芹沢先生は、モーツアルトの結婚を一つの例えとして先生なりの女性観を問うています。実証主義の先生ですから、 モーツアルトの生涯にふれながら、論を進めていきます。
フランス留学中の「フィガロ」か「カンディド」の挿話から「話」はいきなり、9歳の頃の天才モーツアルト少年を描写します。 社交界に夫人方のやりとりを「愛するものでなければ、本当に作者の心をくみとってくれないというのが、 あらゆる芸術を鑑賞する場合の心理である」と芹沢先生の芸術感を織り交ぜながら、モーツアルトの持つ事にいたった「恋愛」について、
こんな天才は、結婚しないのが本人のためためである。
と結論づけます。
現実にこのようなモーツアルトは結婚するわけですが、その結婚することにいたった事を、その生育過程、 特に父親との関係を取り上げています。モーツァルトと父親については、さまざまな論考があると思いますが、 父親との関係でモーツァルトが結婚に至った過程をわかりやすく書かれています。モーツァルトがザルツブルグに戻りたくなかったのは、 ザルツブルク大司教だけではなく、父親にも原因があるわけです。
才能がある若者がウイーンで挑戦していくその心持ちはよくわかります。ウイーンで結婚したモーツァルトはチャレンジしていきます。 後生から見ると、コンスタンツェが悪妻だったと良く耳にします。しかし、芹沢先生は、 温泉に養生し金策に走るモーツァルトの姿が浮かんできます。 コンスタンツェが温泉に行かなければならない原因がモーツァルトとの生活の中から生まれてきたのかも知れません。 金策に走り回るモーツァルトは、その時に出来るコンスタンツェのために最善のことと重い、借金を重ねたのだと思います。
芹沢先生がモーツァルトの結婚について、コンスタンツェを悪妻と見ないで、
コンスタンツェは、原始的な夫人で、教養はなかったが、素直な精神をもっていた。ひいでた、道徳も、高い感覚も、真の宗教心も、 多様な進展への衝動も知らない凡俗の夫人であった。劇場人の娘でありながら、モーツアルトの妻として十年間生活をともにしながら、 からの高い指命も、彼の世界の大きさも、理解できなかった。そして、彼とともに自分の成長をはかろうとはしなかった。 モーツァルトをただ自分を愛して、金を儲けてくれる一人の男としか考えなかった。
結婚について日頃の作家芹沢光治良の考えが出ています。結婚生活をおくるために彼の何を理解、何をしなければいけないか、 このエッセイを読んでよく理解できます。
若い女性は、結婚についてはなかなか避けて通ることが出来ません。不安と幸せの狭間でいろいろ考えていると思います。
その中での、人気女性歌手「幸田來未」の発言はいただけません。
ラジオ『オールナイトニッポン』の番組の冒頭、倖田さんのマネージャーが結婚したこと、そのマネージャーと「いつ子供つくるの? 」といった話をしたことを話題にするなかで、
「やっぱ、35(歳)ぐらいまわると、お母さんの羊水が腐ってくるんですね(笑)なので、ちゃう、ホントに! いや、 例えば汚れてくるんですよね。だから、できれば35歳ぐらいまでに子供を作って欲しいなって話をしてたんですけど」
と述べた。
今、結婚を考えている人達、子に恵まれ、喜びと不安の中にいる人達にとって、これは誠にひどい発言ですね。
私は、「幸田來未」なるものは、詳しくはありませんけど、彼女の発言は、これこそイジメの典型的なパターンですね。ここから、 イジメが始まる。
それがわからない、ラジオの番組に出演された、「幸田來未」は、テレビのバラエティ番組ではイジメを「笑い」をネタにしますが、 「幸田來未」は「「幸せ」をネタにしている。
「羊水が腐っていると言われたらどんなに嫌な気持ちになるか」「他人が、自分の羊水が汚れているというこになったら、 どういう思いをするだろうか」という「他人の痛み」について鈍感なのではない。マネージャー氏は、35歳以上ではない。 マネージャー氏は傷つかないから、あえてマネージャー氏のために気を使っているのだ。私達は、「35歳以上じゃないからね。 早く子供を産むのよ」というノリか。「幸田來未」なりのおもいやりなのだ。
であるから、問題は、リアリティーの欠如や、想像力の欠如ではない。
「幸田來未」は小学生からも人気があるスターだが、その考え方は、小学生なみなのかもしれない。彼女は、 放送でも自分と目の前の人にしか、注意が回らないらしい。極めて本音で話したのだろう。
話がそれたようですが、結婚で幸福であるけど、不安を感じてしるかもしれない人、芹沢光治良の『結婚』を読んで下さい。
幸せを感じますよ。江國香織氏も読んでいます。
コメント (1)
ちょっと待ってェという感じで反応させていただきます。私が介入する事は、この場合、祖父、芹沢光治良に反発する結果になるかもしれませんが、モーツァルト夫人であったコンスタンスは、本来は姉貴に恋慕していたモーツァルトと結婚した後、何人もの子供を失った上に、天才と崇めていたいたダンナも亡くしてしまった後に、結婚に対して大反対であったナンネルと教育パパでもあったレオポルドといった過程があったザルツブルグに移住して、モーツァルトの銅像建造に奔走したり、今でも有名なMozart Kugeln標章のチョコレート等の、ザルツの土産物品を開発したり、モーツァルト顕彰に関しては、最期まで頑張った凄い女性と、私は学びました。その意味ではコンスタンスこそ、「愛するものでなければ、本当に作者の心をくみとってくれないというのが、あらゆる芸術を鑑賞する場合の心理である」を体現していたのではないでしょうか。モーツァルトがザルツブルグに戻らなかったのは、結婚に反対した父親への返答ではなっかたか?
当時の、ウィーンでの埋葬は、女性が墓地まで行けなかった慣習にも関係して、ですから無名墓地に大多数一緒に放り出されてしまったモーツァルトの頭蓋骨を捜しだす為には、毒殺した本人とも、ある史実には残っているサリエリの助力も得たそうですね、これは私、愛した者に対する怨念として受け止めました。少なくとも宮廷シリーズ6曲、ウィーンシリーズ6曲、三大ソナタと言われるピアノとヴァイオリンのソナタ15曲を必死に勉強した私が得た、作曲家の背景であります。そして今は、何故モーツァルトがフリーメーソンと交わって、晩年に「魔笛」を作曲するに至ったか理解しようとしています。ええと、魔笛公演に際しては、コンスタンスのみならず、かつて思慕していた義姉も「夜の女王」として歌っていたのではなかったかしら?
投稿者: 野沢 | 2008年02月04日 05:52
日時: 2008年02月04日 05:52