我入道の集いに行って来ました。
今回のテキストは、短編小説7『黒い網』です。探偵小説雑誌「新青年」昭和7年1月号に載ったものです。
今回も名古屋のみならず、長野、千葉と様々なところから集まりました。
特に、地元の方の参加もいらっしゃいました。
ほぼ一年ぶりに会ったGさんは、iPadの使い手になっていました。
さて、今回の芹沢光治良先生の作品。
私なりの感想を書きたいと思います。
主人公フランチェスコの「目」に関する表記が、2回出てきます。
p10 上1行
あごひげも前にはなかった。目も鋭くはなかった。
p1416行
足取りが余りスマートではあるが、その鋭い目は、美男子の多いイタリーの男の優しい目とは、違って、一度見たら忘れられない。
一回目の表現は、思想犯ゆえの留置場暮らしが、過酷なものゆえの鋭い目になったのかと思わされた。
ところが、二回目の鋭い目は、三段落の途中で、わざわざ2行あけで大きな場面を展開している。
アルノ河畔の観光地にフランス語を話すあごひげの紳士が、登場してきます。
平和始まる映画のようなシーンとフランス語を話すあごひげの紳士の目の鋭さが、本質的に違ってきたと私達読者は、気づかせる。
バラピチニ夫人の息子フランチェスコ は、思想犯として、自分の正義を貫く闘志ではなくなってしまいました。フランソア アルマンになりすまし、テロの計画を万遍なくなくたて、ミラノの博覧会の開会式で多くの死傷者を出しても、ムッソリーニ暗殺の失敗に嘆くテロリストに成り下がりました。
冷たい目を持つようになりました。
この正義を貫くために持った鋭い目とテロリストに成り下がったものが、持つ鋭い目の違いに気づかせる芹沢光治良先生の描写は、さすがだと思いました。
主人公の フランチェスコになったら、どうするかという問いかけがありました。
私は、フランチェスコのようには、絶対出来ません。
また、ファシズムの恐れについて意見が出ました。
ファシズムの定義は、これだというものはありません。
仮に個人の安全や生活を脅かすものや、自由に考えて表明する権利を排除する考えと行動だろう。
結局現行憲法を否定するもの、不自由を強制するもの。そのためには、歴史では、暴力装置が必要だった。しかし、日本では、暴力装置でなく、お金かもしれない。
お金が、暴力装置の役割をしているかも。
憲法のおさらい
基本的人権尊重主義
自由主義
福祉主義
平等主義
平和主義
権力分立制
民主主義(国民主権主義)
法の支配
ここで、ふと東京電力等の会社が、やっている政治献金の問題、原発賛成のやらせの問題、
交付金の問題など、目に見える直接の暴力装置を使わないで
一方的に原発安全という誤った選択肢を持たされてしまう。
日本は、どうなるか?
大江健三郎さんが呼びかけた「さようなら原発集会」にも参加された方がいました。
こういう意思表明は、改めて必要だと思いました。
というような事を考えた一日でした。