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2008年6月29日 愛好会月例会

今日は、芹沢光治良文学愛好会の月例会でした。

今月のテキストは

短編小説「白い子犬と頸飾」&「聖女像」 
コピー資料として配布した4月のテキストの長編小説「青空日誌」の295-321頁であります。

「白い子犬と頸飾」


 この前のマグノリアの講演会「芹沢光治良とカトリシズム」の講演を聞いて、芹沢光治良について考えていることがあります。
 それは、講師の神谷光信氏が書かれた 『須賀敦子と9人のレリギオ』ーカトリシズムと昭和の精神史ーという本で、 なぜ9人のレリギオに芹沢光治良が選ばれたかということです。
 レリギオというのは、日本語で「敬虔さ」という意味です。芹沢光治良は、「物言わぬ神の意志に言葉を与えるものである」 という精神で文学を書き上げました。作家 (エクリバン)という物の見方ー島崎藤村が芹沢先生に語った言葉を思い出します。 「文明国の知識人、とりわけ作家は、その国の政治情勢がどう変わろうとも人類の平和を求め、理想の実現に努めなければならない」である。
 この様な作家精神で一生を貫いた芹沢先生は、まさしくレリギオであると言われます。


  ところで、レリギオである芹沢光治良の作品を「物言わぬ神の意志に言葉を与えるものである」という見方で読まなくてはいけないと思い、 今月のテキストを読みました。
 この作品の何処に神の意志というものがあるか、考えました。「白い子犬と首飾り」では、どこに神の意志があるか?


 この物語では、P302 5行目「ここまで書いて、これが夢だったと告げるのは、読者を侮辱することに・・・・」と書かれています。 ここに神の意思を感じます。

 この短篇では白い子犬が首飾りと共にマルト譲に届かなかったということです。白い子犬は届かなかった方が良かったのです。
 それは、P305 8行目「それまでどうしても口にしなかった生の馬肉を喜んでとった。マルト譲は、悲しみよりも健康になっていた。 なろうとしていた。だから生の馬肉を食べたと思いますが、マルト譲はマリアンヌが私の身代わりになったと思い、 何とか生をまっとうしようとした。


 もし、首飾りを持った犬があらわれるとします。マリアンヌと名付けられた犬が、結核をもらっていて白い雪に赤い血を吐いていた姿をみたら、 マルト譲は、励まされるといえるでしょうか?また、仮にマリアンヌという犬がなくなり、私の身代わりになったと思うことが出来るでしょうか?
 犬が表れなかったという意味がなかなか深いものがあると思います。
 

 そして、最後の部分で夢を見て首飾りが見つかったと手紙を書き、その内容が白い犬が不用でありますように幸せな生活を連想させます。
 

 次に、死という事を取り上げています。
 P304最後の行 可哀想なマルト、あたしのマリアンヌと呼べば尾を振ります。
 

 これは、本当に悲しい手紙です。自分の死を意識して、意識するというよりは、自分がこの世になく、かわいい白い犬の名前を友だちに 「マリアンヌ」と読んでもらう。
 

 戦争が拡大化してなく、命について、軽い風潮、特に死んで行くことにカッコ良さを求める(日本の場合この風潮が強いですね。) 風潮に警告を鳴らしていると思います。
 

 死についてふと考えさせるものだと思います。


 聖女像


 「物言わぬ神の意志に言葉を与えるものである」
  神の意志は、なんだろうか?P320ローザの手紙「あなたは幸福な方です。 あなたの御主人はスペイン一の美人の誘惑にもまけません」が妻に届いたいうことです。これではないか、と思いサーと寒くなりました。 誘惑したという手紙を誘惑した相手の妻に手紙を出すという行為。神の意志は、未熟な私には、怖いものだと思います。

 

 P321 2行 旧教のあまりに盛んなために、離婚が許されず、それを未然に防ごうとして結婚前に、 あんなに毎日慎重に散歩して、これでこそ一生を添い遂げられる確信が出来てから、結婚する人々の賢明さを。

 芹沢光治良がプロテスタントではなくカトリシズムに近いという事が疑問に思っていました。 今のT教ではなく芹沢氏が影響を受けたT教、明治に親様が亡くなったあとのT教は、親様の歩いた軌跡を信者に経験させようとして、 今から見ると、親様の教えが教団を通してゆがめられ非常に苦労しました。教会が神と信者の間に入ってしまっています。
 

 それでは芹沢光治良がなぜここまでカトリックに近づいたのだろうか?

 芹沢光治良がキリスト教を意識したのは、進学しないように当時の天理教団からしつように指導(?)されながらも、 結局一高に入学した頃のようです。一高に入学出来た時は、「頭上におおいかぶさっていた、肋膜炎、神、信仰、俄悔などという暗雲が、 一度にはれあがったような気がした。」(暗雲はれる -「神の死と宮と」)のであった。

 世界史で習ったプロテスタントとカトリシズムの違いは、聖書中心主義か教会の活動かの違いです。 天理教を通してあれほど教会を嫌った芹沢光治良が、なぜにカトリシズムに近ずくのか疑問に思いました。

 カトリックへの言及は、


 梶川敦子氏よれば、梶川氏がプロテスタントからカトリックに改宗したとき、「よかった、本当に良かった。僕も、 ほんとうはカトリックになりたかったのです」としみじみと言ったという(『芹沢光治良の世界』青弓社、二〇〇〇年)また、 「何かの信仰があるか、強いて質かれれば、カトリックの信者だと、答えるかも知れません」「独り静かに己を省み、想う時には、 やはりカトリック信者だと、頷くことがあるのです」(『大自然の夢』新潮社、一九九二年)とある。

 状況証拠的なものしかなく、作品ぼ中にカトリックへの言及はどういうものか、と思っていた所、この作品にそれがありました。
 

 P321 2行 旧教のあまりに盛んなために、離婚が許されず、それを未然に防ごうとして結婚前に、 あんなに毎日慎重に散歩して、これでこそ一生を添い遂げられる確信が出来てから、結婚する人々の賢明さを。


 カトリズムを評価しているということで神谷氏にふれてなかった文学作品の中でのカトリシズムへの肯定的な評価があって興味深かったです。
 『聖少女』は初出はハッキリしないのですが、昭和の初めである昭和6年らしいと聞きました。従って、 巴里でのカトリックの出逢いは大きなものだと思います。しれで作品でこの様に欠かれていると思います。

 

 ところで、話題になったことにローザがなぜ聖少女かという意見がありました。これは、 秋葉原で事件を起こしたK某という犯人の事を思い出しました。彼は社会に仕返しをするため、両親のせいだとか、自分がこうなったのは、 周りにあるという事を取調官相手に話していると報道されました。人のせいにする、社会のせいにするという対局にあるのが「感謝して生きる」 ということだと思います。

P317 3行目 その明るい幸福を、アトリエにまき散らすかわりに、 心のうつす鏡でごす。私はローザの目の中を見詰めて、ローザの心に湧いた感謝と愛とを、よくくみとりました。
 7行目 愛と感謝を口に出さずに、それによって精神を磨こうとしているローザは、私の書面に輝いた聖少女となって表れます。
 P318 「オオ、私は幸福です。幸福です、幸福」
 
 
 

この時のローザはまさしく聖少女像ではないでしょうか?

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