8月便り
案内通信
N0. 133
2018年8月27日(月)
(平成30年)
一残暑なり… もう耐え難く 昼寝する 松林庵主人−
この夏の猛暑は異常なもので、熱中症で運ばれたり亡くなる人が記録的に多くなっています。途中に19号・20号のダブル台風が来ましたが、願っていた雨はわずかでした。
台風から遠く離れた東北や北海道で雷雨などのゲリラ豪雨が荒れ狂いました。これから
も残暑が続き、台風が多発しそうです。皆さん御自愛下さい。
ジャカルタ・アジア大会での日本選手の活躍が報じられています。水泳で18歳の池江璃花了が6冠を達成し、男子マラソンで井上大仁が金、女子マラソンで野上恵子が銀。
米朝会談が行われたのに、北朝鮮の非核化は進まず、日本の多くの拉致被害者の解放への交渉も全く進展していません。この絶好の機会を逃さずに、拉致された人々を一挙に解放出来るように、日本政府・外務省は本気に尽力してもらいたいと思います。
残暑が続いていますが、9月になれば、少しは涼しくなってくるものと思います。芹沢文学読書会は細々とですが、熱心な会員に支えられて継続しています。
7月の芹沢文学読書会には、小倉の金さんが中津の友人呉さんと二人で参加いただきました。久し振りに読書会として活気づきました。図書館の椿カフェで歓迎の昼食を共にして、楽しい語らいの時を過ごすことが出来ました。九州的な発展が起こっています。
今回も随筆2作を読み語ります。奮ってお出掛け下さい。新しい方も歓迎します。
第133回
@日時:9月9日(日)
A会場:大分県立図書館 研修室No5 [※会場/今後は原則的には研修室No5です]
B芹沢文学読書会
[T]芹沢文学に関する話題や情報
[U]芹沢文学読書会 10:15〜12:OO am
司会担当 小串信正
○随筆@「喪服を着た貴婦人」随筆A「C伯爵夫人はどうしているか」
※この二つの随筆には巴里留学や闘病の期間に会った夫人のことが書かれています。
初出/@は昭和54年秋季<ひろば83>、に発表されたもの
Aは同54年春季<ひろば81>に発表されたもの。
刊行/随想集『こころの波』昭和57(1982)年10月15日に新潮社から発行されました。
再録/『芹沢光治良文学館12』(平成9年8月10日新潮社発行)352〜361に再録。
次回は、11月11日(日)午前の予定です。平常は第2日曜日が原則。
○同封資料;新聞コラム「帯笑園」:植松靖博新潮社 沼津朝日2018 (平成30)年2月7日(水)※原の植松家は『人間の運命』の石田家として虚構されていますが、「帯笑園」も「松柏苑」として書かれていま
す。末孫の方が「帯笑園」を紹介したコラムです。拡大×1.2〔資料提供/沼津芹沢文学愛好会和田安弘〕
芹沢文学・大分友の会
会 報 No132
ふじ
平成30(2018)年8月27日(月)
☆第132回・芹沢文学読書会の報告 於大分県立図書館・研修室No5
第132回・芹沢文学読書会を7月8日(日)の午前10時から大分県立図書館の研修
室No.5で行いました。お電話いただいていた、小倉の金英哲さんが、中津の友人呉英義
さんと一緒に芹沢文学読書会に参加してくれました。自己紹介を順にしました。金さんは会社を退職。ずっと『人間の運命』を読み、『教祖様』や晩年の連作を読んでいる。
呉さんは、中津に生まれ、金さんとは大学の後輩とか。神シリーズを紹介されて読んで
いる。二人で、東京の岡(玲子)邸や沼津市の芹沢光治良記念館を訪ねられたとのこと。
参考資料をお贈りし、韓国語訳された大河小説「人間の運命」の二巻を見せました。韓
国語訳が、この二巻で出版が中止されているので、再開されることを念願していることを伝えました。読書会として、随筆の2作品「人生の秋」「老齢か」を読み語りました。
会の後、図書館の椿カフェで、歓迎の昼食として、参加者で会食をしました。その後、
小串が車で大分駅までお送りしました。呉さんも研究会と友の会に入会いただきました。
久しぶりに活気のある読書会が持てました。
次回も随筆二作品を読み語ります。どうぞ、都合をつけてお出掛け下さい。
【芹沢文学案内No.83】大河小説『人間の運命』の森家と石田家
大河小説『人間の運命』を作者芹沢光治良の自伝小説と言う人が多くいますが、この評価は低次元のものです。もちろん森次郎は芹沢光治良先生をモデルにして、森家は一郎・二郎・千代・四郎・岸子・五郎・六郎・常七・末男・茂男と、芹沢家をほぼそのままに描いています。しかし、大河小説『人間の運命』の構想では、芹沢家の人々を森家の人々として事実的に描写し、石田家は原の植松家の家を仮り、石田家の人々の孝一・夏子・孝三・秋子・年子・末子・孝四郎と虚構したのです。大地主の植松家の盛衰を描き、著名な庭園「帯笑圉」も「松柏苑」として書き遺したのです。沼津市の二つの大き
な家系を事実と虚構で構築したのです。作家一人の自伝的な作品ではないのです。
そして、東京と秋田、中軽井沢へと舞台は拡大し、妻の実家有田家は名古屋、親友の大塚誠は大阪府堺市で、フランスのパリや各地、スイスのレーザンや各地へと世界的に展開されていくのです。時代的には、明治・大正・昭和が描き込まれているのです。
大河小説『人間の運命』では、最初に「日本及び日本人」を書くという構想があったので、留学から結核闘病の四年半の時期を省略しました。しかし、終章の『遠ざかった明日』はフランスやスイスなどの西欧へと舞台を拡大したのです。
大河小説『人間の運命』の根は、沼津市の大地に深く張っているのです。大きな根は、森家と石田家の二本の大樹となって、枝葉を拡げ、花や実を沢山つけて、人々を養い育てているとも言えるのです。
大河小説『人間の運命』が、仏訳か英訳されて、世界の人々に愛読されることを念願しています。