芹沢光治良先生の作品はたくあんあります。その中でスピンオフの作品もあります。『孤絶』のスピンオフ作品は『巴里に死す』『離愁』に出てくるベニシ夫人との出会いと交流、20年以上のベニシ夫人との再会が『落ち葉の声』です。
2022年07月17日
2022年06月12日
芹沢先生が文学に
その研究が私のよろこびの仕事でもなく、私の魂のかげさえとどめたのであることを、腹立たしく感じはじめた。自分を生かすつもりで、ヨーロッパへ来たのに、私は帰朝後の職業のこととか、妻の希望とか、はかないことにこだわって、歓喜のない精根を砕いていた・・#孤絶より #芹沢光治良 が文学に
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2022年06月07日
『孤絶』を読んで思ったこと
「赤ん坊の名前は、M子としたらどうでしょう」と、思い詰めたことを吐き出すように言った。『孤絶』より
作者、31歳、1927(昭和2年)長女「万里子」さん 1月に誕生。
・「貨幣の数量と価値の変動」完成後肺結核でフランスやスイスで療養。
『孤絶』でのこの会話は、1942(昭和17年)作者46歳の時に『巴里に死す』を「婦人公論」に(1月〜12月)の連載に繋がります。
1941(昭和16)年10月が『孤絶』の初出です。作者の書く速さは、凄いですね。芹沢光治良先生は、作家を志す若い人たちに
「毎日原稿用紙3枚書くように」と話されていたそうです。 この3枚と言うのはとても微妙ですね。
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