「ソクラテスの妻」
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「ソクラテスの妻」昭和25年5月号の小説新潮に載ったものです。
「ソクラテスの妻」
ソクラテスのあだ名を持つ浩二は愛子との間に十一人もの子供があり、 失業し二間しかない家に折り重なるようにして暮らしていたが、突然愛子から妊娠を告げられる。 子供たちに蔑まれながらもキリスト教を信じる浩二は中絶を拒むが、ならば神の力で流産させてほしいと愛子に迫られ、祈りながら腹をさすった。 中絶のための金を工面した日、愛子からおりものがあったと告げられ、その夜夫婦は手を取り合い、神妙な感動で涙ぐむのだった。
貧しい暮らしの中、夫に頼り切って鷹揚に過ごし、 子供といることに満ち足りている母親や子供達に悲壮感は無く、暗い内容に明るさを感じさせるものがある。 人間らしい姿や生きようとする姿勢は理解できるが、信仰に対しての考え方に差があり、お互いの思いが伝わらず行き違いが見られる。そして、 それを埋めたのが十二人目の妊娠だったのかも知れない。
妻はこの事で夫の神を信じられるようになり、夫婦は手を握り始めて理解し合えたと言えるだろう。
一方、計画性が無く仕事にも就かないだらしない夫に憤りを感じると言う感情も歪めない。 子供達の言葉に反論も出来ずに流産するよう憑かれたもののように妻の腹をさする夫の姿には生きる姿勢というより鬼気迫るものを感じる。また、 胎児を自然の無駄と言って憚らない妻にも、姉妹が多いことを嘆き孝養を忘れた子供達にも憤りを感じる。
貧すれば鈍すると言うが、そればかりではなく、父親の信仰を家族が分かち合えないまま、 一方的に信仰を強制してきたことに一因はないか。ここでもまた、宗教と個人について考えさせられる。
ソクラテスと銘打たれたのはなぜか。父親の現実に無頓着な事を喩えたのか。宗教家だがソクラテス同様、 生活能力がないと言う二面性があるからか。
それにしてもギリシャの知識人達を論破していったソクラテスの力強さや意志の強さをこの父親に感じることは出来ず、また、 名だたる悪妻として有名なソクラテスの妻を、この母親に重ねるのも気の毒な感がある。