seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢文学愛読者短信 No221: 芹沢光治良文学愛好会

2020年12月05日

芹沢文学愛読者短信 No221

芹沢文学愛読者短信

読書で自粛

コロナナウイルスによる自粛でいろいろと制約をうけています。
 いかがお過ごしでしょうか。
 こうしたとき、自宅で読書を楽しむのも良い方法かもしれません。
 浜松市の河野信子さんは「いままで積ん読でした本を、読みなおしております」との
お便りをいただきました。参考にさせていただいてます。
  
名古屋芹沢文学読書会
 港図書館の使用停止により、読書会も停止しています。
 これからの読書会ですが、港図書館の使用許可が下りるのを待ち、打合せの上決
定となります。
 6月は、港図書館が使用停止のため読書会は休み。
 7月は、港図書館の使用停止が解除になるが、読書会開催については、図書館との打ち合わせが必要となるため、
 前田操さんから後日読書会出席者宛てに連絡があります。


庄野さんのこと 平石 政行 (三重県鳥羽市)
もう四十年も前のことです。当時勤めていたミキモト真珠島で、どんな案配か私が二人連れの旅行者の案内をさせて頂くことになりました。

名刺交換の際、紳士の一人が作家
の阪田寛夫さんと知りました。女流作家の阿部光子さんが、キリスト教繋がりで阪田さんと親交のあることを存じていましたので、
阿部さんのお名前を出すと、「まさかこんな所で阿部さんのファンの方とと驚かれ、その後の、その後の会話が弾みました。
この時、側で静かに聞いておられたのが同じく作家の庄野潤三さんで、お二人は大親友と聞きました。
 以後庄野さんのお名前は、新聞や文芸誌で目にすることはありましたものの、作品を読むまでには至りませんでした。
二十数年前、庄野さんの近況を綴った作品集が年に一冊ずつ発刊されていることを知り、妻と読み始めました。淡々と老夫婦の平凡な日常を
描いた内容ながら、自分も歳を重ねたらこんな生き方をしたい、こんな過ごし方をしたいという思いが読む程に募りました。
 二百人の愛読者が訪れるとか、芹沢
文学同様に庄野文学が今もって息長
く読み継がれていることを知りました。
 読後のほっこりと温かな味わいに惹かれて次の年の発刊を待ち焦がれたのも今では懐かしい思い出です。
一月のある朝、妻が『NHKラジオで庄野さんの熱烈な愛読者の話を聞いた』と、その内容を話してくれました。
 一年に二度、建国記念日と、秋分の日に庄野家が解放され、毎回百人、二百人の愛読者が訪れるとか、芹沢文学同様に
庄野文学が今もって息長く読み継がれていることを知りました。
 小由急線生田駅を下車してから山の上のお宅までの道順は、作品を通してしっかり頭に焼き付いています。
自らの足で坂道を登り、庄野さんご夫妻が住んでみえた当時のままのお宅を拝見できるとは正に読者冥利です。
 今秋九月二十二日には二人して上京しようと、今から妻と楽しみにしています。
 夫婦の語らいが引き金になって長年書棚の隅に眠っていた『庄野潤三全集全十巻』を読む運びになりました。
長年読みたいと思いながら手の届かなかった個人全集や長編小説に挑戦するのも、読む時間が潤沢にある巣籠りタイムの
有効な活用法の一つかも知れません。

『芹沢文学愛読者短信アーカイブズ』

過去の『短信』から、もう一度採録し紹介します。
ー第83号『1992年(平成4年)4月20日付き』ー

芹沢光治良先生の風邪

芹沢先生がお風邪をひかれて熱を出された、とのお便りを芹沢文子先生から頂きました。

二月中旬父が風邪をひきました。熱が出たのでしょうか、手が震えたり、咳が出たりしました。
 私は神様のおぼしめしだから大丈夫だと思い、父の好きなように薬も飲まず、医者も呼ばず、また寝付くこともなく、
三月十五日愛好会例会の日を迎えました。
 いつもより遅く、出かける前にルルドの聖水を飲み、どうなるかと思いながら送って行きました。
 外に待っていてくださった方々がとても喜ばれました。
 帰りに向かいに行きましたら、父が元気になっていました。不思議なことです。
 親様の話によると、このたびのことは父を待っていてくださった方の心、父が自分を忘れてせっかく集まってくださった
方にひと言なりとも思った心に、神様が働いてくださったようです。
 そして待つと言うことは、祈りと同じように大切であり、祈りは希望につながる、ということを教えて頂きました。
 自分の欲を捨てて人のために、祈る力がいかに大きいかということを知りました。どうぞお元気で。
 三月二十日 芹沢文子

posted by セリブン at 14:32| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋
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