案内通信
No. 171
2024年12月23日 (月)
(令和6年)
戦争が
彼方此方(あちこち)ありて・・・
殺し合う!!
松林庵主人
12月便り
年の瀬になりましたが、お元気にお過ごしのことと思います。
人類は何故こんなに戦争をするのか? 地球温暖化で各地に災害が多発している。人類は21世紀を如何に生延びて行くのか?
世界では、ロシアの独裁者プーチンによるウクライナ侵略が続けられ、イスラエルによるガザ地区やレバノンの攻撃が止まず、シリアのアサド独裁政権が崩壊しました。北朝鮮やアフリカにも独裁者がいます。中国やアメリカも独裁化しています。
芹沢文学読書会を細々と継続して行きます。今回も県立図書館の都合で、12日ではなく、第3日曜日の19日に変更になります。
寒くなりますが、お元気に読書会にお出掛け下さい。
第171回・芹沢文学読書会
@日時; 1 月 19 日 (日) 午前10時~12時[*今回は特別に第3日曜日午前です]
A会場; 大分県立図書館研修室 No. 5 [*平常は研修室No.5 です]
B内容: [I]芹沢文学に関する話題や情報 10:00~10:10 am 自由に話す。
[U]芹沢文学読書会 10:10~12:00 am 参加者で輪読
○テキスト@「九随想について」A「十『人間の運命』のモデルについて」
*@は、『芹沢光治良文学館』の第九巻の月報で、随想集『こころの窓』『こころの旅』『人生について・結婚について』と「川端康成氏の死について」が収録されている。スイスとフランスの旅のこと。
Aは第十巻の月報で、『人間の運命』の登場人物のモデルは無く、石田の家はお世話になった植松家がモデルとのこと。植松家との交流が回想され、大河小説に石田家として虚構したのは報恩であったとか。
初出『芹澤光治良作品集』(新潮社発行)の全16巻の月報に連載されました。昭和49年2月~同50年5月。
初刊本/『こころの広場第三章思い出すこと』昭和 52(1977)年4月15日新潮社発行。全245頁、 800円。
再録『芹沢光治良文学館12』平成9(1997)年8月10日新潮社発行に再録。 268~275頁。
次回は、来年の3月9日(第2日曜日) 午前の予定です。
◎同封資料; 資料A「大河小説『人間の運命』関係の年譜」続き小串信正作成作成の年月日は不明。 * この年譜は、前号会報の同封資料の続きです。第二部・第三部、『われに背くとも』や大河小説『人間の運命』の終章『遠ざかった明日』、序章『海に鳴る碑』、そして書き下ろし長編小説『狭き門より』のことまで纏めたものです。これで大河小説『人間の運命』は、全16巻とし完結したのです。
後に、芹沢光治良先生は最後の改稿をしていました。それを勉誠出版が完全版として出版しました。これは、校正が不十分で、特に第16巻が単行本のもので、芹澤光治良作品集のものでないので不完全です。
芹沢文学大分友の会
令和6 (2024)年12月23日(月)
ふじ
会報 No.170
編集・文責小串信正
於大分県立図書館・研修室No.5
☆ 第170回芹沢文学読書会の報告
第170回の芹沢文学読書会が、11月17日(日)に大分県立図書館の研修室No.5 で行われました。熊埜御堂さんも読書会に来れなくなり、これから読書会をどのように続けて行くか切実な問題となりました。
初期に芹沢文学読書会と野上文学読書会を対としてやって、両方の会に参加している人も多くいました。芹沢光治良と野上弥生子を「良識派の作家」として、野上文学読書会の方々に芹沢文学読書会にも参加を勧めて行きたいと思います。以前に参加していた方にも再入会を勧めています。福岡県の会員の方々も可能な限り読書会に参加されますことをお願い致します。芹沢文学読書会を何とか継続させたいと思います。芹沢文学館の頃の会報「芹沢井上文学館友の会会報 161」を今回も参考資料として参加者
に渡しました。連載芹沢文学入門86には、「サロンマグノリア」のことが書かれていました。
今回のテキストも、「思い出すこと」の二評論を読み語りました。@「七「われに背くとも」と「遠ざかった明日」では、書名が『新しいフランス』となっていて、『新しいパリ』が正しい。A「八短篇小説について」も読み語りました。「ブルジョア」「歴史物語」「鈴の音」「大佐と少佐」のことなど…。
【芹沢文学案内 No.113】最初の随筆集『収穫』について
芹沢光治良は、小説だけでなく、多くの随筆、評論を書きました。随想集も多く出版されています。その最初の随想集『収穫』は、昭和16年12月11日に東峰書房から発行されました。定価1円30銭、 333 頁、箱入。
巻末の「あとがき」に「私は近頃努めて随筆や評論を書かないことにしてゐる。私の職分は創作することにあると信じてゐるから。少しでも高い小説を書くために自己を集中したい、自分の才能なりに最上の小説をのこして、この世を去
りたい... さう考へると、筆をつつしむことは、先づ随筆や評論を書かないことからはじめなければならない。やがて小説の技能をみがき得たといふ確信を持てる日には、小説を多く書くこともつつしむつもりである。」と自戒していますが、「林芙美子さんのご親切な慫慂[しょうよう]と、その間ずつと東峰書房三ツ木幹夫君の倦まざる熱意」で随筆集を出すことになったのです。「私の「精神の鏡」となるもののみを選んで、『私は考ふ』といふやうな題のものにまとめてみた」と書いています。それで、林芙美子が装幀し、『収穫』の題もつけたのです。
内容(目次)は、「愛する社会」に支那の旅、支那から帰って、新しい秩序、選擧雑感、試驗雑感、官吏と藝術、女教師、飛行機から、旅、槍騎兵、少女レヴューと女性。「文藝」にコクトオと一晩、文學者の對外問題、伯父さんの書齋で見たジード、シャルドンヌによせて、私の小説勉強、創作ノート、わが意圖(意図)、小説のモラル、ルポルタージュについて、心の地圖(地図)「自己を語る」に人間の裸體、青春はなかった、迎春、水車小屋と炭焼、戦場にある教へ子、春宵獨語、捨て犬、淺間山に向って、早春に遠き人を思ふ。「バルザック・人と藝術」、あとがき です。戦前なので、仮名は旧字体です。各随筆の最後に() に発表年月が書かれています。
収録は発表順ではありません。「バルザック・人と藝術」は文芸評論で、昭和7年に書いたも
のですが、他の随筆は昭和11年から16年に書いたものの中から選んで集録したものです。作
家として自立し評価される頃の随筆で、読み応えのある随筆が多く貴重なものと言えます。
この随筆集『収穫』は、後に新潮社版[平成9年6月10日発行]『芹沢光治良文学館 11』 (エッセイ 文学と人生) 書店から入手して一読することをお勧めします。