平山氏「読書会という事では、日本各地にあります。今日は各地で開催されている読書会を順不同で紹介していきます。最初に芹沢文学大分・友の会芹沢文学研究会小串信正さんをご紹介します。」
「芹沢文学大分・友の会芹沢文学研究会を主宰しています小串というものです。・・・芹沢光治良文学愛好会は、30年前芹沢文学館東京友の会という発想で、始めたわけですがその時は春と秋に研究発表や講演会のようなものを持ちたい,それから年何回か芹沢先生の懇話会ですね、そういうものを持ちたいと言うことが最初にそういうものがありました。
そのうえに、特に熱心な方達に、毎月来ていただいて芹沢文学愛好会というのをやろうとそういうことでその当時芹沢文学研究会という形でやっていたのです。それが研究会ということでは、ちょっと名前が重すぎると言うことで、実際は読書会ということで、愛好会という形で名前が変更されました。その後、私は大分の方に帰りまして、一人で研究をしておりましたが、芹沢文学については、これだけ熱心な愛読者がいるのですが、なかなか研究をしている人がいないと、その研究もないということもあるのですが、文学史において評価をされていません。それで是非とも学術的な研究の必要性をもう一度自覚しまして、地方の大分で芹沢文学研究会を再開しました。それが平成4年、1992年、1月に発会しましたので、現在16年目の歩みをしています。
これは地方の会というよりも意識としては全国、或いは全世界の意識を持っております。ですから今回こういう資料を作りまして受付のところにおいてありますのでお読みいただいて、もし興味を持たれましたら、是非ともご入会していただきたいと思います。全国各地に会員がおりますが、実際には地方の大分市に会を持っていますので研究例会というのが持てません。その上に年一回やらなくてはいけない総会さえも開いていないような状態です。年4回四季報として春、夏、秋、冬、会報を送ったり同封資料を送ったり、することしか出来ていません。名目が芹沢文学研究会という大きな名前を付けておりながら、なかなか成果を出していないとは私の力量不足によります。
会が発会した時に芹沢先生が平成5年に急になくなりました。その一年前から始めましたが、先生が亡くなることを予定していなかったので、その時はあわてましたが、そののちもずっと続けています。それで会誌として芹沢文学研究と批評、これ出すことになっているのですが、なかなか創刊第一号を芹沢先生の追悼号として平成7年に一回出しました。手作り的なものですが。その内の第2号とずっと追ってきたのですが、なかなか現在まで出せていません。現在準備をしていますので出来るだけ早く第2号を出したいと思っています。そういうことで実際の活動は行われていないのですが、本来はHPを作ってですね、そこで芹沢文学研究会をHP上で行うことも実際は可能です。実際それを作れてないのですが、そういうことも後には考えていきたいと思っています。芹沢文学研究会の大きなひとつの目標というのは、芹沢文学が日本文学史において高く正しく評価される、その啓蒙を行うということですね。それから、全国、この会員の方を中心にその方がその地域において友の会を作り、読書会をすると言うようなことを育てていきたいというふうに思っています。ですからそういう会員の方、新しく会員になられた方、地方で小さな読書会を始めたいと言うことがありましたら、申し出ていただきたいと思います。まあ、どれだけの助言や援助が出来るかわかりませんが、出来るだけその会が続いていけるような形で援助したいと思っていますので、申し出ていただきたいと思います。
芹沢文学研究会という名前を付ける以上は、本当はどこかの大学の研究室にこの会の事務局を置くというのが本来の理想です。そういう方が表れましたらそういう方に譲るというかバトンタッチしていいと思うのですが、細々とではありますが、学術的な芹沢文学の研究と言うことを掲げて、活動を続けて行きたいと思っています。どうもありがとうございました。」
大分の地で、芹沢文学を研究されてる小串様、お話を聞いて感銘を受けました。思えば、芹沢文学研究会の頃、まだ学生だった私は、小串さんとお話したことがあるのです。その頃の芹沢文学の研究に猛進された小串氏は、全然変わっていません。早く第2号読みたいですね。
投稿者: 管理人 日時: 2007年10月20日 17:19
2007年10月20日
第6回芹沢光治良愛読者全国交流会報告5
posted by セリブン at 17:19| Comment(0)
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