seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢文学愛読者の会 名古屋: 芹沢光治良文学愛好会

2026年08月01日

芹沢文学愛読者短信 2026年8月1日 芹沢文学愛読者の会


声楽家の猪股典子先生ご指導による楽しく【童謡・唱歌を歌いましょう】に参加して


六月に猪股典子先生から「よろしかったら【歌う会】に参加しませんか」と案内をいただき

ました。歌うことが好きな私は、楽しみに出かけました。

 会場は南山カトリック教会に隣接し、緑の樹木に囲まれ、しっとりと落ち着いた雰囲気の中

にありました。

 ご指導くださる猪股典子先生落ち着いた色合いの和服姿で「きょうは一時間半、笑顔で楽

しく歌っていきましょう」とに

こやかに始められました。

 季節に合わせた童謡、唱歌を十三曲を歌いながら、一曲ごとに歌の背景、エピソード、歌う

時のポイントなどを話され、丁寧に指導してくださいました。

『背くらべ』を歌う時、作詞海野厚にまつわるエピソードは、とくに心に残りました。

海野厚さんは、結核を病み家を離れ一人で暮らしていました。ある朝のこと、母は弟に「朝

ご飯を、厚兄さんに届けて」と頼みました。

 しかし、弟はお母さんの頼みを聞かず、届けませんでした。

ところが、厚さんはその日に亡くなってしまいました。二十八歳でした。

 弟はあの朝、なぜ、朝ご飯を届けなかったのか、悔やんでも悔やみきれない気持ちが残りま

このことは、その後、誰にも話しませんでた。

 長い年月が過ぎたある日、新聞記者からインタビューを受け、長年心に秘めていた、あの日のことを話しました。

 それから間もなく、弟も亡くなりました。

 猪股先生は、「その記事は少し長いのですが、この曲を歌う時に参考になると思いますので。

全文を読みます」と言われて、一言一言、噛みしめるように読み上げてくださいました。兄弟

愛を感じる良い文章でした。

 私たちがいま、歌っている重謡や唱歌は、大正時代に文部省や、文学者、音楽家たちが、子

どもたちが情緒豊かに育つようにと、心を込めて作ったものです。

猪股先生は最近、若い人から「子守歌って何ですか?」と問われて、驚かれたことがあり

「私たちが今、歌いつないでいかないと、この美しい童謡や唱歌はやがて忘れ去られてしまう

という危機感を強く感じていま

ず」と話されました。

 最後は、先生と一緒に「子守歌(江子守唄)』『揺籃のうた」を歌って終わりました。

 このとき先生が幼い子をあやす仕草で歌われたお姿が、やさしさにあふれ、一緒に歌っ

ている私までやさしくなっていくようでした。

 後日、私は美輪明宏さんの著「私の人生論」を読んでいたとき、ある頁で目が留まりまし

 「日本には聴いているだけで、心が癒され童謡や唱歌や叙情歌が数多く残されていて、

その歌詞は、まるで宝石をちりばめているように輝いている。

北原白秋作詞の「揺籃のうた』は子守歌としてぴったりだ。

 このような良質な歌を聴かせてあげれば、その子はきっと優しい子に育つでしょう」。

と書かれていたのです。良い音楽を、後の人に残していきたいと願う強い思いを、お二人から感じました。

 私は、いま人生の晩年を過ごしていますが、今回のことはさわやかな刺激となりました。

私も歌い続けていきます。


自伝抄第9回

捨て犬か雑草のように

芹沢光治良

続家庭教師で一高パス


 これからは行く先々をわが故郷とし、暮らすところをわが家として、己を無にして心をひらいて接すれば、必ずわが親兄弟に

なってもらえるだろうと、希望を持った。

 とにかく、植松家に十か月幸せに暮らし

たおかげで、翌年の入学試験には体格試験

もパスして、第一高校に入学した。

そして九月の初めに上京して北寮十番の

部屋にはいった。

 入学してから上京するまで、わが家のよ

うに植松家に厄介になり、上京する時に

は時には、重雄君の母堂から休暇に

なったら、自分の家と思って、いつでも

帰ってきなさいよと、言われて、故郷に

わが家ができたようにうれしかった。

母堂のやさしいこの言葉は、生涯忘れら

れないほど有難く胸にしみた。

しかし、それからの一高生活は、学費の

問題で苦労した。

 海軍の軍人の援助は中学校の卒業で終わ

り、半年間の代用教員の月給が九円であったが

食費代に月三円家入れ、入学試験のために費やして残り少なかったので、植松家で入学祝にもらった金を加えて五十円ばかり、差し当たり高等学校三年間の学費しかなかったが、

貧乏にはなれていたし、楽天的で苦にもし

なかった。
posted by セリブン at 12:42| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋

2026年04月19日

芹沢文学愛読者の会  芹沢光治良文学愛読者の会第240号  

旧石丸邸訪問



旧石丸邸での芹沢光治良文学愛好会(東京)読書会に参加して


平石政行


三寒四温の四文字をなぞるように、着たり、脱いだりを繰り返す毎日ですが、安井さんご夫妻にはお変わりございません


か。季節の変わり目は要注意です。ご自愛くださいませ。



去る二月二十六日(木)久々に上京し、芹沢文学愛好会読書会に参加しました。会場は、近々取り壊されると言う情報を得豊田英文会長が急遽お手配くださった、森次郎と田部氏ゆかりの『旧石丸邸』です。地下鉄広尾駅から徒歩五分木立の中に昭和レトロの空気を纏いながら、ひっそりたたずむ洋館は、今なお結婚式場として活用されていました。


一歩中へ入ると、室内の洋館の家具や、調度品、電気器具など、どれも当時のものを大事に使おうと言う現使用人の心意気


が感じられます。若き日の次郎と同じ場所で同じ空気を吸っているのだ・・・、と読者冥利に尽きるひと時でした。


読書会のテキストは誰にもなじみの深いエッセイ「野の花」でした。


今ならともかく、あの時代に、一時間新聞を読むことを許してくれる伴侶でなければと、自らの意思を貫き通した岡島はるさん


の真摯な生き方に、賞賛と共感の声が集まりました。


 また、エッセイを読みながらしたと言う女性読者が何人も見えました。


  もう一つ嬉しかったのは、読書会の輪の中に、新潮社の北村暁子さんがいらしたことです。『神シリーズ全八巻』の発刊にあたり、編集者として、作家芹沢光治良氏をお支えになったご婦人でした。


「芹沢先生は、日本の物故作家の中で今なお全集が売れ続けている稀有な作家のお一人です。」


読者にとって勲章のようなお言葉をいただき、改めて芹沢文学を愛読し続けてきてよかったと二十三人の参加者こころ一つにして、旧石丸邸を後にしました。

「三人の日と書く春を待ち望む雪が溶けたら又会いましょう」


いつの日か朝日歌壇で目にしたこの歌を、この時期になると思い出します。


春になったら安井さんご夫妻との再会の叶うことを願って、ペンを置きます。


三月六日


                               平石政行




2月26日に東京で、芹沢光治良文学愛好会読書会が行われました。この読書会に平石政行さん(三重県)が出席されました。その時の様子を安井正ニ宛の手紙でご報告くださいましたので、ここに紹介させていただきました。安井正ニ記






自伝抄 第八回



家庭教師で一高パス



貧困はそれ自身悪ではないが、無知を伴って人間をどれほど不幸にするか。それを私はそれまでの暮らしではっきり識った。


中学校の五年間、強制的に日記をつけて、毎週修身の日に提出したが、学校では書いているか否かたしかめるので内容は読まないと、言ったのにかかわらず、校長は私の日記を全部読んだのにちがいない。


入学試験に失敗した報告をすると間もなく、八、九月の俸給をもらって、代用教員を辞める手配をして、すぐに原町の豪家に住みこむように、はからってくれた。中学二年生の家庭教師という名で、私に静養する家を提供してくれたのだから植松家では、富士山に向きあった二階の八疊二間を私に提供した。夜三時間、二年生とともに勉強することが、私の役目だったが、重雄君は


すなおな生徒で、面倒はなかった。


食事は三度とも食堂で家族ともにするが、三度ともお祭りの日のようなご馳走で、人間の食事はこういうものだったかと驚いた。


家族は多かったが、穏やかな人々で、食事の時になごやかに顔を見せるだけで、たがいに人格をみとめあっているのか、あとは各自独立の仕事をしていた。

これが家庭というものかと感心したが、足をのばせる自分の部屋のあることが、どんなに幸せであったか、私は終日好きなように勉強し、この家の名苑を散歩などして、それまで自分は親からすてられてかくれる小屋もない捨て犬だったと気がついた。


posted by セリブン at 15:06| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋

2026年01月03日

芹沢文学愛読者短信 No239 2026年1月1日 芹沢文学愛読者の会

あけましておめでとうございます

新しい年を迎えました。今年もどうぞよろし

くお願いたします。

お知らせです

1)昨年末に、芹沢先生の「狭き門より」が再刊行されました。芹沢先生の本がこうして装いも新たにして出版されます事は、読者にとって嬉しい限りです。

2)沼津市芹沢光治良記念館では、企画展「光治良思い出の風景~ 富士山に怒鳴られた~」が開催されています (令和8年5月31日まで)。

3) 名古屋芹沢文学読書会の皆様のご尽力をい

ただき、今年も陽気の良い時期に集いを持ちたいと思います。決まり次第連絡い

たします。


昨年11月9日、名古屋芹沢文学読書会に鈴木吉維(よしつな)先生が出席してくださり、神シリーズについてお話しくださいました。聴講された沢田様に、その時のことお願いして書いていただました。


鈴木先生の(神シリーズ)講義を聴いて

沢田昭人(豊田市)

先月(十一月)、芹沢文学の研究者である鈴木吉維先生の名古屋芹沢文学読書会への来訪があり、神シリーズについての講義を受ける機会がありました。

先生の講義形式は通常と異なっていて、講師が一方的に解説するのではなく、質問を投げかけ、受講者にその問題について考えさせ、講師と受講生との間で討論をしていくという形のものでした。

そこで質問というのが三つあって、

(一)神を信じているか?

(二) ジャックは実在の人物か?

(三) 神シリーズは事実か

虚構か?

(一)については、神を信じる人もいればそうでない人もいる。

 芹沢先生は神を信じ切っている。そのよう

な人の作品を私たちはどう受け止めるべきか。

 私は個人的体験から何か不思議な正体のわからない、大きな力によって守られていると感じることができますが、漠然としていて神を信じるに至っていません。

(二)については、芹沢先生はご自分を実証主義者だと言われています。つまり、何らかの根拠

がない限り、ある事象や現象を信じないとい

う立場をとられています。

 だから神や神秘的な事柄についてどのよう

に認識したら良いかと言うことで、宗教と科

学について深い洞察力を持った人物を登場させて、より深く宗教を理解しようとしたので

はないかと思います。


(三)については、芹沢先生は、神シリーズは全て親神様の指示に従って

書いたと言われています。私たちは、神シリーズを聖書のように読んでいけば良いのでは

ないかと考えました。

 芹沢先生は、ご自分の長い人生経験を通して、社会の底辺で苦しんで生きている人々

に対して、救いの手を差し伸べるのではなく、彼らと寄り添い、苦しみや楽しみを分かち合って、さらに彼らの生活をより豊かなものにしようと努力されてきた方だと思います。だからこそ、神シリーズは神の立場に立って、多くの

人々のために、尽くしたいと思われたのではないかと思います。

 こうして書いたことが正解なのか、どうかわかりませんが、文学では科学と異なって、正解が立った一つではないと思います。

 考えれば考えるほど、いろいろな答えが出てくるように思います。

 このような機会を与えてくださった鈴木先生に感謝の意を表したいと思います。

posted by セリブン at 21:52| Comment(1) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋