していると必ず農民に見つってーこの餓鬼、また田にはいったなと、遠くから怒鳴られて一目散に逃げ帰ったが、その頃には私は

もう坊ちゃんではなくて、家でも餓鬼だった。


 そんなことは悲しくはなかつた。明治時代の資しい漁村では、子供はみなそんな扱いを受けたから。冬には西風が激しくて三か月ぐらい出漁できなくて、小学生も弁当にさつまいも一切れとか、正月の残り餅一切れを持参できれば

いい方で、何も持って行けないで、昼の鐘が鳴るとすぐ外へ出て井戸水を飲んで、飢えを耐

えた。その人数が多いから、子供も臆することなく我慢できたが、学校でも同情しなかったし、問題にもしなかった。


つづく

posted by セリブン at 08:55| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋

2023年08月17日

芹沢文学愛読者短信 第230号 2023年8月6日 芹沢文学愛読者の会

1月の『芹沢文学愛読者新年会』を

6月に移し『芹沢文学愛読者の集い』

として実施。

コロナで新年会の中止が続きました。 その後、コロナの落ち着きと共に、 来年は新年会が出来そうな雰囲気となってきました。


そこで、 寒い時期の新年会を、 陽気の良い時期に移してはとのご意見を参考に、 202469( 『芹沢文学愛読者の集い』 として実施することになりしました。

会場はいつもの名古屋駅前の「ウインクあいち」です。

詳細は決まり次第、連絡致します。 たのしみにお待ちください。

ところで、 3集まで発行しました 『紙上3分間スピーチ』 ですが、第4集の発行を望む声が聞かれ、そこで今まで通り準備委員の皆様のご協力を得て、 『第4集紙上3分間スピーチ』を、 1月末発行を目標におき、作成することになりました。 作成にあたっての詳細は決まり次第、 連絡致します。


沼津市芹沢光治良記念館・企画展

『沼津ゆかりの文学者たち』第一回

芹沢光治良、井上靖、大岡信を中心に、

沼津とゆかりのある様々な文学者を紹介。


名古屋芹沢文学読書会再開

コロナで休会していた読書会が

51日再開しました。(8月は86)

テキストは芹沢光治良著「神の微笑』

場所:名古屋市港図書館 集会室(二階)

時間:一時半~四時半


元芹沢文学館の職員でお世話になりまし

た澤田角江様が630日に老衰で他界さ

れました。八四歳。


自伝抄


捨て犬か、雑草のように  芹沢光治良

第三回


父のせいで狭い肩身


坊ちゃんもがまんするんですよ。

引っ越しできてよかったからと言っ

た。その小父さんの言葉の意味はわからな

かったが、今もはっきり覚えている。 幼児

だからとてあなどるものではない。

たしかに正月前で、西風が強かった。小

さな家で祖父母と娘ざかりの二人の叔母

五人、ランプの灯の下でいろりをかこ

み、西風の音に耳をやったその夜は、何年

来初めて家族水入らずに迎えた家庭の

だんらんであっただろうが、下の叔母が

ふと愚痴を言った。

「こんなに落ちぶれたのは、上の兄さ

んのせいだわね。財産を神さんにあげる

前に、なぜみんなに相談しなかった

かしら! 祖父は煙管でいろりの端を叩

きなから、彼奴は親にも相談しなかった、

とポツンと言った。彼奴も上の兄さんも

父のことだと解ったが、おちぶれたとは、

どういうことかわからなかった。

 おちぶれたということがわかったのは、

五歳すぎてからではなかろうか。 わが家

の東側の土地が売れて、そのためにわが

家のシンボルのように遠くから見えた二

抱えもある榎を二本切り倒したが、榎の

小さい褐色の実があたり一面にばらばら

降った。その実は、数粒口に頬張ると甘味が口

中にひろがって、めったに菓子など買え

ない、児童には天授の菓子だったから、近

所の子供が一心に拾った。

私は仲間に入りたさに、無数に褐色の

粒のついた小枝を持って、子供などに近

づいてボクやるよ、と差し出した。

子供たちはたがいに顔を見合わせるな

りおちぶれたくせに、ぼくなんておか

しいやとか、おちぶれた坊ちゃんなんて、

遊んでやるもんかとか、叫んで散ってし

まった。

その時隣の清ちゃんが現れておい、

行くよと叫んだから、

後をおうようにして寺子屋へついて行

ったから、五歳すぎていた。

 誰も遊んでくれないので、前に客部屋

の兄さんと親しかった隣家の若者にまと

わりついて、叔母から、清ちゃんの腰巾着

とからかわれたが、清ちゃんは高等小学

校を出ると、お寺の本堂で、元の沼津兵

学校の先生の指導で、数人の仲間と勉強

をしていたが、私はいつもついて行って、

その背後にちょこんと座ったものだ。

漢字とルビだと先生は笑って傍聴を許

してくれた。

論語の素読など聞いていてすぐ暗唱で

きたが、面倒な習字などのときには先生

は奥さんのいる庫裏へ連れて行って、お

嬢さんと遊ばせてくれて、奥さんからお

嬢さんと一緒に読み書き、算術の手ほど

きを受けた...

その頃のことがらは何事も全て記憶し

ているが、それを書くのがこの文章の目

的ではない。

ただ、その頃すでに祖父は気難しい顔

をして無口になって、叱る時以外に口を

きかなかつた。それももう網元ではな

いぞ、舟子に落ちたんだぞとか、おちぶれ

ても、心はまっすぐにしろ、その言葉はな

んだ、行儀が悪いぞ、とか、わがままは許

さんぞとか、文句はきまっていた。子供心

に、家にいづらくて私はお寺へついて行

ったのだった。

posted by セリブン at 19:43| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋

2023年05月07日

芹沢文学愛読者短信 2023年4月1日 第229号

『紙上3分間スピーチ』

3号を読んでの感想

今年もコロナ禍で、芹沢文学

愛読者新年会は中止となりまし

た。そこで、『紙上3分間スピー

チ』を芹沢文学愛読者の皆様の

ご協力を得て、第3(令和5

1月発行)を作成し発送しま

した。


すると、多くの皆様から喜びのお便りが

届きました。感謝の気持ちを込めて、ここ

に紹介させていただきます。紙面の都合で

全員の皆様のお便りを紹介できませんで

したこと、お許し願います。


◎今年も多くの方が参加され、皆様方の愛情とこの文集を待ち望んで見えること、深く感じました。お顔を思い出しながら、懐かしく読ませていただきました。


◎表紙から、末ページの文子先生の

ピアノまで素晴らしい一冊ですね。

芹沢文学という大きな灯台のもと「今

年もまた頑張ろう」という大きな力が

湧き上がるのを覚えています。


◎「嬉しいこと、悲しいこと」を含め、

寄稿者の日常の機微がリアルに描か

れており、大部な内容です。


◎昨日待望の「紙上新年会」の冊子が届

きました。

格調高い中島さんの表紙画が一番に

目に入りわくわく感をたかめてくれます。


◎恵ちゃんが音大を卒業して、ウイーン

に留学とは、あの小学生だった恵ちゃ

ん、立派なお嬢さんなのですね。


◎皆様の近況など熱い波動が伝わり、

一気に読ませていただきました。


◎封筒から取り出した時、表紙が素晴ら

しく、感動いたしました。

全体として抑えたトーンでありなが

ら、そこに描かれた若者の

浮き立つような心の動きまで伝わっ

てくるようです。今を精一杯

生き、かつその先に明るい未来を感じ

させる爽やかな絵画です。


◎表紙に釘付けになりました。写真かし

?それとも絵?何度見ても

わかりません。人は歩いているし、水

面は揺れている、話し声が聞こえてく

るようです。この様な「動画絵』(

の造語)は初めてです。

感動の一枚です。


自伝抄 第2


捨て犬か、雑草のように

       芹沢光治良


落ちぶれ、家も小さく

人間は何歳から自分のことを記憶

するものだろうか。私にとって、最

初の記憶は三年と何か月かの或る朝

のできことだが―離れの祖父母の蚊

帳から出るなり、いつもどおり母家

へかけて行ったが、母も父も見当た

らないので、長い廊下をかけ出して、

客部屋と呼んでいた建物の方へ行っ

た。そちらにはいつも肩馬にのせて

くれる青年(にいさん)がいるはずなのに、誰もいない。べそをかきながら廊下をも

どると、子守りの少女がとんで来て

――みんな行ってしまったですと、

涙を出して、むりやり寝衣(ねまき)を着がえ

さした…..


それが、私を一人のこして、両親

が三つ年上の兄と一つ半年下の弟を

つれて故郷を去った朝であるが、他

のことは覚えていない。悲しくも淋

しくもなかった。祖父母や二人の叔

母がいたからだろうか。その後、客

部屋の兄さんを折々探して、彼もい

なくなったとあきらめた時、悲しく

て、小さい叔母にむずかったことは

覚えているが・・・・・


その朝の後のことを記憶にさがし

ても、さだかでない。毎日家へ人が

たくさん群がって、にぎやかだった。

部屋がこわされて、びっくりして

いるうちに、離れも母家も崩されて、

材木の小山ができたが、見たことの

ない馬力車が何台もならんで、小山

をはこんだ。馬が珍しくて近寄って見ていて、祖父に怒鳴られ叱られた。あれが祖父

から怒鳴られた最初だった・・・が、二度目怒鳴られたのは、裏の池がうずめられるのを見ていた時でー

普請場に来るなと言ったろう。いっ

しょにお前もうずめてしまうぞと、

こわい顔をした。


たまげてーおうちが歩いていると

叫んで、若い衆に笑われたが、頭が

真面目な顔で――坊ちゃん、おうち

はなまけ者でね、みんなが押した

り引っ張ったりしないと、歩かない

から困ったもんだよと言った。それ

でその頭が好きになった。

あの頃はまだ坊ちゃんだったし、お

にぎりは白米だった。もう手伝いの

婦達はいなくて、祖母と上の叔母が

おにぎりをつくった・・・・・


家ができたから帰るというので、

とんでもどったところ、新しい家と

いうのは、池の裏からやっとこさ表

通りに来た、あのなまけ者の小さい

草屋根の古家だった。子供心にがっ

かりした。

 でも、縁側の前に、以前池の築山

の方にあった垂柳と、黄楊となつめ

の木と橙と椎の古木が一列にならん

で、歓迎しているみたいだった。

 縁側に立ってーわあ、木も引っ越

しできたんだねと言うと、道路の境

に竹垣ををつくっていた老人が一坊

ちゃん、木も庭がなくて、こんなに

ならんでは窮屈だけれど、がまんし

ますよ。

つづく

posted by セリブン at 10:06| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋