seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良文学愛好会

2022年07月23日

リリー・コルネリッサン 『愛と知と悲しみと』

『愛と知と悲しみと』では、石川三四郎から紹介されたアナーキストのジャック・ルクリュとの交流ついて書かれた小説です。

ジャックとリリー・コルネリッサン(小説では、コルネリッサン夫人)との関係をふまえ、「私」が中国の作家巴金(はきん)に呼びかける形で進行します。そのコルネリッサン夫人について調べました。


1878年頃にフリードリッヒシュタット(シュレスヴィヒ、ドイツ)で生まれ、1952年にプレシロビンソン(オードセーヌ)で亡くなりました。アナキスト。



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 オランダで育ったリリー・ルペルトゥスは、1898年にオランダのアナキスト、クリスティアン・コルネリッセンと友達になり、1904年に息子のフレデリック(フレディ)が生まれました。彼らはパリ郊外のクラマートで1911年にBourg-la-Reineを設立しました。

リリーは、翻訳を通じてコーネリッセンが発行した労働組合運動の国際速報に寄稿しました。 とりわけ、それは人々を互いに接触させ、広大な知的で過激な環境を頻繁に訪れました。 マックス・ネットラウとの彼女の通信はこれを証明しています:彼女は彼女の家の常連として、エマ・ゴールドマン、ルドルフとミリー・ロッカー、石川三四郎、そしてパリの仲間とリュクル家に集まっていました。人類学者のアーノルド・ファン・ゲネップ、政治家科学者ロバートミヒェルス。 彼女はまた、長老たち、墓、プーゲ、ゲリノーを忠実に訪問します...フランス語とドイツ語でのこの通信は、貴重な情報源です。

1920年頃、彼女は夫と別居し、20年後輩のジャック・ルクリュスと暮らしました。 彼女は1933年から1934年に中国で彼を訪ねました。 彼女は翻訳と秘書の仕事をしていました。

Groupe des Temps Nouveauxのメンバーであり、MarcPierrotが創刊した雑誌PlusLoinに寄稿しました。

彼女はクロポトキンの孫娘、ピエラ(1922-c.1945)を育てました。


 とても才能があった女性でした。コルネリッサン氏とリリーさん、ジャックとの関係は、『愛と知と悲しみ』の中でも取り上げられています。コルネリッサン夫人として小説に書かれている彼女は、ルクリュという名前も変えないので、深くジャックに対して見返りのない愛を最後まで実践します。私は、芹沢先生が、この小説で言いたかったのは、それではないかと思っています。




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2022年07月21日

【沼津市芹沢光治良記念館】企画展「光治良の欧州体験」(第1回)関連新聞コラムについて(お知らせ)

皆様へ


 平素より大変お世話になっております。

さて、昨日720日付『沼津朝日』において、当館で開催中の企画展「光治良の欧州体験―『孤絶』『離愁』と『巴里に死す』―」(第1回)に関して、当館助言者の鈴木吉維先生によるコラムの掲載がされました。

つきましては、ご参考までにその写しを別添のとおり送付申し上げますのでご覧ください。

今後とも変わらぬご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。




沼津市芹沢光治良記念館

055-932-0255

kojiro@city.numazu.lg.jp


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2022年07月17日

芹沢光治良文学作品 スピンオフ

 芹沢光治良先生の作品はたくあんあります。その中でスピンオフの作品もあります。『孤絶』のスピンオフ作品は『巴里に死す』『離愁』に出てくるベニシ夫人との出会いと交流、20年以上のベニシ夫人との再会が『落ち葉の声』です。

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