seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良文学愛好会

2015年09月15日

芹沢文学読書会 6月

芹沢文学読書会

案内通信
No. 114 

2015年6月29日 
(平成27年)

6月便り 
- 田圃には 燕 飛び交う  朝散歩   松林庵主人一

田植えが終わり、梅雨の晴れ間に蒲団を干し、茂った雑草を苅り取ったりしています。会員の皆さんはお元気にお過ごしのことと思います。梅雨が明けたら、また暑い夏の日々となりますが、芹沢文学を読み続けていきたいと思います。大分県立図書館の読書会へ奮って御参加下さい。
 この会報の「芹沢文学案内No.70Jで紹介し、同封資料としても収録していますように、『芹沢光治良戦中戦後日記』が勉誠出版から刊行されました。前回に必用な人に、注文して取寄せた本をお分けしました。その後、お読みになりましたか。今回から3回で、この『芹沢光治良戦中戦後日記』を読み語ることにしました。部分的にしか読めませんが、既に一度読んだ方でも、他の人と一緒に読むことで、様々な所感や解読を聞くことが出来ると思います。特に、戦中から戦後の困難な時代に、芹沢先生がどのように耐えて生き抜かれたか、直接的な「日記」で知ることが出来るのは、様々なことを学ぶことが出来ることと思います。都合をつけて御参加下さい。

御無沙汰している方も暑い夏ですが、どうぞお出掛け下さい。新会員の入会も歓迎します。

第114回・芹沢文学読書会 


@日時;7月12日(日)午前10時~12時 [*原則的には第2日曜日の午前です〕

A会場;大分県立図書館研修室No6[*今回は研修室No6ですので注意〕

B内容;(I)芹沢文学に関する話題や情報10:00~10:15am 

     [II]芹沢文学読書会 10:15~12:00am 司会担当小串信正

Oテキスト 日記集『芹沢光治良戦中戦後日記](勉誠出版)

2015年3月23日発行 1~176頁  以後、全3回で読み語ります。

昭和十六(一九四一)年一月二十二日~昭和十八(一九四三)年十二月二十六日

([解説]不撓のユマニスト一一芹沢光治良の戦中戦後   勝呂奏)

出典・初刊/新刊書『芹沢光治良戦中戦後日記』勉誠出版発行

*この本は会場で求められます。3000円でお分けします。お求め下さい
=次回は、9月13日(日)午前の予定です。予定に入れて御参加下さい。

。同封資料;@新刊書『芹沢光治良戦中戦後日記』の表紙勉誠出版2015年3月23日発行。

A書評「芹沢光治良戦中戦後日記いい小説を書くことが命の証しJ評・美術家横尾忠則朝日新聞2015年(平成27年)5月24日(日)。
B新聞記事「芹沢光治良戦中戦後日記初公開 平和希求苦悩の文学者明日から沼津の記念館j
  平成27年(2015年)6月15日(月曜日)  静岡新聞夕刊。
C新聞記事 
「ファッションから見た芹沢光治良滞仏中ベレー帽や渡欧時にパーマ四女の岡玲子さんが紹介沼津芹沢文学愛好会月例会50回特別記念例会J平成27(2015)年6月16日(火)沼津朝日。*~Cは、 芹沢光治良記念館の仁王一成館長からお送りいただきました。[資料提供/沼津市芹沢光治良記念館]

芹沢文学・大分友の会

連絡先:小串信正方  メール

郵便振替口座01970-5-16072/芹沢文学・大分友の会


芹沢文学・大分友の会
会報No.113

ふじ

平成27(2 0 1 5)年6月29日 

編集・文責小串信正

第113回・芹沢文学読書会の報告 於大分県立図書館・研修室No.5


大分県立図書館の研修室No.5で、5月17臼(日)の午前10時から第113回の「芹沢文学読書会Jを開きました。芹沢文学の最近の活動や動静を小串が報告しました。まず、勉誠出版から3月23日に発行された『芹沢光治良戦中戦後日記』を紹介しました。一括して注文したものを、必要な方にお分けしました。各自で読んでも良いのですが、この読書会で3回ぐらいに亘って、部分的にしか読めませんが、長編小説を何回かで読んだように、読み語りたいと提案しました。鈴木吉維氏、渡部芳紀先生の新聞コラムも紹介しました。会報No.113の同封資料とした沼津市芹沢光治良記念館の英語案内のことも話題にしました。

読書会としては、新潮社版『芹沢光治良文学館1l~(エッセイ文学と人生)の随筆集「自己を語るJの3随筆「捨て犬」「浅間山に向かつて」「早春に遠き人を想う」を読み語りました。「捨て犬」 には芹沢先生が、生きものを飼うことが嫌いであると書かれていて、この考えは三浦梅園先生が父親の行状に同じことを書いていること。「浅間山に向かってJには中軽井沢の山荘でスイスの高原療養所の闘病を回想し、病気になったので、作家になれたこと。「早春に遠き人を想うJにはソルボンヌ大学の学友メルシェ君やシミアン博士などが回想されています。読書会へ卸参加下さい。

。戦後70年 連載企画展  光治良と戦争展ー早く戦争が終りますように。沼津市芹沢光治良記念館

*第1回2015年6月16日(火) 〜11月1日(日) 9:00〜16:30毎週月曜日・年末年始は休館* 

芹沢光治良記念館では、今年度の戦後70年連動企画展として「光治良と戦争展Jの第l回が、6月16日(火)から始められています。大分からは遠いですが、機会がありましたらお出掛け下さい。夏休みも開催されますので、御家族でも旅行コースに入れて企画展を見学することもお勧めします。小冊子の「図録J(仁王一成監修・叙持直樹執筆)も作成されています。戦中・戦後日記(疎開前の日記2冊、「疎開日記」「疎開日誌J計3冊、戦後の断続的な日誌)が 展示されています。「戦時下の日本と光治良Jr太平洋戦争へJ r疎開生活Jなども展示。 

【芹沢文学案内No.70]日記集『芹沢光治良戦中戦後日記』

*芹沢光治良作平成27(2015)年3月23日勉誠出版発行。551頁、定価本体3200円十税* 作家・芹沢光治良氏は生前に多くの日記(日誌)も書きました。太平洋戦争で中野区小滝町(現東中野)の邸宅が戦災で焼失して、昭和20年5月30日の『疎開日記』に「十年つけた日誌を焼いたことが最も残念だJと書かれているように、多くは焼失されたようです。

しかし、昭和16年から昭和23年までの日記(日誌)が残存していて、戦後70年を期して公開されることになり、勉誠出版から、この3月23日に発行されました。551頁もの貴重な日記が公開されたことは、芹沢文学の愛読者だけでなく、この激動の時代の真撃な作家の肉声
としての貴重な記録であると評価されます。芹沢文学の研究者としては、この間に創作された作品の解明や批評のための最も直接的な資料と言えます。また、大河小説『人間の運命』の背景であり、芹沢文学全体の文学精神や創作志向の研究のための源泉とも言えます。

内容は、目次によると、「昭和十六(一九四一)」「昭和十七(一九四二) 」「昭和十八(一九四 三)」「昭和十九(一九四四)」 「昭和二十(一九四五) 疎開日記疎開日誌J」昭和二十一(一九 四六)Jr昭和二十二(一九四七)」「昭和二十三(一九四八)」「解説 不撲のユマニスト一一芹
沢光治良の戦中戦後勝目奏Jで構成されています。書庖で注文すれば、入手出来ますので、購入して一読・精読されますことをお勧めします。,文体が平明で大変読み易いです。

posted by セリブン at 08:21| Comment(0) | 芹沢文学読書会 大分

2015年09月11日

芹沢文学読書会 案内通信 No115

芹沢文学読書会

案内通信
No. 1 1 5 

2015年9月3日(木) 
(平成27年)

9月便り 

-台風が去りて 稲穂に 秋の風一   松林庵主人

暑い夏も、台風15号が通り過ぎて、幾分か秋の気配が感じられますが、お元気にお過ごしのことと思います。案内が少し遅くなり、9月便りJになってしまいました。

実は、7月にパソコンが故障してしまい、データが取り出せずに失われました。芹沢文学読書会の会報をワープロからパソコンで作成するようになり、やっと形式を苦労して作ったのに、また新しいパソコンでーから作り直さねばならなくなりました。色々と作成し直すものもあり、この会報の作成が遅くなったのです。芹沢文学関係、のものも、USBフラッシュメモリ一等に保守していなくて、多くのデータが一気に失われてしまいました。

芹沢文学研究会は第115回にもなりました、今回から19年目の歩みになります。熱心な会員に支えられて継続しています。何とか頑張って続けていきたいと思います。今年は戦後70年で、芹沢先生の『芹沢光治良戦中戦後日記』も刊行されました。この日記を読んで、作家・芹沢光治良先生が戦争をいかに耐え忍んだかを知りたいと思います。どうぞ、都合をつけて読書会へお出かけ下さい。新しい入会者や参加者も歓迎します。



第115回   芹沢文学読書会


@日時;9月1 3日(日) 午前10時〜12時(*原則的には第2日曜日午前〕

A会場;大分県立図書館研修室No.6(*今回も研修室No6てすので注意〕

B内容;(I)芹沢文学に関する話題や情報10:00〜10:15 am 
     (II)芹沢文学読書会10:15"-'12:00 am 司会担当小串信正
      0テキスト 日記集『芹沢光治良戦中戦後日記~(勉誠出版)

       2015年3月23日発行 177〜361頁 *全3回で読みます。

      昭和十九(一九四四)年一月三十一日~昭和二十(一九四五)年六月十日
      出典・初刊/新刊書『芹沢光治良戦中戦後日記』 勉誠出版発行

     *この本は、書店からの注文で入手出来ます。

=次回は、11月8日(日)午前の予定です。予定していて御参加下さい=

。同封資料;随筆「今もって信じられなし宮古」芹沢光治良。日本経済新聞昭和54年(1979年) 9月9日「文化」*芹沢先生が、昭和26(1951)年のスイスのローザンヌ世界ペン大会、昭和34(1959)の西独のフランクフルト世界ベン大会、昭和37 (1962)のソ連招待に参 加してのそれぞれの帰路にフランスのパリに滞在した時の体験の回想を日経に書いたもの。原版のコピーが悪いので読みにくいですが同封します。[資料提供/鈴木春雄氏]

芹沢文学・大分友の会  メール

郵便振替口座01970-5-16072/芹沢文学・大分友の会


会報No.114 

ふじ

平成27(2015)年9月3日(木) 

編集・文責小串信正

芹沢文学・大分友の会

*第11 4回・芹沢文学読書会の報告 於大分県立図書館・研修室No6

第114回の芹沢文学読書会を7月12日(日)の午前10時から大分県立図書館の研修室No.6で聞きました。『芹沢光治良戦中戦後日記』が勉誠出版から刊行されましたが、戦後70 年に連動した企画展「光治良と戦争展」が沼津市芹沢光治良記念館で開催されていることを再度紹介しました。大分からは遠いので中々見学に行けませんが、記念館の今年度の企画展で第l回と第2回で開催されます。読書会としては、日記集『芹沢光治良戦中戦後日記』をテキストにして、全3回で読み語ることにしました。日記は昭和16年1月22日
から書き始められたものです。「日記はほんの物覚えに書いておけばよかろう。毎日つけてみるに限る。毎日つけてみよう。」と書き始められています。読書キ創作を中心に家族の事から人々との交流、そして政治経済や戦争のことなども率直に書かれています。12月8日の真珠湾攻撃と日米開戦の日には、「記念の日」とのみしか書かれていません。国民は熱狂していましたが、「とうとうアメリカとの戦争が始められてしまった。これから大変なことになるJという心境が読み取れます。この時期は、『孤絶』『離愁』の結核闘病期の自伝的な三部作を書き続け、中央公論に『巴里に死す』を書きました。書斎に集った学生達が次々に出征して行きます。夫婦喧嘩や名古屋の岳父のことなども隠さずに書かれています。

・芹沢文子さんが7月17日に御逝去されました(81歳〕 

芹沢光治良先生の三女で、声楽家(元東京音楽大学教授)の芹沢文子さんが、7月17日午後8時15分に、肺癌で〔注/インターネットによる〕御逝去されました。20日午前に告別式が ありました。当日の様子は分かりませんが、御冥福をお祈りいたします。晩年の御両親を
お世話し、看取りました。芹沢文学の愛読者と親しく交流しましたが、本会や芹沢文学研究会の会報もお送りして活動を報告して来ました。文筆の才もあり、お母様の一周忌には『芹沢金江』を編集刊行しました。また自伝的小説『天の愛』を創作出版しました。

【芹沢文学案内No.71】追悼集『芹沢金江』一周忌の昭和58年2月4日に発行

作家・芹沢光治良先生の金江夫人は、昭和57年2月4日に81歳で逝去されました。舌癌でしたが、癌と闘病し、松本滋先生の導きで天理教に帰依し、最期は安らかにお亡くなりになりました。三女の文子さんが中心になって、姉妹や孫にも寄稿してもらい、一周忌に追悼集『芹沢金江母の霊前に捧ぐー』を編集して出版しました。芹沢先生には、題字「芹沢金江jを書いてもらうだけにしています。巻頭には「芹沢金江アノレパムJに9枚の写真を収録し、「芹沢金江系譜J、松本滋先生の「告別謀詞Jr五十日祭祭文j、「思い出の中の 母の一生(芹沢文子)J、「やさしかった私たちのおばあちゃん(岡寿里、野沢裕子、プラデイツプ・クマール・ラロイヤ、ラロイヤ尚子)J ,rおばあちゃんからの手紙J、「思い出尽きない母 (岡玲子、岡照、野沢朝子、野沢孝、芹沢文子)J、「あとがきJが集録されています。 作家の妻として、また4人の娘を立派に育て、孫にも恵まれた幸福な一生であったことが知られます。「ブルジョアj、『巴里に死す』や大河小説『人間の運命』に書かれた作家の妻の女性は創作で、あったことも知られます。この本は個人的な追悼集ですが、御紹介しました。

posted by セリブン at 11:26| Comment(0) | 芹沢文学読書会 大分