seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢文学読書会 大分: 芹沢光治良文学愛好会

2025年10月28日

芹沢文学読書会 案内通信 No176

芹沢文学読書会


松林庵主人

案内通信

No. 176

2025( 令7) 1026 ()


柿の実が 色付きたれど 空家なり...

 松林庵主人


10月便り

10月末となり、やっと涼しい秋となりました。少しずつ野山の木々が色付きつつあります。秋が短く終り、また冬が来ます。国東の方では、雪は余り積もらなくなっていますが、これも地球温暖化のためと思われます。日本の四季が変化して、亜熱帯になりつつありま

す。夏の暑さに適する稲作を工夫して主食の米は自給出来るようにすべきです。今年は、

海水も高くなり、サンマやイカが獲れている所もあるようですが、漁業も大変のようです。

イスラエルのネタニヤフによるガザ地区攻撃が停戦となって、ハマスとの捕虜の交換も

行われました。しかし、ハマスの武装解除は無理でしょうから、またイスラエルの攻撃が

再開されることでしょう。ロシアのプーチンによる侵略戦争も終わりそうにありません。

今後も芹沢文学読書会を細々と継続して行きます。読書の秋です、お元気に読書会にお

出掛け下さい。日本は平和憲法で戦争の無い国として、平穏に生きたいものです・・・・・。


176

芹沢文学読書会

日時; 11 9 (午前10~12[*平常は第2日曜日午前です]

A会場大分県立図書館研修室 No. 1 [*平常は研修室No.5 です]

B内容[I]芹沢文学に関する話題や情報 10:00~10:10 am 自由に話す。

[U]芹沢文学読書会 10:10~12:00 am

Posr

テキスト新潮文庫『結婚』芹沢光治良作 1995710日新潮社発行

「解説」 200~208「前書」

7~39 「第一章」 *読んで来て下さい。

部分的に読んで語ります。質問にも答えます。

昭和2210月から2310月に雑誌く婦人倶楽部に連載され、

昭和231230大日本雄弁会講談社から『結婚』として発行された。

次回は、来年111 (2日曜日午前の予定です。 =

同封資料人物評「芹沢光治良氏のこと」遠藤周作 (初出『日本文学全集』月報 19645

新潮社『こころの風景なつかしき人々 1 19961010小学館発行 64~681100円。

作家遠藤周作氏が、 1984 (昭和39)5月に新潮社版『日本文学全集』の月報に書いたものを、 1996(平成8)10月発行の随筆集に収録した人物評である。『サムライの末裔』のことで、紹介しているのだが、これを『巴里に死す』の仏訳本であると誤解[ついうっかりの記憶違い]して書いている。遠藤周作氏は、

[同封資料提供者中村輝子〕

昭和32年宝文館発行の『芹沢光治良自選作品集』の解説を書いている。

芹沢文学・大分友の会

連絡先872-1651 大分県国東市国東町浜4765 (番地小串信正方

0978(77)0565 郵便振替口座 01970-5-16072/芹沢文学・大分友の会



芹沢文学大分友の会

会報 No.175

ふじ

令和7(2025)1026 ()


編集・文責小串


令和 6(2025)年度芹沢文学・大分友の会会計報告 ( 2024.9~2025.8)

=会計報告をいたします。御了承下さい。会計責任小串信正・会計監査中村輝子=

収入の部前年度繰越 6,119

    会費収入 8,890

    寄付收入 10,090

    テキスト代 150

    合計   25, 249


支出の部切手代  12,734

                 文具代          4, 163

                コピー代     7,560

                合計   24, 457


【反省点】

会計決算 25,249-24,457=792 (振替 74+現金718)


@芹沢文学大分友の会としての芹沢文学読書会を29年間継続しました。


芹沢文学研究会と兼ねる会員は9名です。読書会への参加者が約3名にまで減っています。

地元の会員は5名になっています。

何か工夫して新入会員を増やしていかねばなりません。御意見をお寄せ下さい。

A熱心な会員の篤志の寄付で、年会費を1200円に維持してきましたが、 1500円に値上げしました。

通信会員として継続してくれている人々もいます。関係者や記念館などへも会報をお送りしています。今後も、会報を年6回発行し、読書会を奇数月に年6回継続して行きたいと思います。


◯令7 (2025)年度の年会費の納入をお願いします。振替や持参で。

9月から新年度になりましたが、会計決算の監査が出来ず、今号の会報での報告となりました。会計報告の御了承をおねがいします。年会費の納入をお願いいたします。

 読書会に参加の方は、 11月の会に持参して下さい。通信会員の方は、同封の郵便振替の払込取扱票にて納入して下さい。 *振替の年会費納入の確認が出来なくなっているので、同封の年会費入金報告用紙に、入金月日・金額・氏名を書いて、同封の封筒(切手は貼っています)に入れて、御面倒ですが返送して下さい。

 寄付も受入れますが、無理をされないように。芹沢文学研究会の会員の方で、芹沢文

大分友の会にも入会いただいている方々にも会員の継続をお願いいたします。


【芹沢文学案内 No.119『明日を逐うて』は、第一作目の長編小説『明日を逐うて』は、昭和6416日から613日に、東京朝日新聞の夕刊に連載した長編小説です。没後に、新潮社から発行された『芹沢光治良文学館』「短篇集」の総題が「明日を逐うて」とされて、『明日

を逐うて』を短編小説としていますが、これはミスと言えます。この作品の続編「子を連れて」「聖母像」「ぬかるみ」を書き、『思い出すこと』の「十六著作集の読者へ」「長篇小説の『明日を逐うて』」と芹沢先生が書いているのです。これから変更することは出来ませんが・・・・・・。

 そして、この『明日を逐うて』の連載の挿画を小山敬三が描いているのです。この挿画も貴

重なものですし、続編の三作も加えて、豪華本として長編小説『明日を逐うて』を、今後に刊行することを再度提案したいと思います。この案は、生前の芹沢先生の願いでもあったのです。芹沢光治良記念文化財団と沼津市芹沢光治良記念館が協力し、何かの記念として出版して欲しいと思います。私小串が、『明日を逐うて』の評論を書いても良いと思っています.....

posted by セリブン at 08:29| Comment(0) | 芹沢文学読書会 大分

2025年09月02日

芹沢文学読書会 8月便り No175 2025年8月27日

芹沢文学読書会

8月便り

案内通信

No. 175

2025827 ()(令和7年)


猛暑なり 日本全国  汗だくだ


松林庵主人


今年の夏は、日本各地で猛暑の日々が続きました。41.8度という日本最高気温が出ました。 8月末になっても、猛暑が続いています。 まさに地球温暖化のためと思われます。 海水温も北海道まで急高となり、日本全体が温帯から亜熱帯になっているように思われます。雨が全然降らない所と、 線状降水帯の大雨で洪水となっている所があり、大変でした。

世界では、ロシアの独裁者プーチンによるウクライナ侵略が続けられ、アメリカの仲介

で休戦となるか? イスラエルのネタニヤフによるガザ地区攻撃が止まず、支援物資まで阻止して、 多くの餓死者が出ています。 ミャンマーの軍事独裁も続けられています...

今年も芹沢文学読書会を継続して行きます。 『思い出すこと』 の批評を読み上げたので、エッセイを読み語ります。 残暑が続きますが、 お元気に読書会にお出掛け下さい。


175回 芹沢文学読書会

@    日時: 914 () 午前10~12時〔平常は第2日曜日午前です〕

A    会場:大分県立図書館 研修室 No. 5 [平常は研修室 No.5 です ]

B       内容: [I] 芹沢文学に関する話題や情報 10:00~10:10 am

[U] 芹沢文学読書会 10:10~12:00 am 参加者で輪読 自由に話す。

○テキストエッセイ「至福としての「仕事」」 高橋英夫


出典 新潮日本文学アルバム 『芹沢光治良』 新潮社版 1995710日発行 96103

臨時的に、 アルバム 『芹沢光治良』 の中のエッセイ「至福としての「仕事」」 を読み語ります。 高橋英夫(1930-2019) 氏は文芸評論家で、 日本芸術院会員。 ドイツ文学者、翻訳者。 諸賞を受賞している。

*このアルバム 『芹沢光治良』を持参して下さい。 コピーしてもテキストとして用意します(実費負担)

刊本 新潮日本文学アルバム 『芹沢光治良』 1995710日新潮社発行。全111頁、 1300円。

次回は、119(2日曜日) 午前の予定です。

=

◎同封資料:日本語論(女体論) 「國語表現の限界」 芹澤光治良 雑誌月刊文章講座>昭和十 (1934)年四月一日厚生閣発行 定價十五銭 29~30 頁。 拡大コピー ×120 *この雑誌は、 戦前の昭和10年に刊行されていたユニークな雑誌で、文章講座専門のものである。 佐藤春夫が 「古典<巻頭のことば>」を寄せ、千葉亀雄、鶴見祐輔、 尾崎士郎、 大宅壮一、 林芙美子等も寄稿している。 百田宗治著の『新しい詩の解釋とつくり方』 が厚生閣から出版されていることも知られる。

[同封資料提供者 中村輝子〕

芹沢文学・大分友の会



芹沢文学・大分友の会

令和7(2025)827()

ふじ

会報

No.174

編集・文責 小串信正


☆第174回 芹沢文学読書会の報告

於大分県立図書館・研修室 No.5

174回の芹沢文学読書会が、713()に大分県立図書館の研修室 No.1 で行われました。芹沢光治良記念館の戦後80年連動企画展のチラシを渡して、 『一つの世界一又はサムライの末裔』の長編小説について説明しました。この長編小説は、 『サムライの末裔』 として仏訳されました

が、広島原爆の惨状をリアルに描いた原爆文学として、もっと評価されるべき作品だと思います。

今回のテキストも、『こころの広場 思い出すこと』 の二評論で、 @ 「十五 役所時代のこと」と「十六 著作集の読者へ」を読み語りました。 これで 「思い出すこと」 を読み上げ、『芹沢光治良文学館 12』も完読しました。 次回からは、他の長編小説 『結婚』 を読みたいと思いますが、繋ぎとして、芹沢文学に関するエッセイを読み語ることにします。読書会へお出掛け下さい。


☆ 会計決算と今年度の年会費の納入について

9月から新年度になりますが、 前年度の会計決算が出来ていませんので、次号で会計報告を載せますので、10月以後に新年度の年会費を納入して下さい。 よろしくお願いいたします。


【芹沢文学案内 No.118】 ペール(仏語の父) 石丸助三郎

芹沢光治良にとって、大きな出会いであり、 芹沢文学に於いても重要な人物は、 幼少期に会って 「養子にしたい」と言った石丸助三郎です。

芹沢光治良は、 駿東郡楊原村(現沼津市) 我入道の網元芹沢家に父常藏 (常晴)母はるの次男光治良 (みつじろう)として生まれました。 両親は天理教の熱心な信者となり、多くの人々を助け、 家を布教所にしようとしたが、 許可が出ず、全財産を教団に捧げ、 布教師として家を出ました。 長男と三男を連れて行きましたが、祖母に懐いていた次男の光治良は祖父母の家に残しました。 しかし、4歳の幼児は両親に捨てられたと傷つきました。 貧困の生活で、 7歳頃に石丸家の別荘が上香貫にあり、叔母が管理していて、 魚を届けた時に石丸氏に出会いました。 光治良は石丸氏に気に入られ養子になるように言われますが、 その話は進みませんでした。 一高生の時に再会し、 麻布の家に来るように求められますが、遠慮して訪ねませんでした。 大学生になり、 外務省の翻訳等で自活出来るようになって、 石丸邸の離れに下宿させて貰いました。 この人こそ「求め続けた父である」 と自覚して、「ペール」 と呼んで親交しました。 既に養子がいたので、 石丸家の養子にはなりませんでしたが、 生涯にわたり肉親以上の交流を続けました・・・・・・。

石丸助三郎は、佐賀藩(佐賀県)の出身で、東大を卒業して日本郵船の社員となり、ロンドン支店長をしました。 退職後は、個人経営の海運業をし、一高の校友会雑誌に書いた「失恋者の手紙」を読んでくれていて、 寄寓するようになった最初の誕生日に、ロマン・ローランの『ジャン・クリストーフ』 を贈ってくれ、 シェークスピア全集や色々の文学書も貰いました。 しかし、恋人安生鞠との結婚を許してもらうために、 高文に合格し農商務省の官吏になりましたが、関東大震災もあって失恋しました。官吏を辞めてパリのソルボンヌ大学に留学する時には、藍川氏の娘金江と結婚して一緒に留学することを勧められ、経済的にも援助してもらいます。 バリで結核になり、作家になることを決めて帰国した時も理解し応援してくれました。 改造の懸賞小説に当選して、作家活動を始めた時も、評価してくれました。 石丸氏が昭和1210月に胃癌で死去した時は、厚く葬りました。 大河小説『人間の運命』には、田部氏として登場させています。

posted by セリブン at 17:07| Comment(0) | 芹沢文学読書会 大分

2025年07月01日

芹沢文学読書会 6月便り 案内通信 No. 174 2025年6月25日 (水) (令和7年)

芹沢文学読書会

6月便り

案内通信

No. 174

2025625 ()

(令7)


暑さ夏••••

芹沢文学

共に読む


松林庵主人


6月になり、真夏の日々が続きました。沼津市など線状降水帯で記録的大雨が降った地域もありましたが、中々梅雨になりませんでした。やっと北部九州も梅雨となりましたが、高温が続いています。今年も猛暑の夏になりそうですが、地球温暖化のためと思われます。

世界では、ロシアのウクライナ侵略が続けられ、イスラエルによるガザ地区攻撃が止み

ません。今度はイランを攻撃し、トランプも核施設を爆撃しました。戦争は止めろ芹沢

文学は戦争反対です。この地球には戦争の無い世界平和を実現したいものです......

今年も芹沢文学読書会を継続して行きます。今回の読書会も、『思い出すこと』の批評

の最後の二章を読み語ります。梅雨の季節ですが、お元気に読書会にお出掛け下さい。


174芹沢文学読書会

日時 13  (午前10~12*平常は第2日曜日午前です]

A会場大分県立図書館研修室 No. 5 [平常は研修室No.5 です〕

★☆

B内容[I]芹沢文学に関する話題や情報 10:00~10:10 am 自由に話す。

[U]芹沢文学読書会 10:10~12:00 am 参加者で輪読

テキスト@「十五役所時代のこと」A「十六著作集の読者へ」

*@は、農商務省に就職し、交流した官吏(大臣)の石K農政課長、小平事務官、坂田君、武智君、小野さん。

特産局の勝田さん、植村幸五郎人事課長のことなどが回想されています。官吏を辞めてパリに留学。

Aは、著作集の読者に対して、収録しなかった作品のことが書かれています。『明日を逐うて』『ここに望あり』『命ある日』最後に大河小説『人間の運命』14巻でなく、16巻とすると明言しています。

初出『芹澤光治良作品集』(新潮社発行)の全16巻の月報に連載されました。昭和504505月。

初刊本/『こころの広場第三章思い出すこと』昭和 52 (1977)415新潮社発行。245頁、 800円。

再録『芹沢光治良文学館12平成9(1997)810新潮社発行に再録。 294~298頁。

=次回は、914 (2日曜日午前の予定です。


◎同封資料紹介 (墓碑「芹沢光治良」 ( 「宮沢賢治」岩井寛著平成9(1997)610日東

京堂出版発行『作家の臨終墓碑事典』 178 頁。 *岩井寛氏は、昭和16年に川崎市に生まれ、明治大学文学部卒。出版社に勤めながら、全国の墓地・霊園を廻り、7千人の墓を調査した。『作家臨終図絵』『作家の墓を訪ねよう』の著作があり、この本はその集大成と言える。「芹沢光治良」178頁に書かれていて、墓の写真も収録されている。同年生まれとも言われる「宮沢賢治」 (314)も参考まで収録した。



芹沢文学大分友の会

 7 (2025)625 ()

ふじ

会報No.173

編集・文責小串信正

173

芹沢文学読書会の報告

大分県立図書館研修室No.1


173回の芹沢文学読書会が、 518 (に大分県立図書館の研修室No.1で行われました。芹沢光治良記念文化財団の小冊子『芹沢光治良ノート (5) や芹沢文学館の頃の会報「芹沢・井上文学館友の会会報163を今回も参考資料として参加者に渡しました。ノートには、長編小説『サムライの末裔』が紹介されています。雑誌<婦人公論>に連載された時の題は『一つの世界』で仏訳では『サムライの末裔』となりました。小学館の新刊は『サムライの末裔』です。会報の (1) 頁には、次女朝子さんの御主人野沢孝氏の随筆「軽井沢星野の山荘」、連載芹沢文学入門88には短編小説「戯れに恋はすまじ」。東京愛好会の「軽井沢緑陰セミナー」も紹介。

今回のテキストは、『こころの広場思い出すこと』の二評論で、@「十三私の裡に棲む鬼」とA「十四ソルボンヌ大学で」を読み語りました。次回も、「思い出すこと」の二評論を読み語ります。

【芹沢文学案内 No.117図録戦後八十年連動企画展「光治良の戦争と平和「サムムライの末裔」」沼津市芹沢光治良記念館から、企画展「光治良の戦争と平和『サムライの末裔』 -」の図録 (冊子)が届きました。カラーの表紙で、 A4 57 頁の冊子です。企画展 (令和7613~令和71130の案内図録のようですが、「展示品と本書掲載資料とは必ずしも一致しない」とのこと。今年令和7 (2025)年は終戦から80年目に当たるので、この機会に「戦争と平和」を長編小説『サムライの末裔』を通して再認識する企画として、この図録が編集され刊行されたようです。新資料や別紙年表も収録。芹沢光治良は、明治・大正・昭和を生き抜き、膨大な作品を創作しました。また、随筆評論や書簡や日記も書き続けました。その集大成は、大河小説『人間の運命』(16)であり、最晩年の連作『神と人間』 (未完と言えます。芹沢光治良は、パリに留学しソルボンヌ大学院で経済学や社会学を学びましたが、結核で倒れフランスやスイスの高原療養所で闘病し、作家になる決意をして帰国しました。雑誌改造の懸賞小説に昭和5年に当選して、療養しながら作家生活を始めました。日本は中国に進出し満州事変、上海事変から満州国を建国しました。日華事変から南方戦線となり、太平洋戦争から、昭和208月に広島・長崎に原子爆弾が落とされて、敗戦したのです。

芹沢邸は空爆され、中軽井沢の山荘に家族で疎開したのでした。戦中には『孤絶』『離愁』や『巴里に死す』を創作し、疎開日記を書き、昭和20815日の終戦を迎えたのです。

戦後には、『夜毎の夢に』を書き、映画化 ( 「異国の丘」)されました。昭和26年のスイス

の国際ペン大会に参加し、帰路にパリで旧友の尽力で『巴里に死す』が仏訳出版されることになり、仏訳の第二作として昭和27年に広島の原爆投下の惨劇を『一つの世界又はサム

ライの末裔』に書きました。昭和30年に仏訳LA FIN DU SAMOURAIが刊行され、大きな

反響を与えたのです。それで、『サムライの末裔』の題でも出版されました。この作は原爆

文学としてもっと評価され精読されるべき長編小説だと思います。しかし、この作は戦後の

米兵との混血児問題にも取組み、人種を越えて世界平和を説く「一つの世界」が書かれてい

るのです。それで芹沢光治良先生は、題を『一つの世界又はサムライの末裔』とすることを

明言したのです・・・。小学館からも『サムライの末裔』と題して刊行されたのですが、この企

画展は「光治良の戦争と平和『一つの世界』 -と題されるべきであったと私は思います。

posted by セリブン at 18:38| Comment(0) | 芹沢文学読書会 大分