seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢文学愛読者の会 名古屋: 芹沢光治良文学愛好会

2020年02月19日

芹沢文学史読者短信 第220号


芹沢文学愛読者短信 2020年2月9日
芹沢文学愛読者の会
第42回芹沢文学愛読者新年会・報告
令和2年1月13日実施 出席者35人
今年も神奈川、静岡、福井、三重、岐阜
愛知の各県からお出かけくださいました。
天候に恵まれました令和初の新年会
は、初参加の杉淵洋一さんを迎え、35
人の出席でした。
 今年も平石攻行さんの名司会による
3分間スピーチマスタードしました。
▼病後の夫のために毎日野菜スープを
作っている鈴大和子さん▼手作り絵本
コンクールで秀作になった中垣キミ子
さん▼孫と伊吹山へ初登山をした各務
洋司さん▼失敗した時「大丈夫よ」と励
ましてくださった、芹沢文子先生のよう
な大人になりたいと話された安原和子さ
んなど、一人一人の話に聞き入りました。
 ビデオフ『天に散った和田稔の軌跡』
の感想を三本勝男さんは「和田稔の妹、若菜さんの『兄はひとり回天の中で死に、
人を殺さなかった。兵器はボタン一つ押すことで血が流れます』
この言葉が強く心に残ったと話された。
 いつも、猪設典子さんの歌の伴奏やピアノ演奏をされ
るお嬢様の猪股恵さんは、この日『成人の日』を迎えら
れ、式場から振り袖姿で新年会会場へ駆けつけてくださ
った。
 一度に華やいだ中で、猪股典子さんが歌われた6曲は、
ほんとうに素晴らしく、しばらく余韻にしたって拍手も
できない程でした。
 猪股さんは、「この新年会の雰囲気がとても好くて、
自分の力以上の声が出ているような気がします。芹沢先
生が居てくださるのでしょうね」と言っておられました。
 朝10時半から、夕方5時まで充実した一日でした。
                ’安井恵美子 記
新年に想う
     山田武夫(岐阜県関市)
   ー令和ー
 令和になって初めての芹文新年会
を迎えました。おめでとうございます。
 新元号に込められた令和の意味は、
皆さんもご存知のように、皴しい寒さ
のあとには春の訪れが告げられて、見
事に咲き誇る梅の花のように、一人一
人の日本人が明日への希望とともに、
それぞれの花を大きく咲かそうと。
そうした日本でありたいと願いを込め令和となったそうです。
 万葉集からとられたこの令和には、
梅野は名が出てきます。
 私は梅の花が大好きです。
   ‐花言葉
 花言葉を「上品、気品、忍耐」など
が言われますが、たおやかで、芯の強
い芹沢文学を思わせる言葉のような
きがしてきます。しかし、なぜか作品
は本屋の棚にならばず、各般での紹介
も少なく、いつも不思議でならない。
混迷する現今の世界です。
 いまこそ芹沢文学に花咲かせねば
ならない、令和だと思いました。こん
な思いの中で、梅に関して、こんなこ
とを思いました。
−故郷―−
 私は、生まれ故郷に帰ってこの正月
で八年目となりましたが、当時植えた
梅の花は大きく育ちました。梅は暖か
くホカホカとした中で咲く桜と違っ
て、寒さから春の兆しを感ずる頃に、
凜とした美しさで咲き誇ります。
今年・も暖かい日がフフ言正月には
手入れしました。樹々は剪定をすると
面白いもので、新しい枝が聿直に伸び
樹に勢いがでてきます。
 何処からとなくそろそろ香しい匂
いがしてきますが、もう私のところで
は咲き始めています。
 困難
 桜もいいのですが、梅は桜と違って
一輪一輪と咲き始め、散るときは時間を
かけてごの春を終わります。人生に
例えるならば困難や壁にぶつかって
も、へこたれない強さがあるようです。
 毎日日曜日の私には心休む一時で
すが、今一寸気になることもありまし
て・・・・・、
   −‐友一−
 昨年の九月一日に芹文の長年の友
から、今まで幸せな家庭に恵まれてき
ましたが、この度、日本一の不幸な家
庭となってしまいました。と、こんな
便りが届き、まだ彼への返信をためら
っていますが、何かあったのかと、心
痛めています。
 樹々のように明日へ向かう忍耐と
力強い生命力で、早く元気になってほ
しいと願うばかりです。
寅さんではありませんが、「困ったこ
とがあったら、風に向かって俺の名前
をよべよ」と、気を楽にして、早く立
ち直ってほしいものです。
   −―温暖化lj
 次に、このところの地球混暖化か気
にかかります。
 特に、ここ数年あちこちで気候変動
による災害が多く、そしてプラスチッ
クによる海洋汚染での資源の枯渇や
利用でき淡水や森林資源の減少など
環境の破壊が著しくあります。
   ーつながりー
 かつて、宇宙飛行士の毛利 衛さん
が、宇宙から地球の美しさに感動して
 「人がつながってこそ、自分がある」
と語っていた。これは美しい地球を危険がら
守るために人々がつながり、
時代の咲きを見つめた行動をするときが
来たのだと警告されていた。
 そして、聖路加病院の亡き日野原先
生も『生きていくあなたへ』(幻冬舎)
の著書の中で、何か新しいことを始め
るときは、「遠くを見つめるのだ」と
言っている。
 これは過去をしっかりと見つめる
と同時に時代の先を見ることが肝要
だと。環境保全も同感だと。
 我々にできることは限られていま
すが、この正月からは近くの川辺を散
歩するかたわら、土手に捨てられたペ
ットボトルなど拾っています。
いつまで続くやら、こんな年初めでし
た。本年もよろしくお願いします。
芹沢文学読書会(毎月第2日曜)
名古屋市『港図書館』
13:30〜16:30
芹沢光治良著
『遠ざかった明日』
posted by セリブン at 19:56| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋

2019年12月21日

芹沢文学愛読者短信 第217号 2019年 11月8日

芹沢文学愛読者短信 
2019年11月8日 芹沢文学愛読者の会
芹沢文学愛読者新年会(第42回)
令和2年(2020)1月13日(月・祝)
令和になって迎えます新年に、第42回『芹沢文学愛読者新年会』を行います。
 例年ですと、新年会の日は日曜日でしたが、来年は会場の都合で、
1月13日(月:祝日 成人の日)となりました。新年会準備委員会の
皆様が、下記のように企画してくださりました。ご出席をお待ちしています。
1.令和2年(2020)1月13日(月・祝) 10:30〜17:00
2.会場 『ウインクあいち』(名古屋駅前)
    11階 1103号室 Tel 052-571-6131
3.会費 1万円 当日ご持参願います。
    (昼食、お飲み物、写真代など含みます)
    当日の会費の受け取りをスムーズに進めるために、各自宛に届いた
    短信の空き封筒に会費を入れて、お出し願います。
4.申し込み:同封のはがきで、お申し込みください。締め切りは、11月30日(土)
5.二次会:新年会終了後同じ会場で二次会を行います。ご都合のよろしいかた、
      お気軽に出席してください。
  1)時間 17:30〜19:30
  2)二次会費
    女性:2,000円
    男性:3,000円 (夕食、お飲み物などを含みます)
年の瀬と『第九』
安井正二
 年末になると、全国各地で決まって演奏されるのが『第九』として親しまれて
いる、ベートーヴェンの交響曲第九番の演奏会です。
 この曲に合唱が入るため、聴くだけでなく合唱団員として参加する人も多くな
りました。
 『第九』は、およそ二百年程前に作曲され、ベートーヴェンの音楽の極致とも
言われています。この曲が完成した時、ベートーヴェンは耳の病で音が全く聞こ
えませんでした。
 『第九』が初演されたときのことです。ベートーヴェンはステージ上で全体の監
督をしていました。
 一時間余に及ぶ『第九』の演奏が終わったとき、会場内は割れるような拍手に
包まれました。しかし、耳の聞こえないベートーヴェンは、拍手の音に気づかず、
聴衆に背を向けたままでした。
 そのとき、歌手のI人がベートーヴェンの上着の袖を引き、演奏が終わったこ
とを知らせました。やっと聴衆の拍手に
気づいたベートーヴェンは、客席に向かつて深々と頭を下げました。
 私か『第九』の演奏会を初めて聴いたのは、四十余年ほど前の昭和三十九年十
二月でした。名古屋市公会堂でした。
 このときの演奏会は、計画から実現までなんと四年の歳月を要したそうです。
 オーケストラも合唱もすべてアマチュ
アの手によるものでした。
 指揮者は、南山大学(名古屋市)教授だった山本直忠氏でした。(ひげの指揮者
として知られた山本直純氏の尊父)。
 戦後、名古屋で『第九』の演奏会が行われたのは、画期的なことであり話題に
なりました。
 今年も年の瀬になりますと全国各地で『第九』の演奏会があります。
 年末と『第九』は本来直接の関係があるとは思えません。それなのに、なぜ年
末に取りあげられるのでしょうか。
そのことについて、語られた山本直忠氏ことばが、いまも心に残っています。
  「『第九』の精神は、世界愛というものです。日ごろ、相争っている人、多忙に
まぎれている人、そうした人が『第九』によって手をつなぎ、心を清め、新しい
年を迎えられるように、という願いが、この曲の中にこめられています」。
読書会案内
@芹沢光治良文学を
       読む読書会
テキスト
 芹沢光治良著『遠ざかった明日』
 令和二年一月から『人間の運命』の最終章とも言われています
本書を取り上げます。この本についての芹沢先生の言葉。
 『人間の運命』の第三部の第三巻として読んでくれても、独立の小説として読んで
くれても、読者の自由である」。
日時‥毎月第二日曜日
     午後一時半〜四時半
    (ただし一月のみ一月十九日に変更)。

A芹沢文子先生の
     エッセイを読む会
テキスト
  出席者にコピーを渡します。
日時‥毎月第四水曜日
     午後一時半〜三時半
会場は@Aともに名古屋市港図書館内の『集会室』
 地下鉄『港区役所』駅下車すぐ。
 
posted by セリブン at 08:50| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋

2019年09月19日

芹沢文学愛読者短信 第218号 


2019年9月10日
芹沢文学愛読者の会

 芹沢文学の二つの短編
『死者との対話』『春のソナタ』の作品は、珠玉の短編と言はれ
てます。
 この二作品は東大生で学徒出陣し、人間魚雷『回天』の訓練中
に事故死された、和田稔氏がテーマになっています。
 若き日に、土居良太郎氏は和田稔氏と一緒に芹沢先生宅を訪ね
ました。そのときの思い出や、和田氏のお人柄などを、『芹沢・
井上文学館友の会会報』に書かれました、ご紹介します。

和田君のこと
   土居良太郎(元市立沼津高校長)
 「色白でやせ型の気立てのやさしい青年だった。人の話を聞
くときには、よく小首をかしげてはにかみながら眼をしばたいた。
 しかし、柔和な外見にかかかわらず、シンは人一倍強いという印象を受けた・・・
上山春平氏の『和田稔』評である。
 上山氏は旧上官、後の京大教授。これは、そのまま、沼中、一高時代の彼の姿とかさなる。
その通りなのだ。
 一高生数人で沼津の大先輩芹沢光治良先生をお訪ねした
ことがある。その中に和田君も私もいた。昭和十六年秋、東中野。
管制下の暗い電灯の下で先生の静かなお話が続く。人生、文学、哲学:息詰まるような
時間の中で、私たちは何かを摸索していたのである。
 時局は日毎に切迫していった。ついに学徒出陣という異常
事態がやって来る。入隊二ヶ月前の彼の手記を見よう。これは妹さん宛のものだ。
 
「若菜、私は今、私の青春の望んだ花はついに地上に開くことはなかった。
とはいえ、私は私の根底からの叫喚によって、さすことが出来るだろう。    
 私の柩の前に唱えられるものは私の青春の挽歌ではなく、私の青春の頌歌であってほしい。            
 これは、いかにも青年らしいロマンの香り高い文章である。彼は二十一歳。目分の青春、および未夾を百家刀要請のために、 
断念しなければならなかった青年の苦悩がにじみ出ている。
彼はヴァイオリンをたしなむ心やさしい青年だった。その彼が、
わずか一年ばかりの間に精神も肉体も技術も回天特攻隊随一の人になったという。その秘密はいったい何だったのだろう。   
国家非常の時には誰もがそうなり得るのだろうか
彼が九州男児の血を引いていたからだろうか。それとも彼のひたむきな純粋の生き方のためなのだろうか私には判らない。
 彼が光基地で特攻訓練に明け暮れていた頃、私は高師原で対戦車肉薄攻撃の訓練に忙殺されていた。
 彼の手記『わだつみのこえ消えることなく』(角川文庫)を私はくりかえし読んだ。彼の苦悩と純粋さに心打たれた。
そして、失われたものがあまりにも大きすぎたのに心痛むのである。戦争の空しさを思うのである。
 昭和27年7月27日
 回転特攻隊委員海軍少尉
 和田 稔 殉職
 そして、また、8月15日がやって来る。非戦の誓いを新たにする日である。
 (芹沢・井上文学館友の会会報 1989・12・1 から)
-
沼津市芹沢光治良記念館 企画展
『光治良と川端康成展』
         に参加して
      沢田昭人(愛知県豊田市)
 展示会を巡回する前に、記念館の職員の方に「光治良と川端は一高、東大と通いながら、
顔見知り程度で交流が始まっだのは、作家としての活動をしてからだ」と聞いた。
 展示物を見ながら両者の書簡のやりとりとか、ペンクラブでの活躍、さまざまな
企画を立て実行していく様などをのんびり見て過ごした。
 意外に思ったのは、光治良は中学時代数学が得意で、高等学校は理系志望だったことだ。
 しかし、教師は法科へ進むことを勧めた。本人は仏文科へ進学した。この時期から文学を
めざすつもりだったように思う。
 大学は経済学部へ進み、役人の生活を経て、結婚と同時にフランスへ留学、肺結核闘病の末帰国。改造社の懸賞小説
で一等賞となり作家としてデビューをはかる。
 その小説『ブルジョア』に対して、文芸
評論に厳しい川端が、その作風を評して日本には珍しい型の小説家であるとしている。
 これは光治良にとって正当に自分の才能を評価されて、喜んだのではないかと思う。
自分の文才に対して、多少とも懐疑的だった彼には、まさに魚が水を得たように思う。
 後に川端が日本ペンクラブ会長に就任し、光治良が後に副会長となり彼を支え、
川端が解任した後、光治良が会長を引き継ぐことになる。
なぜかこの二人は太い運命の絆で結ばれていたと思う。
 光治良に大きな影響を与えた人物に、市河彦太郎がいる。
光治良より一年先輩で、外交官で文学愛好家だった。彼が紹介してくれた井上先輩の
言葉「故郷の塩になるために、沼津で有益な仕事がしたい」。後に沼津毎日新聞の社
長になられたと言う。
 市河は光治良に文学のすばらしさを教えた、兄貴のような存在ではなかったかと
思う。
光治良は井上先輩の言葉に、深い感銘を受けたという。
 だからこそ芹沢文学は、故郷のみならずヨ本、世界にとっての塩になったのではな
卜かと思うI               」
光治良と川端康成展
    沼津市芹沢光治良記念館
第一回・令和元年六月十五日〜十一月三十日
第二回・十二月十五日〜令和二年五月三十一日
お知らせ‥和田稔氏が残した日記、ノートなどをたどり
ながら、当時の戦友たちをたずねた記録のビデオ再生が、
来年一月の新年会でできそうです。
posted by セリブン at 21:29| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋