seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良文学愛好会

2025年06月18日

2025年6月22日読書会です。

表紙-1.jpeg6月22日日曜日、午後1時から読書会を開催します。テキストも用意してありますので、ぜひご参加ください。場所は東中野区民活動センター洋室4号です。2階です。とても明るい会場です。#芹沢光治良



posted by セリブン at 09:24| Comment(0) | 月例会

2025年06月06日

【沼津市芹沢光治良記念館】当館懇話会委員の公募について(お知らせとお願い)

皆様へ


 平素より大変お世話になっております。

さて、当館では円滑な運営を図るため懇話会を設置しており、このたび、その委員1名を公募します。

つきましては、ご家族、ご友人、お知り合いの方等で、当館事業についてご意見をいただける方やご興味のある方がおられましたら、本件について、周知くださいますようお願い申し上げます。



内  容:沼津市芹沢光治良記念館において開催する懇話会に出席していただき、意見等の提言をしていただきます。

年間開催予定数:2回(2月、10月頃)

募集人数:1

任  期:2年(令和7915日〜令和9914

応募資格:市内に住む18歳以上の人、沼津市暴力団排除条例第2条第2号に規定する暴力団員等でない人

応募方法:下記の書類を、持参、郵送または電子メールにて提出

1.履歴書(形式は問いません。)

2.小論文「利用者から見た芹沢光治良記念館」(1000字以内)

応募期間:令和768日(日曜日)〜令和7731日(木曜日)必着

選考方法:選考委員会による小論文の審査及び面接

※面接の日時及び会場等の詳細については、後日、応募者に直接連絡いたします。


申込・問合せ先:教育委員会事務局文化振興課 沼津市芹沢光治良記念館

電話:055-932-0255(月曜日、祝日の翌日除く)

ファクス:055-932-0255

メールアドレス:kojiro@city.numazu.lg.jp


また、本件について、一昨日付『沼津朝日』に本掲載がされましたので、ご参考までに併せて送付申し上げます。


今後とも変わらぬご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。(250604)沼津朝日芹沢光治良記念館懇話会の委員 8日から応募受付.jpg

posted by セリブン at 18:36| Comment(0) | 沼津市芹沢光治良記念館

2025年06月02日

ペルシャ語訳「巴里に死す」が出版されているらしい。

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Jirai mourir à Paris Novel by Kojiro Serizawa (Farsi)

Writer:

Kojiro Serizawa

38.00


このあらすじを読むと笑ってしまいます。


芹沢光治良著『J'iri mourir à Paris』は、歴史上最も魅力的で悪名高い連続殺人犯の一人のゾッとするような物語を掘り下げている。 UPIやボイス・オブ・アメリカでホワイトハウスで活躍したベテラン・ジャーナリストであり、ワシントンD.C.の著名な記者でベストセラー『ニクソンの最も暗い秘密』の著者でもあるドン・フルソムによる序文とともに、この小説は読者をパリの春の夜にいざなう。 戦争を背景に、ナチスの鉤十字がエッフェル塔から空にその影を落としている。 パリジャンたちは家の中に身を寄せるが、夜の静けさは突然、警報とスリリングな音によって打ち砕かれる。 シャンゼリゼ通り近くの無人の家から不吉な煙が立ち上る。


これは私の方から訂正をお願いするように書き込みをしました。しかしまだ反映されていません。


以下のように投稿しています。


この解説は誤りです。この作品は、若者の命が粗末に扱われていた第二次世界大戦中に制作されました。その時の世界情勢の中で、人の命が大切だと考えた作者の芹沢光治良は、日本軍の検閲をくぐり抜け、19421月から12月まで雑誌『婦人公論』に連載しました。


ノーベル賞作家大江健三郎、日本人に人気があるキリスト教に関わる作品も多い遠藤周作が絶賛し、日本国内のみならずフランスを中心にヨーロッパで激賞された作品。


(あらすじ)

1920年代の美しい巴里。

夫に伴われた留学先で、伸子は愛する娘を恵まれながら、結核に倒れる。

母亡き後の娘を憂い、伸子は闘病の日々を三冊のノートに綴る。

夫のかつての恋人を知り、嫉妬する伸子。優しい夫に相応しい、知的で自立する女性になろうと精進する伸子。子供を身ごもり、命と引き替えにしても産み育てようと決意する伸子。そして、厳しい療養生活の中で、別れて暮らす娘の成長を祈る伸子。

20年後、結婚した娘は母の遺した記録を読む。娘は「Poble Maman」(おいたわしいお母様)と、母の願ったような女性になろうと思う。

不幸な運命の淵にあって告白された、愛と知の苦悩の内に成長した女性の悲しく美しい魂の記録。命の大切さを教えてくれます。


昭和17年(19421月から12月「婦人公論」誌に連載されました。



 これどうなっているのでしょうか? 







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posted by セリブン at 18:34| Comment(0) | 芹沢光治良の作品について