2月の例会は前日からの強風が東京を襲い、電車が遅れる、止まる等で読書会の開始時間には、8人ぐらいの集まりでした。京葉線(東京デズニーランドに行くにはこの電車を使います)やこれと接続している武蔵野線(船橋から埼玉を通って東京まで)は、悪天候になるとよく止まるのですが、常磐線が止まったのは、珍しく、参加できない人を多くしたのではないでしょうか。しかし、休憩にはいるまでの2時間半はたっぷりと本当に「ダベル」会の雰囲気で丁々発止の意見の交換がありました。
今回のテキスト『巴里よ・さよなら』は、その内容から主人公松村への好き嫌いがハッキリとわかれて、それ故に意見交換に熱を帯びたのではないでしょうか?
時間がたつとともに、遅刻で駆けつけた人も集まり、休憩後はいつもの人数になりました。
そして休憩後に、この内容が森鴎外の『舞姫』に似ているという指摘が出てきました。ここで書いている管理人も高校一年生の時、この題材を読んで衝撃を受けたのを覚えています。まだ純真可憐な高校一年生の私は、この『舞姫』の主人公豊太郎のドイツでのエリスとの交情が私と同じくらい純真で優しくエリスとの愛を成就するため、免職にされながらもエリスと生活してしました。
このエリスと初めて出会う所の文章は美しいと思いました。引用しますね。
或る日の夕暮なりしが、余は獸苑を漫歩して、ウンテル、デン、リンデンを過ぎ、我がモンビシユウ街の僑居に歸らんと、 クロステル巷の古寺の前に來ぬ。余は彼の燈火の海を渡り來て、この狹く薄暗き巷に入り、樓上の木欄《おばしま》に干したる敷布、襦袢 《はだぎ》などまだ取入れぬ人家、頬髭長き猶太《ユダヤ》教徒の翁が戸前に佇みたる居酒屋、一つの梯《はしご》は直ちに樓《たかどの》 に達し、他の梯は窖《あなぐら》住まひの鍛冶が家に通じたる貸家などに向ひて、凹字の形に引籠みて立てられたる、 此三百年前の遺跡を望む毎に、心の恍惚となりて暫し佇みしこと幾度なるを知らず。
今この處を過ぎんとするとき、鎖したる寺門の扉に倚りて、聲を呑みつゝ泣くひとりの少女あるを見たり。年は十六七なるべし。 被りし巾を洩れたる髮の色は、薄きこがね色にて、着たる衣は垢つき汚れたりとも見えず。我足音に驚かされてかへりみたる面、 余に詩人の筆なければこれを寫すべくもあらず。この青く清らにて物問ひたげに愁を含める目《まみ》の、 半ば露を宿せる長き睫毛に掩はれたるは、何故に一顧したるのみにて、用心深き我心の底までは徹したるか。
彼は料《はか》らぬ深き歎きに遭ひて、前後を顧みる遑なく、こゝに立ちて泣くにや。我が臆病なる心は憐憫の情に打ち勝たれて、 余は覺えず側に倚り、「何故に泣き玉ふか。ところに繋累なき外人《よそひと》は、却りて力を借し易きこともあらん。」といひ掛けたるが、 我ながらわが大膽なるに呆れたり。
彼は驚きてわが黄なる面を打守りしが、我が眞率なる心や色に形《あら》はれたりけん。「君は善き人なりと見ゆ。彼の如く酷くはあらじ。 又た我母の如く。」暫し涸れたる涙の泉は又溢れて愛らしき頬を流れ落つ。
古文体でも、情景描写は具体的に迫ってきますね。
ところが、ここぞというところで、豊太郎はエリスを裏切り、復職して帰国します。 〈( `^′)〉エッ...
これが、ショックだったことを覚えています。また、こういう内容を教科書に載せる高校という所はおもしろいと思いました。ここに二つの作品の梗概を書きます。
ところで、『巴里よ・さよなら』(初出:1933年(昭和8年)11カ月1日 現代)の梗概は、
メーデーに3年ぶりにパリから帰国する武内教授は、帰国のためのトランクを買って部屋に戻った。 部屋には愛人のマルトが待っていたが、武内の愛を疑っていなかったマルトは武内に妻子があると知って激怒する。
本作では部屋の窓の向こうにいる植木屋がアクセントになっている。植木屋が沢山の窓の中の出来事を見知っていて、 人生の達人のような位置で描かれているのがおもしろい。(HP芹沢光治良文学館より)
森鴎外の『舞姫』(1890年(明治23)1月)の梗概は、
某省の命令を受けてペルりンに留学した太田豊大郎は、自由な学問の精神に目覚めて、偶然に知り合った踊り子エリスとの仲を疑った留学生仲間の告げ口がきっかけで官長より職を解かれてそのまま某新聞社の通信員として同地に在留することになり、彼女と生活を共にするが、友人相沢の計らいで再げ官に仕える途を選ぶ結果になり、そのために太田の人事不省中に発狂してしまったエリスを置いて帰国し、その経緯を悔恨をもって回想する。
『巴里よ・さよなら』の竹内教授も、ベルリンに留学した太田林太郎も自由な西欧社会に「近代的自我」に目覚め、おのおの女性に出会う。結局、二人とも女性を捨てて帰国する。それは意志的な選択や決意ではない。家庭と国家や社会に奉仕する事を一念とした当時の青年が、近代精神に目覚め、恋愛の真の意義を悟り苦悶するか、または正当づけようとする。結局この封建的な明治悲劇の根源は瞬時の衝動を制御できなかった性格の弱さではないか。
『巴里よ・さよなら』では、
マルトは武内に妻があるばかりか、もう十歳になる娘のあることも知らないらしい。 マルトが最初フランス語の教師として引合はされた時、友人から武内教授が未婚者だと云ひ聞かされて来た。 そして或る一日のフランス譜の会話に、
−貴方は結婚してゐないのですか。
−いゝえ。
文法上えゝと答ふ可きところを、日本語式にいゝえと云つてしまつて、 その友人の偽りごとを裏書きすることになつた。
ー貴方ほ四十歳だと云ひますが、ニ十臺に見えますもの、結婚しなかつたことは賢明てすわ。
武内教授は未婚者だとマルトが思ひ込んだことに気付いたが、どうせ会話の練習だからと思って、その事実の訂正を怠った。 しかしこの女数師と(云ふのが実は上等な街の女だつたが)お前、あんたと云ふ仲になつた時には、その事実を今更訂正して、 日本に妻がゐるとは云ひ得なかつた。それに二人の関係も巴里に在る間だけと、 経験家の友人がよくマルトに始めから約束してあると云ふのだから、不本意なことの偽りを、訂正するにも及ばないと思つてゐた。 しかし一つの偽りがあつたために、その後いくつかの偽りがそれに重なることになつた。
そして別れる時のマルトを思ふ真情にも、その嘘の影がさしてしまつた。それが武内教理の心を重くするー
まさしく、性格の弱さを露呈していると思います。
読み方は、個人それぞれ全く自由であります。主人公に自分を重ね合わせ、その状況下で、どのように考えるか、さらに、作者が用意した主人公がどのような行動をとるか、作者と考えを交換しながら読み進めていくことが出来るのがまさしく芹沢文学の魅力だと思います。また、この主人公が自分とは全く異なる者として小説を読み進めていくことも出来るのです。
『舞姫』は、
我が隱しには二三「マルク」の銀貨あれど、それにて足るべくもあらねば、 余は時計をはづして机の上に置きぬ。「これにて一時の急を凌ぎ玉へ。 質屋の使のモンビシユウ街三番地にて太田と尋ね來ん折には價を取らすへきに。」
少女は驚き感ぜしさま見えて、余が辭別《わかれ》のために出したる手を唇にあてたるが、はら/\と落つる熱き涙を我手の背《そびら》 に濺ぎつ。
この文でも豊太郎が、国を代表して留学してきたエリートで国家に属するため、エリサに優しく接することができる。
家のために、立身出世する(個人ではないことに注意してください)豊太郎にヨーロッパで経験した自由でふと芽生えてきた自我というのは、エリサのように強いものではなく、自由なものではない。持って生まれた優しさで「近代的自我」を確立しようとしていた豊太郎は結局、確立するのに至らなかった。
この、自分との立場の違いの読み方で私達は、何を知ったのでしょう。豊太郎、竹内教授の人間の弱さを指摘するのは、簡単であります。
ここで、森鴎外、芹沢光治良が提示しているものは、一体どういう事なのでしょうか?
鴎外が、この『舞姫』で人間性の内面にはじめて小説の形で光をあてています。鴎外の文は、古文で書かれ、漢字も難しくなかなかストレートに理解するのは、難しかった記憶がありますが、芹沢光治良のこの短篇では、簡明な文体で内面に当てていた姿がわかりやすく提示されています。それは、人間が持つ理性がすべてを意識できないこと、無意識な部分からの意思に揺り動かされる不自由な存在が人間であること。その結果、人は功利的な生存競争の苦しみから逃れることが出来ないことを提示しています。ここのところに両者共通な部分があるのではないでしょうか。
『神シリーズ』では、主人公が苦しみや欲など生きる上での様々な束縛から解放される事を説いているを思い出します。芹沢光治良が文学で行ってきたことは、芹沢自身が語っているように「文学は 物言わぬ 神の意思に 言葉を与えるものである」。
『巴里よ・さよなら』で見せた人間の弱さ。これをどう克服するか、それを書き記したものが『神シリーズ』ではないでしょうか。
投稿者: 管理人 日時: 2008年03月10日 20:58
2008年03月10日
芹沢光治良の『巴里よ・さよなら』と森鴎外の『舞姫』
posted by セリブン at 20:58| Comment(0)
| 芹沢光治良の作品
2007年10月01日
教祖様 (第9,10章から)
全国大会では芹沢光治良の作品を手に取って見ることが出来るように芹沢作品を用意します。現在出版され入手可能なものです。『教祖様』もその一作品です。
教祖様の最終章の感想を書きます。この記録は11年前の平成8年4月21日に書いたものです。この2週間後に生誕100周年の全国大会が行われました。
なぜみきは、寿命を縮めて死んでしまったのか。疑問を持ちながら読んでみたのですが、それはどうもみきがあまりにも優しく母親的であったからではないかと思います。
9章の始めに側近者は、道の上でみきに喜んでもらいたい、または、苦労をかけたくないという理由から公認問題ばかりに努力してそれを正当化する為に、必要以上に警察を恐れたとありますが、もう一つ理由があったのではないかと思います。
それは、みきの信者がふくれあがり、全国に広まり大きな組織になってしまったということです。この間までは、平凡な農夫に過ぎなかったものが、取り次ぎの先生と全国からやってくる人々にあがめられる。その人々がお布施を持ってくる。きっと知らず知らずにお寺と檀家のように所有物という考え方が生まれ、お筆先を読むより、組織の運営に心をとられたそのための公認問題ではなかったかと感じます。そうでなければ、公認に反対し、それどころか高山に道をつけると勇んでいるみきを見れば間違っていることが判るはずですし、そもそも警察の弾圧は、高山に道をつけるだけではなく、信仰を強くするという効果もねらっていたのではないかと思います。
大戦中、ナチのアウシュビッツの収容所で身代わりに死刑を受けたコルベ神父が迫害され試練の惨禍に遭ってこそ、信仰は燃え上がると言って、収容所から帰らないことを決めるのですが、そういう効果を期待した上での弾圧だとしたら、まるで逆の方へ行ってしまっていることにもなります。
ではなぜ、そんあことになってしまったのかといえば、みきが優しい母親で子供が甘えて親離れできなかったからではないか、父親はかんじんな時に、怒ったり褒めたりして、要所要所を押さえている為、印象も強く心に残ります。これはキリストの短いが強い印象を残した布教期間と同じで、それに対して、母親は、のべつまくなしだらだらと怒り、ずっと側にいるので、つい親しみを込めて、軽く扱われてしまう。
みきの50年近い信仰生活は、信者とあまりにも慣れ親しみすぎてしまった。みきの言葉や資料が残っていないのもそのためではないか。信者にとって、威厳を持って、恐ろしく感じてもやはり母親には、変わりなくきっと許してくれる。だだをこねれば、承知してくれるという母親に対する甘えが最後まで無くならなかった。みきとしては、成人した子供が親を助けるように側近者に手助けしてもらいたいとおもっていたが、だだっ子で終わってしまった。その愚痴が「私を助けようとする人は、一人もありません」と言わせたのではないかと思います。そんな親離れできない子供達の為にみきは寿命を縮めて亡くなり、キリストの復活のように残った人々が命を省みないほど信仰を厚くしてくれることを望んだのですが、いつまでも母親に甘えたいための復活で終わってしまう。ここにいるんだ。
生活しているんだと思いこむことで寂しさや辛さをごまかして依然と変わらずだだをこねれば、許してくれると教えをゆがめて明治経典を作らせてしまうのでないかと思いました。
投稿者: 管理人 日時: 2007年10月01日 21:41
教祖様の最終章の感想を書きます。この記録は11年前の平成8年4月21日に書いたものです。この2週間後に生誕100周年の全国大会が行われました。
なぜみきは、寿命を縮めて死んでしまったのか。疑問を持ちながら読んでみたのですが、それはどうもみきがあまりにも優しく母親的であったからではないかと思います。
9章の始めに側近者は、道の上でみきに喜んでもらいたい、または、苦労をかけたくないという理由から公認問題ばかりに努力してそれを正当化する為に、必要以上に警察を恐れたとありますが、もう一つ理由があったのではないかと思います。
それは、みきの信者がふくれあがり、全国に広まり大きな組織になってしまったということです。この間までは、平凡な農夫に過ぎなかったものが、取り次ぎの先生と全国からやってくる人々にあがめられる。その人々がお布施を持ってくる。きっと知らず知らずにお寺と檀家のように所有物という考え方が生まれ、お筆先を読むより、組織の運営に心をとられたそのための公認問題ではなかったかと感じます。そうでなければ、公認に反対し、それどころか高山に道をつけると勇んでいるみきを見れば間違っていることが判るはずですし、そもそも警察の弾圧は、高山に道をつけるだけではなく、信仰を強くするという効果もねらっていたのではないかと思います。
大戦中、ナチのアウシュビッツの収容所で身代わりに死刑を受けたコルベ神父が迫害され試練の惨禍に遭ってこそ、信仰は燃え上がると言って、収容所から帰らないことを決めるのですが、そういう効果を期待した上での弾圧だとしたら、まるで逆の方へ行ってしまっていることにもなります。
ではなぜ、そんあことになってしまったのかといえば、みきが優しい母親で子供が甘えて親離れできなかったからではないか、父親はかんじんな時に、怒ったり褒めたりして、要所要所を押さえている為、印象も強く心に残ります。これはキリストの短いが強い印象を残した布教期間と同じで、それに対して、母親は、のべつまくなしだらだらと怒り、ずっと側にいるので、つい親しみを込めて、軽く扱われてしまう。
みきの50年近い信仰生活は、信者とあまりにも慣れ親しみすぎてしまった。みきの言葉や資料が残っていないのもそのためではないか。信者にとって、威厳を持って、恐ろしく感じてもやはり母親には、変わりなくきっと許してくれる。だだをこねれば、承知してくれるという母親に対する甘えが最後まで無くならなかった。みきとしては、成人した子供が親を助けるように側近者に手助けしてもらいたいとおもっていたが、だだっ子で終わってしまった。その愚痴が「私を助けようとする人は、一人もありません」と言わせたのではないかと思います。そんな親離れできない子供達の為にみきは寿命を縮めて亡くなり、キリストの復活のように残った人々が命を省みないほど信仰を厚くしてくれることを望んだのですが、いつまでも母親に甘えたいための復活で終わってしまう。ここにいるんだ。
生活しているんだと思いこむことで寂しさや辛さをごまかして依然と変わらずだだをこねれば、許してくれると教えをゆがめて明治経典を作らせてしまうのでないかと思いました。
投稿者: 管理人 日時: 2007年10月01日 21:41
posted by セリブン at 21:41| Comment(0)
| 芹沢光治良の作品
2006年11月01日
「ソクラテスの妻」
管理人です。芹沢文学愛好会をHPをブログの形式にして、会員の方から問い合わせがありました。
ここに書いてあることに対して意見を書きたい場合どうしたらよいかという質問です。各々の記事に「コメント」というものがあります。そこをクリックして下さい。そうすると投稿できる書式が出てきます。そこに「コメント」を書いて「確認」ボタンを押して確認したあと、「投稿」ボタンを押して下さい。
「ソクラテスの妻」昭和25年5月号の小説新潮に載ったものです。
「ソクラテスの妻」
ソクラテスのあだ名を持つ浩二は愛子との間に十一人もの子供があり、失業し二間しかない家に折り重なるようにして暮らしていたが、突然愛子から妊娠を告げられる。子供たちに蔑まれながらもキリスト教を信じる浩二は中絶を拒むが、ならば神の力で流産させてほしいと愛子に迫られ、祈りながら腹をさすった。中絶のための金を工面した日、愛子からおりものがあったと告げられ、その夜夫婦は手を取り合い、神妙な感動で涙ぐむのだった。
貧しい暮らしの中、夫に頼り切って鷹揚に過ごし、子供といることに満ち足りている母親や子供達に悲壮感は無く、暗い内容に明るさを感じさせるものがある。人間らしい姿や生きようとする姿勢は理解できるが、信仰に対しての考え方に差があり、お互いの思いが伝わらず行き違いが見られる。そして、それを埋めたのが十二人目の妊娠だったのかも知れない。
妻はこの事で夫の神を信じられるようになり、夫婦は手を握り始めて理解し合えたと言えるだろう。
一方、計画性が無く仕事にも就かないだらしない夫に憤りを感じると言う感情も歪めない。子供達の言葉に反論も出来ずに流産するよう憑かれたもののように妻の腹をさする夫の姿には生きる姿勢というより鬼気迫るものを感じる。また、胎児を自然の無駄と言って憚らない妻にも、姉妹が多いことを嘆き孝養を忘れた子供達にも憤りを感じる。
貧すれば鈍すると言うが、そればかりではなく、父親の信仰を家族が分かち合えないまま、一方的に信仰を強制してきたことに一因はないか。ここでもまた、宗教と個人について考えさせられる。
ソクラテスと銘打たれたのはなぜか。父親の現実に無頓着な事を喩えたのか。宗教家だがソクラテス同様、生活能力がないと言う二面性があるからか。
それにしてもギリシャの知識人達を論破していったソクラテスの力強さや意志の強さをこの父親に感じることは出来ず、また、名だたる悪妻として有名なソクラテスの妻を、この母親に重ねるのも気の毒な感がある。
ここに書いてあることに対して意見を書きたい場合どうしたらよいかという質問です。各々の記事に「コメント」というものがあります。そこをクリックして下さい。そうすると投稿できる書式が出てきます。そこに「コメント」を書いて「確認」ボタンを押して確認したあと、「投稿」ボタンを押して下さい。
「ソクラテスの妻」昭和25年5月号の小説新潮に載ったものです。
「ソクラテスの妻」
ソクラテスのあだ名を持つ浩二は愛子との間に十一人もの子供があり、失業し二間しかない家に折り重なるようにして暮らしていたが、突然愛子から妊娠を告げられる。子供たちに蔑まれながらもキリスト教を信じる浩二は中絶を拒むが、ならば神の力で流産させてほしいと愛子に迫られ、祈りながら腹をさすった。中絶のための金を工面した日、愛子からおりものがあったと告げられ、その夜夫婦は手を取り合い、神妙な感動で涙ぐむのだった。
貧しい暮らしの中、夫に頼り切って鷹揚に過ごし、子供といることに満ち足りている母親や子供達に悲壮感は無く、暗い内容に明るさを感じさせるものがある。人間らしい姿や生きようとする姿勢は理解できるが、信仰に対しての考え方に差があり、お互いの思いが伝わらず行き違いが見られる。そして、それを埋めたのが十二人目の妊娠だったのかも知れない。
妻はこの事で夫の神を信じられるようになり、夫婦は手を握り始めて理解し合えたと言えるだろう。
一方、計画性が無く仕事にも就かないだらしない夫に憤りを感じると言う感情も歪めない。子供達の言葉に反論も出来ずに流産するよう憑かれたもののように妻の腹をさする夫の姿には生きる姿勢というより鬼気迫るものを感じる。また、胎児を自然の無駄と言って憚らない妻にも、姉妹が多いことを嘆き孝養を忘れた子供達にも憤りを感じる。
貧すれば鈍すると言うが、そればかりではなく、父親の信仰を家族が分かち合えないまま、一方的に信仰を強制してきたことに一因はないか。ここでもまた、宗教と個人について考えさせられる。
ソクラテスと銘打たれたのはなぜか。父親の現実に無頓着な事を喩えたのか。宗教家だがソクラテス同様、生活能力がないと言う二面性があるからか。
それにしてもギリシャの知識人達を論破していったソクラテスの力強さや意志の強さをこの父親に感じることは出来ず、また、名だたる悪妻として有名なソクラテスの妻を、この母親に重ねるのも気の毒な感がある。
posted by セリブン at 06:23| Comment(0)
| 芹沢光治良の作品