芹沢文学読書会No. 170
2024年10月21日 ( 月 )
(令和6年)
案内通信
あかでがに
赤手蟹
車に轢かれ
かわいそう
可哀相 松林庵主人
10月便り
10月になりましたが、残暑の日々が続いています。中々涼しい秋になりません。地球温暖化が着実に進んでいるようです。
海水温も一段と高くなり、黒潮も変になって、熱帯の魚が日本
列島の東北沖にまで登って来ています。漁業が心配です......。
世界では、独裁者プーチンによるロシアのウクライナ侵略が続けられ、北朝鮮の兵士が多数
投入されるとか!! イスラエルによるガザ地区攻撃が止まず、レバノン戦争も始まっています。
人類は全く愚かで、戦争が止みません。もっと、外交や対話による紛争解決をすべきです。
芹沢文学読書会を細々と継続して行きます。今回は県立図書館の都合で、10日ではなく、第3日曜日の17日に変更になります。
まだ残暑ですが、お元気に読書会にお出掛け下さい。
第170回・芹沢文学読書会
@日時: 11月 17 日 (日) 午前10時~12時(*今回は特別に第3日曜日午前です]
A会場: 大分県立図書館研修室 No.5 [平常は研修室N5 です]
B内容: [1]芹沢文学に関する話題や情報 10:00~10:10 am 自由に話す。
【II】芹沢文学読書会 10:10~12:00 am 参加者で輪読
テキスト@「七 われに背くとも」と「遠ざかった明日」との余韻
A「八 短編小説について」
*@は、『芹沢光治良文学館』の第六巻の月報で、『われに背くとも』と『遠ざかった明日』が収録されている。前者は新聞に「幕あい」の題で連載され、後者は昭和46年8月に書き下ろした長編小説
Aは第八巻の月報で、短篇小説集についての所見。「ブルジョア」「歴史物語」の「大佐と少年」
の作品について書かれている。モーパッサンのような短篇小説を書きたいと書かれている。
初出『芹澤光治良作品集』(新潮社発行の全16巻の月報に連載されました。昭和49年2月~同50年5月
初本『こころの広場第三章思い出すこと』昭和 52 (1977)年4月15日新潮社発行。全245 頁800円
再録 芹沢光治良文学館 12』平成9(1997)年8月10日新潮社発行に再録。 262~268
次回は、来年の1月12日(第2日曜日) 午前の予定です。
◎同封資料資料@「大河小説「人間の運命』関係の年譜」小正作成作成の年月日は不
*この年譜は、実はワープロで作成したものです。大河小説「人間の運命』は、昭和 36(1961)年頃から第一巻『父と子』が本格的に著作が始められ、第十四巻「再会」が昭和43(1988)年12月に新潮社から発行されました。後に終章『遠ざかった明日」が昭和47(1972)年1月に、『海に鳴る』が昭和49(1974)年2月に新潮社から発行されて、大河小説「人間の運命』は全16巻で完結したのです。資料Aは次号に
芹沢文学・大分友の会
令和6 (2024)年10月21日 (月)
ふじ
会報 No.169
編集・文責小串信正
於大分県立図書館研修室No.1
☆第169回芹沢文学読書会の報告
第169回の芹沢文学読書会が、9月8日(日)に大分県立図書館の研修室 No.5 で行われました。古賀さんが亡くなられ、参加者が少なくなり読書会が淋しくなりました。芹沢光治良記念文化財団の参考資料を参加者に渡しました。今回のテキストも、「思い出すこと」の二評論を読み語りました。@「五宗教をテーマの作品だというけれど」では、『懺悔紀』『孤絶』『離愁』は宗教をテーマにした小説では無く、宗教に帰依していないと告白しています。『孤絶』と『巴里に死す』は表裏一体をなす作品とも言って
います。A「六仏訳された小説」も読み語りました。『巴里に死す』と『サムライの末裔』は仏訳され、フランスのアカデミーから「友好大賞」が与えられ、西洋の多くの人々に愛読され、評価されました。
○令和6 (2024)年度の年会費の納入をお願いします(振替や持参で)。
9月からの新年度の年会費が未納入の方、納入をお願いいたします。 10月から郵送費が値上げされましたので、今年度の年会費から1500円に値上げいたします。御理解いただき、納入をお願いいたします。読書会に持参するか、同封の郵便振替の払込取扱票にて納入して下さい。寄付も受入れますが、無理をされないように。芹沢文学研究会の会員の
方で、芹沢文学大分友の会にも入会いただいている方々にも会員の継続をお願いいたしま
す。どうしても退会されます方は、ハガキ等にて御一報下さい。
【芹沢文学案内 No.112】「芹沢光治良」のスマホでの検索について
スマートフォン
これまでは、パソコンの検索で「芹沢光治良」を見て来ました。この7月に私小串もスマホを求めました。その Google の検索で多くのことが紹介されています。概要として「生まれ」や「死去」から紹介され、生年は1896年で明治
29年になっています。生前に芹沢先生自身で戸籍通りの明治29年としました。
しかし、様々な資料から、生年は明治30年の方が正しいのです。ウィキペディアも見られます。関連する質問としての項目も多くあります。書籍 (Amazonも) も紹介されています。沼津市のホームページ(芹沢光治良について、沼津市芹沢光治良記念館)、新潮社からの紹介 (芹沢光治良/著者プロフィール、芹沢光治良文学館新刊) 芹沢光治良を含む投稿動画として「芹沢光治良ゆかりの人文学その魅力を探る」、「芹沢光治良出前講座企画展」、「沼津発文化のかほり」等。一般社団法人芹沢光治良記念文化財団のホームページ、中野区立図書館、菊竹清訓「芹沢文学館」 (現・芹沢光治良記念館)、楽天市場(芹沢光治良の通販) HI-HO (芹沢光治良文学館-Kojiro Serizawa、『芹沢光治良の世界』梶川敦子著)、勉誠社 (芹沢光治良戦中戦後日記)、読書メータ (芹沢光治良の本おすすめランキング一覧) じゃらんnet (沼津市芹沢光治良記念館) pdbooks.jp (芹沢光治良 P+D BOOKS) 等。書籍には、表紙写真で沢山の著作が紹介されています。特に動画を再生して視聴することをお勧めします。
スマホは、電話やメールはもちろん、カメラや動画を撮るのも便利です。地図などはまだ余
り活用していませんが、膨大な情報が、この小さなスマホに収録されているのは驚きです。嘗ては全くの夢であったテレビ電話も可能にしているのです。外国語の会話も日本語を様々な国言葉に即座に翻訳してくれることにも活用できるようです。
しかし、スマホは、字が小さくて高齢者には不便です。拡大して見れるようですが、活用したいと思います…。
スマホの活用として、ドジャースの大谷翔平の活躍を毎日スマホで確認しています。 10月21日に、ドジャースがナ・リーグ優勝をし、ワールドシリーズでヤンキースと世界一を争うことになりました・・・。