seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良文学愛好会

2020年12月25日

2020年12月05日

芹沢文学読書会 No145 8月28日(金)

8月便り 里浜や 海亀の子 放流す  松林庵主人


新型コロナウィルスの流行が止まらず第二波が続いています。その上に、この8月末の猛暑は異常です。お元気にお過ごしでしょうか?熱中症にご注意ください。

 私小串が朝散歩をしている海浜で、6月にウミガメが産卵しました。ガラス片やプラスチックのゴミを拾い、きれいな海浜になったからかウミガメが上陸して卵を産みました。NPO法人の人々と見守ってきましたが、この23日に孵化したのです。満潮の夜中に、海に放流したのです。神の子達は、瀬戸内海から太平洋に出て行くとの事・・・


大分県立図書館も再開され、7月から芹沢文学読書会が再開されました。9月の読書会を平常通りに行います。感染対策を十分にして、継続していきたいと思います。マスクをつけて、ご参加ください。ご無沙汰の方も、気楽にご参加ください。


145回、芹沢文学読書会


@    日時;     913()10時から12(原則的には奇数月の第二日曜日午前)

A    会場;    大分県立図書館研修室No5(会場原則的には研修室No5です)

B    内容; (1)芹沢文学に関する話題や情報 10時から1115分自由に話す

2)新芹沢文学読書会1015分から12時 司会担当小串信正


テキスト随筆@「心の友石川達三君の死」随筆A 「九十歳の充実―書き下ろしを終えて」


@    随筆は作家石川達三子の死を悼み、交流を回想したもの。A随筆は、最晩年の晩秋に訪ねてきた英A夫人から、回想したこと。最後の連作のことが書かれている。

初出/@昭和603月の社誌〈波〉新潮社 A 同年616月の社誌〈波〉新潮社に発表


再録(芹沢光治良文学館12 (平成9810日新潮社発行)に収録425から531ページ


訂正前後の案内通信で快気祝い(新年会(の事は案内しましたが、私小串が勘違いをして書いたもので、訂正してお詫びいたします


次回は118()午前の予定です。原則的には奇数月の第二日曜日です


同封資料新聞記事「中学生時代の様子や憲法観芹沢光治良記念館で企画展」新聞沼津朝日2020(令和2) 82()沼津市芹沢光治良記念館記念館の今年の企画展「光治良と沼中・東高」((第一回)715()から126()が開かれていますが、地元の新聞沼津朝日で紹介された記事です。〈資料提供 和田安弘氏〉

沼津市芹沢光治良記念館から送られてきた同企画展のチラシも同封いたします。


芹沢文学・大分友の会会報ナンバー144富士令和2(2020828日(金)


144回芹沢文学読書会の報告 大分県立図書館研究室No5


やっと読書会が行えるようになり、712()10時から12時に、研究室No5で芹沢文学読書会を行いました。熊野御堂さんからハガキの便りがあり、体調不良で欠席をしましたが、常連が集い、熱心に語りました。新型コロナウィルスの事や沼津市芹沢光治良記念館の企画、(光治良と沼中、東高)を話し、チラシを渡しました。

 (失恋者の手紙)は、もう良いと言うことで、資料として用意した沼中時代の芹沢光治良先生の作文を3つ「夜の帰り道」「記念館 心のひゞき」 「卒業間際」に(読み語りました。これは生誕百年記念『芹沢光治良と沼津 』(芹沢記念企画発行)からのコピーです。渡す機会が伸びた同人誌『無人島 』も参考資料として送りました


【芹沢文学愛好会ナンバー93】第10回芹沢幸次郎文学講演会令和元年112


沼津市芹沢光治良記念館の(10回芹沢光治良文学講演会が令和元年112日土曜日に開催されました。会場は沼津市立図書館4階視聴覚ホール。講演は桜美林大学リベラルアーツ学群教授勝呂 奏先生による「芹沢光治良と川端康成―それぞれの文学について」でした1355分から1 52590分、質疑応答15251555分 30


沼津市芹沢光治良記念館から、その記録として、後援者勝呂先生作成のレジュメと講演の記録活字化をお送りいただきました。読書会です参加された方々には、会場で回覧いただきますが、要点や愛読書に関心のあることなどをダイジェスト的に紹介します。



芹沢光治良と川端康成との比較文学論です。「目の印象」から始めて、生年から川端の方が「3つ年下」で一高では1学年後輩ですが、校友会雑誌に「失恋者の手紙」を発表したときの回想に1年下の川端が訪ねてきて一緒に散歩した事とあるのは、疑わしいと批判しています。「孤児」から川端と芹沢を比較しています。川端が芹沢の初期の作品を「素人」「自由主義作品」と批判したのは「文士」としての苦労を知らない、懸賞小説の当選者を軽蔑する批判です。後輩としての配慮は全くない。芹沢光治良の1年先輩の市川彦太郎の『小さき目』、有島武夫の「宣言」などは理想主義的な作品で、芹沢文学はそれを引き継いでいる。しかし、芹沢光治良と川端康成は、全く逆の文学者です。芹沢は登場人物や読者を視野に入れて創作しますが、川端作品の完全さを目指し読者は視野に無い「文士の魂」で創作しています。勝呂先生は芹沢光治良を登場人物や読者に同伴する作家として評伝芹沢光治良を書いたとのこと。川端の依頼で日本ペンクラブの会長を引き継いだ時も犠牲を払っても立派に果たしました。川端康成は最後に自殺しました。しかし芹沢幸次郎は配慮して事故ではなく自殺ではなく丈夫であると書いている等。

posted by セリブン at 17:37| Comment(2) | 芹沢文学読書会 大分

芹沢文学愛読者短信 No221

芹沢文学愛読者短信

読書で自粛

コロナナウイルスによる自粛でいろいろと制約をうけています。
 いかがお過ごしでしょうか。
 こうしたとき、自宅で読書を楽しむのも良い方法かもしれません。
 浜松市の河野信子さんは「いままで積ん読でした本を、読みなおしております」との
お便りをいただきました。参考にさせていただいてます。
  
名古屋芹沢文学読書会
 港図書館の使用停止により、読書会も停止しています。
 これからの読書会ですが、港図書館の使用許可が下りるのを待ち、打合せの上決
定となります。
 6月は、港図書館が使用停止のため読書会は休み。
 7月は、港図書館の使用停止が解除になるが、読書会開催については、図書館との打ち合わせが必要となるため、
 前田操さんから後日読書会出席者宛てに連絡があります。


庄野さんのこと 平石 政行 (三重県鳥羽市)
もう四十年も前のことです。当時勤めていたミキモト真珠島で、どんな案配か私が二人連れの旅行者の案内をさせて頂くことになりました。

名刺交換の際、紳士の一人が作家
の阪田寛夫さんと知りました。女流作家の阿部光子さんが、キリスト教繋がりで阪田さんと親交のあることを存じていましたので、
阿部さんのお名前を出すと、「まさかこんな所で阿部さんのファンの方とと驚かれ、その後の、その後の会話が弾みました。
この時、側で静かに聞いておられたのが同じく作家の庄野潤三さんで、お二人は大親友と聞きました。
 以後庄野さんのお名前は、新聞や文芸誌で目にすることはありましたものの、作品を読むまでには至りませんでした。
二十数年前、庄野さんの近況を綴った作品集が年に一冊ずつ発刊されていることを知り、妻と読み始めました。淡々と老夫婦の平凡な日常を
描いた内容ながら、自分も歳を重ねたらこんな生き方をしたい、こんな過ごし方をしたいという思いが読む程に募りました。
 二百人の愛読者が訪れるとか、芹沢
文学同様に庄野文学が今もって息長
く読み継がれていることを知りました。
 読後のほっこりと温かな味わいに惹かれて次の年の発刊を待ち焦がれたのも今では懐かしい思い出です。
一月のある朝、妻が『NHKラジオで庄野さんの熱烈な愛読者の話を聞いた』と、その内容を話してくれました。
 一年に二度、建国記念日と、秋分の日に庄野家が解放され、毎回百人、二百人の愛読者が訪れるとか、芹沢文学同様に
庄野文学が今もって息長く読み継がれていることを知りました。
 小由急線生田駅を下車してから山の上のお宅までの道順は、作品を通してしっかり頭に焼き付いています。
自らの足で坂道を登り、庄野さんご夫妻が住んでみえた当時のままのお宅を拝見できるとは正に読者冥利です。
 今秋九月二十二日には二人して上京しようと、今から妻と楽しみにしています。
 夫婦の語らいが引き金になって長年書棚の隅に眠っていた『庄野潤三全集全十巻』を読む運びになりました。
長年読みたいと思いながら手の届かなかった個人全集や長編小説に挑戦するのも、読む時間が潤沢にある巣籠りタイムの
有効な活用法の一つかも知れません。

『芹沢文学愛読者短信アーカイブズ』

過去の『短信』から、もう一度採録し紹介します。
ー第83号『1992年(平成4年)4月20日付き』ー

芹沢光治良先生の風邪

芹沢先生がお風邪をひかれて熱を出された、とのお便りを芹沢文子先生から頂きました。

二月中旬父が風邪をひきました。熱が出たのでしょうか、手が震えたり、咳が出たりしました。
 私は神様のおぼしめしだから大丈夫だと思い、父の好きなように薬も飲まず、医者も呼ばず、また寝付くこともなく、
三月十五日愛好会例会の日を迎えました。
 いつもより遅く、出かける前にルルドの聖水を飲み、どうなるかと思いながら送って行きました。
 外に待っていてくださった方々がとても喜ばれました。
 帰りに向かいに行きましたら、父が元気になっていました。不思議なことです。
 親様の話によると、このたびのことは父を待っていてくださった方の心、父が自分を忘れてせっかく集まってくださった
方にひと言なりとも思った心に、神様が働いてくださったようです。
 そして待つと言うことは、祈りと同じように大切であり、祈りは希望につながる、ということを教えて頂きました。
 自分の欲を捨てて人のために、祈る力がいかに大きいかということを知りました。どうぞお元気で。
 三月二十日 芹沢文子

posted by セリブン at 14:32| Comment(0) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋