芹沢光治良にはたくさん短編小説があります。長年芹沢光治良の作品を読んでいると、作品同市のつながりやまとまりを感じることがあります。いくつかの基準で作品をまとめることが出来ます。
例えばこの「ある生涯」では、山辺先生という方が出てきます。 山辺先生が登場する作品は数が多く私は勝手に山辺先生シリーズと呼んで次います。山辺先生が出る小説は、物語の内容でかかわりはありません。まったく別個の作品群です。ただ、山辺先生は、どの作品でも同じ山辺先生です。山辺先生は物腰柔らかく、良識的な人です。物事を少し遠くから眺め、温かく判断する人です。
この小説の主人公は、「津川の伯母さん」です。伯母さんは、山辺先生にとって姉のような存在です。子供は5人いて男2人が出征や2人の娘は南米に嫁に行き、旦那の啓一さんはなくなり、伯母さんの身近にいる末子、金三が亡くなった知らせを病床の伯母さんに山辺先生に知らせてほしいと頼まれるところから始まります。
この小説が書かれた時代は、家族や知り合いが戦死した人が多く出て、世の中は悲しみに満ちている。政府やマスコミはここは、歯を食いしばって、耐えて、必ず勝つ!という時代です。
この時代の中で、「ある生涯」は書かれています。オール読物にも戦争頑張ろうとう意気込みをいたるところで感じる内容です。
これをよく見るとグラビアでは、全村あげて増産に奉仕する飛騨の隅田小屋とあります。また、巻頭言には、労働科学研究所長が、生産力拡充と強化は、国民自らの精神の中にもりあがってくる「志」が最初であると書き出しています。この目次を見るだけでも、戦争を勝つため、耐えることが、いろいろなところで見ることが出来ます。
極め付きは、「ある生涯」の終わりに太字で大きく、その手ゆるめば戦力にぶると入っていることです。
こういう、戦争犠牲者が増え、厭戦気分が起きないようマスコミも頑張っていたと思います。
ところが、こういう流れの中で芹沢光治良の「ある生涯」は反戦小説ではないかと読めるのですね。
例えば、小説の途中でこういうくだりがあります。
オール読物、P22下の段、後ろから3行目からP234行目まで
その伯母さんが、或いは死ぬかもしれないと想うと、かうしたさまざまな記憶とともに、自分の幾部分がなくなるやうな寂し
さだった。愛情や記念を分かち合ふ者が、この世を去るのは、生き残る人の幾部分が死ぬことである。一人の生涯には、愛情で
ふれあつた多くの人々の生命の幾部分がかかつてゐる。その生涯が終る時には、その多くの人々の生命の幾部分がもなくなるの
であろう。
山辺先生が伯母さんの地元の旅館ので前泊して、波の音を聞きながら、伯母さんの死について考えるところです。この雑誌のあとがきに書かれている☆総力戦に銃後なし必勝のための増産が闘われますという時代に、人の死について静かに考え得ているこの部分は、人の命の大切さを改めて私たちに伝えます。芹沢光治良は山辺先生を通して人の死というのは、哀しいもの、だから人の命は大切だと改めて教えてくれています。
しかし、必勝のための増産と書かれていますが、物や食べ物の不足がひっ迫しているという現実の裏返しで、増産!増産!とマスコミは叫んでいるのですね。
また、小説の最後に生まれ変わりということが出てきます。伯母さんの旦那、啓一さんは、海の救助作業で亡くなりました。この旦那の生まれ変わりが、金三だと姑に言われます。ところが、伯母さんは納得できていません。
P27 下段 3行目
「ばかなことですが・・・・わたしも、人間が産れかけることなんか、神様ででなければ分からないと思ひますが、あの子がこの前の日曜に来た時、へんなことをひましてね、おばあさんが、お前は叔父さんの生まれ変わりだから、熱心に念仏をお説(とな)へしないと、間違いがきつとある、よく注意しなと云ふが、ほんたうだらうかつてね・・・・それで、わたしはお念仏なんか説(とな)へなくてもよい、 神様にお委(まか)せしゐなさいつて答えたのですが・・・今考へると、へんな気もします。 ほんたうに人は産れかけるものだらうかね」
「産まれかはると信じられたらそれでいいですよ」と、自身もなくて、(山辺先生は)弱い聲(こえ)で伝った。
「それがね、お姑さんのように、産まれかはるもんだと、毎日云われると生きてゐられないような気がするけれど・・・ほんたうに産まれかはるものでせうか」
伯母さんは答えを探るように激しい視線を向けたが、瘦せて蒼白な顔は穏やかで、どこかに精気がたちのぼるようで、これでは必ずよくなれるぞと、先生は楽しく元気づけられるさうな気がした。 (をはり)
長い、長い引用でしたが、ここも反戦的なものを感じます。多くの知り合いが亡くなって悲しみに暮れる中で、この子は、だれだれの生まれ変わりという言い方は、その悲しみの中で溺れている母にとっては少しは癒しにつながると思いませんか?亡くなった人の生まれ変わりと考えれば、悲しみの中での子育てを少しでも育てやすく配慮かもしれません。でも、産まれてくる子は新しい人格を持った人ですよね。人の命を重んじています。産まれてきた子は、新しい人格でほかにはかけがえのないものとして伯母さんは金三をとらえています。
ここにも命の大切さを芹沢光治良は訴えていると思います。
芹沢光治良文学愛好会会員 T
10月15日(日)の530回例会での読書会で思った感想です。愛好会の見解ではありません。