旧石丸邸訪問
旧石丸邸での芹沢光治良文学愛好会(東京)読書会に参加して
平石政行
三寒四温の四文字をなぞるように、着たり、脱いだりを繰り返す毎日ですが、安井さんご夫妻にはお変わりございません
か。季節の変わり目は要注意です。ご自愛くださいませ。
去る二月二十六日(木)久々に上京し、芹沢文学愛好会読書会に参加しました。会場は、近々取り壊されると言う情報を得豊田英文会長が急遽お手配くださった、森次郎と田部氏ゆかりの『旧石丸邸』です。地下鉄広尾駅から徒歩五分木立の中に昭和レトロの空気を纏いながら、ひっそりたたずむ洋館は、今なお結婚式場として活用されていました。
一歩中へ入ると、室内の洋館の家具や、調度品、電気器具など、どれも当時のものを大事に使おうと言う現使用人の心意気
が感じられます。若き日の次郎と同じ場所で同じ空気を吸っているのだ・・・、と読者冥利に尽きるひと時でした。
読書会のテキストは誰にもなじみの深いエッセイ「野の花」でした。
今ならともかく、あの時代に、一時間新聞を読むことを許してくれる伴侶でなければと、自らの意思を貫き通した岡島はるさん
の真摯な生き方に、賞賛と共感の声が集まりました。
また、エッセイを読みながらしたと言う女性読者が何人も見えました。
もう一つ嬉しかったのは、読書会の輪の中に、新潮社の北村暁子さんがいらしたことです。『神シリーズ全八巻』の発刊にあたり、編集者として、作家芹沢光治良氏をお支えになったご婦人でした。
「芹沢先生は、日本の物故作家の中で今なお全集が売れ続けている稀有な作家のお一人です。」
読者にとって勲章のようなお言葉をいただき、改めて芹沢文学を愛読し続けてきてよかったと二十三人の参加者こころ一つにして、旧石丸邸を後にしました。
「三人の日と書く春を待ち望む雪が溶けたら又会いましょう」
いつの日か朝日歌壇で目にしたこの歌を、この時期になると思い出します。
春になったら安井さんご夫妻との再会の叶うことを願って、ペンを置きます。
三月六日
平石政行
2月26日に東京で、芹沢光治良文学愛好会読書会が行われました。この読書会に平石政行さん(三重県)が出席されました。その時の様子を安井正ニ宛の手紙でご報告くださいましたので、ここに紹介させていただきました。安井正ニ記
自伝抄 第八回
家庭教師で一高パス
貧困はそれ自身悪ではないが、無知を伴って人間をどれほど不幸にするか。それを私はそれまでの暮らしではっきり識った。
中学校の五年間、強制的に日記をつけて、毎週修身の日に提出したが、学校では書いているか否かたしかめるので内容は読まないと、言ったのにかかわらず、校長は私の日記を全部読んだのにちがいない。
入学試験に失敗した報告をすると間もなく、八、九月の俸給をもらって、代用教員を辞める手配をして、すぐに原町の豪家に住みこむように、はからってくれた。中学二年生の家庭教師という名で、私に静養する家を提供してくれたのだから植松家では、富士山に向きあった二階の八疊二間を私に提供した。夜三時間、二年生とともに勉強することが、私の役目だったが、重雄君は
すなおな生徒で、面倒はなかった。
食事は三度とも食堂で家族ともにするが、三度ともお祭りの日のようなご馳走で、人間の食事はこういうものだったかと驚いた。
家族は多かったが、穏やかな人々で、食事の時になごやかに顔を見せるだけで、たがいに人格をみとめあっているのか、あとは各自独立の仕事をしていた。
これが家庭というものかと感心したが、足をのばせる自分の部屋のあることが、どんなに幸せであったか、私は終日好きなように勉強し、この家の名苑を散歩などして、それまで自分は親からすてられてかくれる小屋もない捨て犬だったと気がついた。