seri1.jpg unmei6.jpg 阿倍光子と芹沢光治良 : 芹沢光治良文学愛好会

2025年02月07日

阿倍光子と芹沢光治良

 阿倍光子氏は昭和18年6月25日に短編集『猫柳』を出版した。この短編集で、芹沢光治良が『猫柳の序に代えて』という一文を載せている。全文は、ここに載せられません。しかし、この文を読むと、芸術における師弟関係がよくわかります。そしてここでわかるのは、驚異的な阿倍光子の意志であります。

 「猫柳の序に代へて」


芹 繹 光 治 良


あなたのお作を、拝読するやうになってから、十二三年にもなりませうか、その問お作五十篇も読んで、いらいち批評もし. ご注意もしましたが、私のこのみをあなたに押しつけて、あなたを私へ近づけることのないやうに、 お作に私の影響が及びませんやうに心懸けて来ました。あなたにはあなたの作品、 あなたでなければできない作品を書いてもらひたいと念するあまり、読後感らしい批評はしても、 所謂創作指導のやうなことは一回もいたしませんでした。あなたはそれを物足りなく恩ふ日はあっても、 文学者は自巳の道は自らひらかねばならないといふ確信をもつて、手探りするやうに一作一作創作して、 その点私はただあなたの作品の忠実な愛読者になつて、十年以上もあなたの成長をみまもつて参りました。


 芹沢先生が、阿倍光子氏の創作の指導において、オリジナリティに置くことは、その前提に阿倍光子氏の持ち込む小説のレベルの高さがあるとしても、最後には作家の持つオリジナリティです。芹沢光治良の小説は、芹沢光治良しか書けない。(当たり前ですね)阿倍光子のオリジナリティを守るということは、なかなか大変な事です。

 オリジナリティとは、何でしょうか?

 音楽では、他人の演奏を聞いて、例えばモーツァルトを聞いて、いわゆるモーツァルトらしさの枠組みの中で、私達が何か新しい事を聞いたときにおける感動では、ないでしょうか?

 なかなか、経験することは出来ないのですが、クリーブランド管弦楽団が来日したときの『新世界』は素晴らしかったですね。何も奇をてらっての演奏ではありませんでした。『新世界』という常識の中に、新しさを実感し、感動しました。今でも思い出すのは、100人あまりの楽員が音を合わせ、メロディと伴奏部が一対となり、出てくる音すべてが、意味あるものに聞こえてきたのです。聞いたことがあるメロディ、和音に新しい意味づけを感じました。

 そういえば、『アマデウス』という映画で、ヨゼフ皇帝2世から、「QUITE NEW 」と言われ、喜ぶシーンがあります。これは、作曲家ゆえにこういわれたら喜ぶのがよくわかりますよね。このシーンの後でヨゼフ皇帝2世が「音が多すぎる」とモーツァルトに言うのですが、モーツァルトは、「どれも必要な音です」「どの音が、必要ではないか」と尋ねます。クリーブランド管弦楽団の演奏はまさにどれも必要な音だと私によく解らせてくれた演奏でした。あの演奏は、クリーブランド管弦楽団でしか出せない演奏だったと思います。

 先程の引用の後、阿倍光子氏の意志の強さを感じさせる文章が続きます。

 最後に

  芹沢先生は、

  あなたを知らない多くの人にも、荒寥たる生活の慰安とも激励ともなりませう。もう発表をためらはずに、 相変わらず創作をつづけられることを祈ります。

  昭和一八年 春

んと結んでいます。

 芹沢先生は、序文の中で、阿倍光子氏が十数年(!)芹沢先生に私淑していたことをあかしています。十数年の間に

書かれた作品は、この序文でそういう内容か充分わかりますね。

 ところで、阿倍光子氏は本名「山室 光(ヤマムロ ミツ)」と書いてあります。

 阿倍光子氏は、日本救世軍こと救世軍日本本営の創始者である山室軍平の息子さんと結婚しました。


投稿者: 管理人 日時: 2008年12月07日 19:18
posted by セリブン at 07:01| Comment(0) | 芹沢光治良と作家
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