seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良文学愛好会

2020年07月29日

芹沢文学研究会・会報 2020年7月27日

第二次のコロナウィルス流行波


夏の歌


Go to トラベル 如何になるらむ?


松林庵主人


企画展「光治良と沼中・東校」

 今年度の沼津市芹沢光治良記念館の企画展(工事量と沼津、東高)714日から126日に開催されています。チラシに「光治良の沼津中学校(沼津東高校)時代や、学校に縁のある人物との交流について、当時の資料を通して紹介します」描かれています。具体的な展示内容が、今のところ不明ですが、貴重な資料が展示されていると思います。第二回は令和3年の1月5日〜530日に継続開催されます。月曜日が休館。開館時間は9時から16時半。観覧料は、高校生以上100円、小人50円。団体が2割引。郵便番号41008213沼津市我入道蔓陀ヶ原517-1電話ファックス0559320255 沼津市芹沢光治良からカラーチラシをお送りいただいたので同封します。同封資料C Dもご一読ください。〇企画展芹沢光治良記念館のあゆみ2)82日まで記念館の2階ギャラリーで開かれていますが、その内容が沼沢朝日の6月21日()に記載されましたので、コピーして同封資料Bとしてとして紹介します。御一読ください。


42回新年会令和2113日 芹沢文学愛読者の会


42回の芹沢文学愛好会者新年会が令和2113日にウィンク愛知で開催されました。二次会もあったようです。神奈川静岡福井三重岐阜愛知から35人が参加。平石政行さんの司会で3分間スピーチがなごやかに行われ、猪股典子さんが6曲歌いましたが、伴奏した娘さんの恵さんはこの日が成人式で、式場から振袖姿で新年会の会場に駆けつけ演奏されたとのこと鈴木晴雄和子夫妻、淑徳大学の杉淵洋一先生も参加。

 芹沢文学愛読者短信の第221(2020530)も届きました。名古屋芹沢文学読書会は新型コロナウィルスのために、港図書館が閉館で中止とのこと。平石政行さんの「庄野さんの事」のコラム、平成4420日付の芹沢文子先生の便りも再録(アーカイブ)されていました。


芹沢文学愛好会新型コロナウイルスのために中止 


芹沢幸次郎文学愛好会は3月から7月の月例会が新型コロナウィルスのために中止になりました。副代表の豊田英文氏から4月と5月の資料も届きました。6月は葉書の通信があり、8月以降に総会を開いて今後のことを決議するとか。早く英文氏を代表にして再出発してください。


同封資料@コラム芹沢文学とコロナ日鈴木吉維沼津朝日令和2428Aコラムシリーズ「芹沢文学が人を魅了する理由」鈴木吉維沼津朝日令和2517B記事「芹沢記念館の歩みを振り返る沼津朝日令和2621日、(@ A Bの提供は和田安弘氏) C記事「光治良郎と沼中・東高」沼津朝日令和275日、Dコラム「沼中時代の芹沢光治良」鈴木吉維新 沼津朝日令和2716日、(C Dの提供は沼津市芹沢光治良記念館)E児童文学「海の色」芹沢光治良ゑ向井潤吉 こども朝日10月号昭和21101日 朝日新聞社発行 文学評論連載「芹沢文学講話」㉒名作「巴里に死す」=日本文学史の名作の1つと評価=小串信勝


連載 会員便り No72 第3回目の会員順の会員便りとして連載


 古里の実家 里浜運動と海亀の産卵 大分県国東氏国東町浜 小串信正


私が実家に移住してから、7年目になりました。この家は、私が生まれた昭和23年に建てられたので、築72年になります。私は建築中に、今年のような大雨であったので、母は2階で産んだようです。兄2人の後の三男として生まれたので、父の最初の言葉が「またボン(男の子)か!」でした。ビー(女の子)の願いから、妹が双生児()として生まれました。私は母と同じ誕生日(73)に生まれたので、母の「信」と父の名「正」信正と命名されました。因みに、妹2人は「昭和」から昭子・和子と名付けられたのです。三男ですがこの家は私が相続しました。生まれた家への愛着は深いものがあります。私は自然豊かな里に育ち、海や山を駆けめぐって成長しました。この家は浦川の中州に建てられていて川辺や海浜で遊びました。特に海浜が近く、砂浜で遊び泳ぎ、魚釣りも好きでした。天空の星座(満天の星々)も見上げました。

65歳で退職して、郷土の先哲・三浦梅園先生を研究顕彰するために、国東半島の実家を「終の棲家」として回帰しました。清貧の年金生活ですが、文学、哲学、私学三昧の生活です。雨雪以外は健康のためにラジオ体操の後に海浜へ朝散歩に出かけます。カメラとメモ用紙を持ち、自然を愛し、俳句、短歌も作ります。

 瀬戸内海の海浜に打ち上げられた貝殻類(ウニ、カニ、海藻他も)拾い蒐集しています。海浜への愛着を、里山に対して「里浜(さとはま)」として海浜の動植物を研究しています。貝殻拾いで、ガラス片が気になり始め拾い始め、プラスチックゴミも拾っています。Tさん親子も同調し、すっかり綺麗になりました。するとなんとウミガメが614日に散乱したのです。同級生で市議のM君がNPO法人で熱心に世話をしています。里浜運動として、海浜の自然を守り、渚の豊かな幸を賞味したいものです。ウミガメの子が孵化し大海へ旅立つことを期待しています。


中央大学名誉教授の渡部芳紀先生が瑞宝中綬章を受賞されました。


渡部芳紀先生は奥様の紀子【野々宮紀子】夫人とともに芹沢文学の研究を長年されております。芹沢文学研究会としても交流があり、顧問としてご指導をいただいています。今年の春の叙勲で瑞宝中綬章を受賞を受賞されました。お祝いを申し上げました。

渡部芳紀先生は昭和15 (1940 )年に東京に生まれ、東京大学文学部(大学院博士課程)を卒業され、立正大学から中央大学の教授として日本文学を指導しました。太宰治、宮沢賢治、芹沢光治良等の研究をされ、平成23年に定年退官され名誉教授となられました。文学研究が認められ、今回、受賞されたようです。著作に『太宰治心の王者』『宮沢賢治名作の旅 』 『探求太宰治の世界 』等があります。

 芹沢文学の著作は未だありませんが、至文堂の(国文学解釈と鑑賞) (別冊)の特集『芹沢光治良世界に発信する福音としての文学』を野々宮紀子氏と共編されました。芹沢文学のこれまで書かれたものと新しく著作されましたものを単行本にして出版されますことを期待しております。野々宮紀子氏は『芹沢光治良』(勉誠出版)を著作出版しています。現在は、岩手県の山田町に在住しています。


新年度の年会費納入をお願いいたします。同封の払込取扱票にて納入してください。

今年度も年会費を1800円に据え置きます。未納の方は同封の郵便振替にて納入をお願いいたします。寄付も受け入れますが、無理をされませんようにお願いします。なおどうしても退会されます方は、ご面倒でも、葉書等にてご一報ください。


新入会員の紹介

平成308月以降の入会者は無し。新入会員を募集中。


編集後期編集責任 小串信勝

 会報第114 ()号と同封資料をお届けいたします。会員の皆さんはお元気にお過ごしのことと思います。新型コロナウィルスの全世界的大流行(パンデミック)が拡大して、日本でも第二波が起こりそうです。100年前のスペイン風では全世界で5000万人、日本でも39万人の死者が出たのですが、ウィルスが病原体であることも解明されていませんでした。新型コロナウィルスへの日本の対策は一応はできていますが、ワクチンや治療薬がまだ発明されていません。このままでは来年に延期された東京オリンピック(パラリンピック)が心配されています。Go toトラベルの煽りがどうなるのか?どうぞ自粛し感染しないようにして健康に生き抜きましょう。

posted by セリブン at 16:22| Comment(0) | 芹沢文学研究会

2020年07月16日

沼中時代の芹沢光治良

平素より大変お世話になっております。

昨日より当館1階展示室では新規の企画展「光治良と沼中・東高」(第1回)を開催しております。

その企画展に関連し、本日付『沼津朝日新聞』にて、当館助言者の鈴木吉維先生によるコラムの掲載がありました。

つきましては、ご参考までに別添のとおりその写しを送付申し上げますのでご覧ください。

なお、文中で触れられている書簡資料については、原本及び翻刻文全体を展示しておりますので、ぜひご来館のうえご覧ください。


今後とも変わらぬご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。


2020716

沼津市芹沢光治良記念館


055-932-0255







沼中時代の芹沢光治良


鈴木吉維


我入道の芹沢光治良記念館で『沼中・東高』展が始まった。

 芹沢は大変な秀才で、明治四十三年四月、三番の成績で沼津中学校に合格し、二年生の時も平均点九十三点で二番という成績を修めている。在学中は学力優等者で特待生を続け、級長・副級長にも選ばれた。

 後年、中学時代のことを振り返って

「先生方が教育に熱心なあまり生徒の不勉強を許さず、どしどし落第をさせた。私の学年は百余名入学したが、卒業した同級生は六十名足らずだった。」(「沼中時代の私」昭和51年)

と述べている。そんな学校生活のなかで上位の成績を維持するのには、大変な努力を要した

はずである。

 家庭的に恵まれなかった芹沢を支えたのは、美校(現東京芸術大学)を出たばかりの図画教師前田手寸(ゆきちか)であった。先生の自宅を訪ねては雑誌『白樺』や『ホトトギス』、そして多くの画集に触れることで、後年フランスへ留学する素地が作られた。

 今回の企画展には、沼津中学四年生の時に前田に宛てた候文(そうろうぶん)の手紙が展示されている。立派な文章と筆跡であり、当時の

沼中生のレベルの高さを示している。

 不思議なことに、その手紙の末尾の署名が『芹沢光次良』となっている。芹沢の本名は「光治良(みつじろう)」であるが、沼津中学校の『学友会報』には、「光次郎」「光二良」

などの誤記が多く見られる。しかし自分の署名を間違えるはずはないので、これ

をどう解釈すべきか考えてみた。

 芹沢は文芸部に属し、一年生の時から『学友会報』に「夜の帰り道」という作文を掲載し、五年生の「卒業間際に」という作文では、卒業後の進路を文科にすべきか法科にするか

で迷っていると記している。自伝的大河小説『人間の運合』でも、中学時代に回覧誌を作っていたことが語られている。

 これらのことから考えると、ペンネームのつもりで「光次良」と署名したのではな

いかという想像が成り立つ。夏休みを横須賀の叔父のもとでのびのびと過ごし、その開放感から年齢の近い青年教師に文学者を気取った手紙を書いたのかもしれない。

 そう考えると、中学生らしい茶目つ気とも思えるが、その師弟関係が生涯に亘って続いたことを考え合わせると、つくづく若い時の出会いは大切であると思えてくるのである。


  (芹沢記念館助言者、東京都町田市)


 沼津朝日 令和22020)年716日 より

web(200716)沼津朝日言いたいほうだい「沼中時代の芹沢光治良」鈴木吉維氏コラム (002).jpg
posted by セリブン at 21:51| Comment(1) | 沼津市芹沢光治良記念館

2020年07月12日

光治良と沼中・東高展

関係各位


 平素より大変お世話になっております。

現在、当館は次回企画展「光治良と沼中・東高」(第1回)の展示替えのため、臨時休館しております。

これに関連し、去る75日付『沼津朝日新聞』に、事前の告知記事が掲載されました。

つきましては、別添のとおりご参考までにその写しを送付申し上げますのでご参照ください。


添付資料

1 (200705)沼津朝日「光治良と沼中・東高展」15日から芹沢記念館で企画展.jpg 全1


今後とも変わらぬご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。


沼津市芹沢光治良記念館

055-932-0255

kojiro@city.numazu.lg.jp


(200705)沼津朝日「光治良と沼中・東高展」15日から芹沢記念館で企画展.jpg


posted by セリブン at 10:22| Comment(0) | 沼津市芹沢光治良記念館