seri1.jpg unmei6.jpg こんばんわ、管理人です。 : 芹沢光治良文学愛好会

2007年10月25日

こんばんわ、管理人です。

 全国大会の報告が遅れてすいません。芹沢・井上文学館友の会の原稿をこの数日書いておりました。

あっという間に書き上げたのですが、本文の字数の5倍以上の量になり、これを指定した字数にするのに大変な作業を行いました。これだけカットするには、氷のような意思で冷徹に作業をし、字数に治めました。

 話は変わりますが、芹沢光治良氏は、大正13年(1924) 11月29日30日東京音楽学校第48回定期演奏会でベートーベンの第9の初演を聞いています。農商務省の仕事について触れていますので、29日が金曜日の方だと思います。この演奏会には、寺田寅彦氏や戦後すぐ、東京音楽学校の学長になった夏目漱石の弟子である小宮豊隆が連れだって聞きに来ている。

 この2人は、直接芹沢光治良との関係は、管理人にはわからないが間接的には関係がある。

 小宮は東京音楽学校時代に万里子さんのピアノの先生だったレオ・シロタ氏がアメリカに行くきっかけを作った人であるらしい。

 軽井沢の星野温泉では、寺田寅彦氏がおられた。戦前のエッセイで、東京から来た一高の生徒のレコードコンサートによく聞きに来た娘さんというのは、実名を出さないけれど、寺田氏の娘さんを指しているのが読み取れる。

 話しは、どんどん飛んでいきますが、藤村は、作曲家の諸井三郎との対談で「子供の領分」の楽譜を日本に最初に持って帰ったのは自分ではないかと話している。星野の別荘には、明治の高名な作曲家広田龍太郎氏の別荘が芹沢光治良氏の別荘の近くにあるが、島崎藤村は、「子供の領分」が大好きでしたが、この楽譜をパリの土産と持って帰った相手が「高安月郊君の娘さん」でありますが、この人が広田龍太郎のお嫁さんになった人である。

 

投稿者: 管理人 日時: 2007年10月25日 23:59
posted by セリブン at 23:59| Comment(0) | 全国大会
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