seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良文学愛好会

2015年11月07日

芹沢文学研究会・会報 第95号 四季報 秋

2015(平成27)年10月31日(土)刊行 

四季報/芹沢文学研究会・会報…  秋号 第95号
2015(平成27)年10月31日(土)刊行

=秋の歌=
柿の実を 採りて洗いて 小包で兄妹に送る 故里の味      松林庵主人

第27回『我入道の集い』が開催されました。

 芹沢光治良文学愛好会の主催で毎年秋に行われている「我入道の集い」が、今年も10月11・12日に開催されました。平成元年から始められ、今回は第27回です。11日(土)は湯ケ島温泉のいろりの宿「三吉」に宿泊し、懇親会(愛読者交流会)が行われ、芹沢光治良古本の無料頒布会も実施されました。12日(日)は、10時〜12時に文芸講演会「一期一会」(講師浄土真宗本願寺派西年寺住職井出恵先生)が行われました。記念写真、読書会、みんなで歌おう等もありました。
 今回の講演者井出恵先生は、佐賀県伊万里市の西念寺住職で60歳。有京大文学部インド哲学科卒業。父の死後に住職を継ぎ、独り芝居や横笛リサイタルなどユニークな催しを寺で開催。アレグリーノ神父との往復書簡集『心のシルクロード』(平成7年、佐賀新聞社)、世界を結ぶ人間の絆『新 心のシルクロード』(平成年、佐賀新聞社]を出版しています。作一一家芹沢光治良先生を尊敬し、作品を愛読し、平成2年11月12日に芹沢宅を訪ねてお会いしています。「芹沢光治良先生は、私にとって、大きな安らぎを与えてくれる偉大な存在でした。」「言葉のひとつひとつを祈りながら話された先生のお姿は、今でも自に焼きついてはなれません。」「時代の不安や狂騒が高まれば高まるほど、清らかな泉のような信仰に私の魂はいやされます。先生が逝かれた今、私は私に語っていただいた言葉のひとつひとつを大切にしていきたいと思うのです。」と書いています。
 多くの人々が参加し盛会であったようです。会員の方で、参加した人もいたことと思います。鈴木春雄氏など役員の御尽力で毎年継続されていることを、芹沢文学研究会として高く評価し、私個人としても嬉しく思っています。


○平成27年度芹沢光治良文学講演会  11月21日(土)午後

沼津市教育委一員会の文化振興課・沼津市芹沢光治良記念館の平成元年度の芹沢光治良文学講演会「文学にとって戦争とは何かー戦後初一周年に当って」(講師菅野昭正さん[フランス文学者、文芸評論家、世田谷文学館館長])が、11月21日(土)13時30分〜16時頃に図書館4階視聴覚ホールを会場にして行われます。定員200名-入場無料。芹沢光治良記念館から郵送のチラシ案内を会報に同封いたします。聴講を希望される方は各自で申込み下さい。
 菅野昭正先生は、1930年生まれ、東大文学科フランス文学科卒。東大文学部教授、白百合女子大学教授を歴任退職し、現在は世田谷文学館館長です。主な著作に『詩学創造』『ステファヌ・マラルメ』『永井荷風巡歴』『憂鬱の文学史』『小説家大岡昇平』などがあります。芹沢光治良や芹沢文学についてのお話もしていただけるものと思います。大いに期待しております。

☆第2回「光治良と戦争展」 於 沼津市芹沢光治良記念館

 芹沢光治良記念館で、第1回「光治良と戦争展」が11月1日まで行われていますが、11月14日から来年の5月29日まで第2回の「光治良と戦争展」が引続いて開催されます。その展示作成や準備に御尽力のことと思います。第2回も図録の小冊子を作成中と思いますが、期待しております。
 今年は戦後70年で『芹沢光治良戦中戦後日記』(勉誠出版)が出版出事されました。作家芹沢光治良氏を知ることが出来る貴重な記録であり、芹沢文学の愛読者や研究者は必ず精読しなければならないと思います。大分の芹沢文学読書会でも現在、読み語っています。大河小説『人間の運命』との比較研究も必要です。この機会に、太平洋戦争について語り、平和についても考えましょう。

「ほほえみ通信」最終号  No88    2015年8月8日刊行

 史記の会として発足し、大河小説『人間の運命』を読む会として継続して来た仲間の通信として、伊豆市の斎藤博子さんが刊行していた「ほほえみ通信」がNo88で最終号になりました。A4判でカラーコピーの会誌でした。この10月14日に逝去された藤沢市在住の城戸祐子さんが、この通信に「思い出の中から」と題して十回で連載されましたが、貴重な回想(遺書)となりました。

斎藤さんの意向ですが、終わりましたのが残念に思われてなりません。

◎同封資料/@インタビュー「芹沢光治良ー物言わぬ神の意志を文字に託して」
 芹沢光治良氏が連作を創作していた時に、雑誌「たまNo78」(平成4年4月10日発行)
の瓜谷侑広氏のインタビューを受けて大自然や実相の世界などについて語ったものです。※23年前のインタビューですが、肉声を思い出して読んで下さい。

A文芸評論連載「芹沢文学講和B芹沢光治良と天理教」小串信正

会員便り No54 ※便りが届かなかったので小串が書きます

城戸祐子さんの御逝去   大分県国東市  小串信正

秋の良き季節となりましたが、皆さんお元気にお過ごしのことと思います。私は元気無事に実家で田舎生活を楽しんでおります。散歩も毎朝しています。
 芹沢文学の熱心な愛読者で癌との闘病をしておられた城戸祐子さんが、10月14日に御逝去されました。真に残念でなりません。城戸さんは藤沢市にお住まいでしたが、私が東京で芹沢文学館・東京友の会(芹沢文学研究会)を始めた時から御理解、御協力をいただきました。文通で交流し、お子さんに童話の本などをお送りしたことも思い出されます。私が大分に帰郷して、芹沢文学研究会を再開した時にも入会いただき、ずっと交流が続きました。
 娘さんが結婚されたオーストラリア人の御主人が、別府のAPUの教官(教授?)で由布市に住んでいるということで、いつか御紹介いただけるとのことでしたが、果たせませんでした。ずっとお便りの交換を続けて来ました。
 乳癌になられたと聞いて、励ましのお便りを書きましたが、ずっと癌との闘病を続けられました。平成25年6月13日に沼津市芹沢光治良記念館を鈴木春雄さんと訪ねた時に、藤沢からお出掛けいただきました。体調は悪く心配されましたが、楽しい語らいの時が持てました。沼津市営墓地の芹沢先生のお墓にお参りして帰りたいとのことで、鈴木さんが車でお送りしました。これは、私に最期の挨拶に来ていただいたのだと思っています。
 城戸さんは闘病を続けられましたが、この10月14日にご逝去されました。73歳でしたが、その死が惜しまれてなりません。19目の葬儀には参列出来ませんでしたが、無宗教の音楽葬儀と献花であったとのこと、芹沢先生の葬儀に倣ったのでしょうか。鈴木春雄さんが弔辞を読み、私の弔電もお読みいただいたとのこと。生前の御交誼を感謝し、御冥福をお祈りいたします。合掌

◎芹沢文学豆知識 良識派(ボンセンス)文学者 島崎普から村上春樹まで
 私は、日本文学史への評価付けのない作家芹沢光治良(1896〜1993)を「良識派」と命名し、この流れの生家を「良識派文学者」として研究し論評して来ています。
 良識派の先駆として、森鴎外・夏目撤石の「余裕派」と有島武郎・武者小路実篤等の「白樺派」があります。「良識派」の先輩は島崎藤村(1872〜1943)です。日本ペンクラブを創立し、芹沢光治良は発会から協力し、第五代の日本ペンクラブ会長となりました。もう一人の先輩は野上弥生子(1885〜1985)です。「良識派」の代表作家は芹沢光治良と野上弥生子と思っています。この「良識派」は西欧の大河小説派に繋がっています。その特色を、@知識人・教養人であり良識を持している。A語学力があり世界文学を学び翻訳もしている。B多くの作品を書き続け、大長編小説か大河小説を創作している。C必須ではないが、人生を息抜き長寿であること。D詩歌・随筆・戯曲・評論・人生論なども書いている、などです。島崎藤村は大長編『夜明け前』、野上弥生子は大長編『迷路』
を書き、芹沢光治良は大河小説『人間の運命』(全16巻)を創作しているのです。
 「良識派」の日本の作家には、加賀乙彦(1929〜)・五木寛之(1932〜)・大江健三郎(1935〜)などがあり、村上春樹(1949〜)もこの中に入れています。加賀乙彦は大河小説『永遠の都』『雲の都』を書き、玉木寛之は大河小説『青春の門』を書き続け(?未完)ています。大江健三郎は三部作『燃えあがる緑の木』等多くの作品を創作し、ノーベル文学賞を受賞しました-村上春樹は戦後生まれの団塊の世代です。長編小説『ねじまき鳥クロニクル』(三部作)、『IQ84』(三部作)を書き、世界的に翻訳され愛読されています。カフカ賞・エルサレム賞等を受賞し、10年近く有力候補に挙げられて来ましたが、今年もノーベル文学賞を逃しました。総合小説、ドストヱアスキーの『カラマーゾフの兄弟』のような大長編小説を書きたいと言っていますが、この60代に野上弥生子の『迷路』や芹沢光治良の『人聞の運命』のような大河小説を創作して欲しいと思います。

新入会員の紹介       *その後の入会者はありません。

編集後記・・・・・・・:・・・・:・・・・:・・・・・・・・・・:編集責任 小串信正

 会報95(秋)号をお届けいたします。芹沢文子さん、城戸祐子さんが相次いでお亡くなりになりました。-残念であり、寂しい秋になりました。読書の秋です、芹沢文学を愛読して耐えて行きましょう。芹沢文学は「希望・和楽の文学」です。皆さんの御健康を祈ります。

posted by セリブン at 18:25| Comment(0) | 芹沢文学研究会

芹沢文学読書会 No112 2015年2月19日

 芹沢文学読書会

案内通信
No. 1 1 2 

2015年2月19日 
(平成27年)

2月便り 

一寒風に耐えてひっそり・…・・咲きし梅ー

 立春が過ぎましたが、まだまだ寒く、北国では吹雪で記録的な積雪のようですが、お元気にお過ごしのことと思います。九州の大分では、水仙の花や梅の花も咲き、里の道端には菜の花が明るく咲くようになりました。土筆も元気よく伸びて、春が来たことを告げています。
 春となりますので、芹沢文学を思い出して「芹沢文学読書会」を続けて行きましょう。芹沢文学は、人生の指針であり、「いかに生きるか」を教えてくれます。今後も愛読して行きたいものです。
 今年の第152回芥川賞に佐伯市出身の小野正嗣氏(44歳)の『九年前の祈り』が選考されました。小野氏は佐伯鶴城高校を卒業し、東京大学大学院を経てパリ大学に留学し文学博士号を得ました。現在は立教大学文学部の准教授で教えながら、創作を続け、『水に埋もれる墓』で朝日新人文学賞・『にぎやかな湾に背負われた船』で三島由紀夫賞を受賞し、4度目の候補で芥川賞を受賞しました。大分県から久しぶりに大型の作家が生れたことを嬉しく思います。野上弥生子は臼杵市の出身で、女性の作家として最初の文化勲章を受章しました。小野氏の今後の活躍を大いに期待したいと思います。直木賞受賞者の西加奈子も、イランのテヘランで生まれ、エジプトのカイロや大阪府内で、育ち、関西大学法学部卒とのことですが、祖父が杵築市の人とか…。大分県出身の作家の活躍を喜びたいと思います。

次回の読書会も随筆三篇を読み語りますが、都合をつけて御参加下さい。御無沙汰している方も春になりますので、どうぞお出掛け下さい。芹沢文学に興味のある方がいましたらお誘い下さい。

第112回・芹沢文学読書会 

@日時;3月8日(日)午前10時〜12時 (*原則的には奇数月第2日曜日の午前〕
A会場;大分県立図書館研修室No.2(*研修室が変ることがありますので注意〕
B内容;(I)芹沢文学に関する話題や情報10:00〜10: 15am 
   (II )芹沢文学読書会10: 15〜12:00am 司会担当小串信正

○テキスト 随筆「自分を語る」の『水車小屋と炭焼』『職場にある教え子』 
「春宵独語jを読み語る。*読書会では部分的に読みますが、出来れば読んで来て下さい。
出典/芹沢光治良文学館11エッセイ文学と人生JJ108"-'120頁本『収穫』の中にある。 
初出/「水車小屋と炭焼」は昭和16年、「職場にある教え子」は昭和14年、「春宵独語」は 昭和11年執筆だが初出は不明。
初刊/随筆集『随筆収穫』昭和16年12月11日東峰書房発行に収録。

=次回は、5月17日(日)午前の予定です。予定に入れて御参加下さい。 

5月のみ、第2日曜日が母の日なので、特別に第3日曜日になりますので御注意下さい。◎同封資料;インタビュー/伊豆を語る「伊豆に温泉療養所を」芹沢光治良雑誌<新伊豆>No.14 6-8頁新伊豆社 昭和38年1月1日発行編集兼発行人大悟法利雄*若山牧水の研究で、知られる大悟法利雄が伊豆地方の雑誌として刊行。次号以後も連載されたようです。[資料提供/中村輝子氏]

芹沢文学・大分友の会
会報No.111

編集・文責小串信正

ふじ 

第111回・芹沢文学読書会の報告 於大分県立図書館・研修室

第111回の「芹沢文学読書会」を、1月11日(日)の午前10時から大分県立図書館の研修室No2で開きました。新年であり、1並びの読書会と自覚して喜びとしました。芹沢文学の 最近の活動や動静を小串が報告しました。芹沢光治良文学愛好会の第26回の「我入道の集い」で提供された資料「井出園子講話集『みのこころゑのはなし』
(注/下の芹沢文学案内No.68参照〕と「播州の親様御筆先」を紹介しました。大河小説『人間の運命』にも書かれ た播州の親様の貴重な資料です。このような異色の人物が多く登場する大河小説として再度、

『人間の運命』を読まれることをお勧めしました。

読書会としては、随筆集「自己を語る」の三つの随筆「人間の裸体」「青春はなかった」「迎 春」を読み語りました。テキストとしては新潮社版『芹沢光治良文学館11』(エッセイ文学と人生)を使いました。これからは暫く随筆(エッセイ)を読んでいくことになりました。「人間の裸体」は、少年の頃の漁師の大人の男女の裸体は醜いものと感じ、留学して芸術的な裸体像には美しさを発見しました。それで、自分の体を恥ずかしく思って海水浴をすることが
出来なかった体験が書かれています。フロレンスのミケランジェロの囚人やダビデ像に感動したようです。「青春はなかった」は、スイスのコーに滞在していた時に「渡鳥の群」と言われた若い人々が山々を巡るのを見て、自分たちには青春がなかったという回想記。「迎春」は、名古屋で正月を迎えた所感です。「生命を尊びながら、何かしら不朽なものをこの世にのこして置きたしリという生き方などを考えたと書かれています。今回は、このあとに収録されている三つの随筆を継続して読み語りたいと思います。どうぞ、読書会にお出掛け下さい。

O平成27年の「新年会」 於天まで上がれ都町店 
 新年となり正月ですので、恒例のごとく、1月8日の読書会の後で「新年会」を持ちました。会場は特に予約していなくて、今年も天まで上がれ都町店にしました。昼食時間帯で庄の前には駐車出来なくて、車は近くの有料駐車場に置きました。郷土料理ふるさと(1680円)とコーヒーを注文し、楽しい語らいの時を持つことが出来ました。お酒ではなくお茶でしたが、各自の健康と芹沢文学の発展に乾杯しました。今年1年間もよろしくお願いします。

【芹沢文学案内No.68】資料/井出国子講話集『みのこころゑのはなし』

*大正十五年四月十七日奈良市角振新星町吉田贋輝発行 
この小冊子は、天理教界で二代目教祖と言われた井出因子が、大正十五年に回想して語っ
た自伝(64才)とも言えます。人援けを始めるようになり、三木警察署に拘留されたのが明治四十二年からでした。翌年の七月六日から「日本廻国」として全国の天理教分教会を訪ね廻りました。その頃は吉永くにでしたが、裁判にかけられたこともあります。「あまてらすおおみかみ」と明治天皇さまとをまつらしてもろうてをります」とも語られています。天理教三十年に本部へ行きます。教祖殿より曳き吊り下ろされ傷を負わされます。中山みき子の曾孫の福井勘治郎が世話をしてくれました。その後も求められるに従って人援けをします。

「ろくまく はいびょうわ 心のもちかたにて すぐになをるとおもいます」、「人
と ゆうものわ かみと ほとけと まことと かんにんと しんぼをと この五ツを
わすれんよをに(してくだされませ)」などと素朴に語っています。「むかしばなし」も自分の人生を回想して教えを説いています。参考文献「井出因子J(ウィキベディア)も収録されています。

posted by セリブン at 16:40| Comment(0) | 芹沢文学読書会 大分