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2007年11月例会

 最近よく聞く言葉にKYがあります。意味わかりますか?「空気を読めない」という意味です。「空気を読めない」者は、 浮かび上がってきますね。いじめの対象になってしまいます。学校の現場では、いじめの問題は大きな問題です。この量の多さは、 もしかしたら日本人の持つ文化というのか、少なくとも日本人固有のものの考え方にはKYというものがあると考えてしまいます。

 最近では、若者の個人主義の行き過ぎを耳にする日本であります。 KYという基準がまだまだある日本でかつ個人主義が確定されていない現代日本では、個人主義の行き過ぎを戻すとそのまま、 戦前の様子を呈するようになるのではないでしょうか?

 戦前のKYの世界では、KYがある意味極端にいったのではないか。後でふれる父親の発言に代表されるもの、戦場に立つ自分の若者に 「生きて帰ってくるな」という建前論を言わなくてはならない世界に戻るのではないか。

 もう一度、考えるとお父さんが、東京で有意義に生活出来るようになったのは、Not KY(空気を読める) だからと思います。 空気を読みながら有利な位置に着くと言うことではありません。KYの裏返しだと思います。自然と空気を読んでいたのですね。お父さんは。 その世相の流れにお母さんと共に Not KY の生き方をしていたと思います。周りの人も、Not KY ですから、 ある意味得意の絶頂になっている。お国のために」町の中で、「お国のために」防護団として有意義に動く。「わしは、 あれが戦死するように神様にお願いしているのだよ・・・」(P311 下の段)娘も深い父の愛がまだくめなかったと書かれている。

 こんな極端な事を言っている人がメルバのアベマリアを聴いて、本当の人間の本質をふと思い出させている。ちゃぶ台(P313) 「母は葡萄を盛ったお皿を前に、両手を膝に置いて」と書かれています。小さいちゃぶ台この姿が人間の本質を表している。「生きて帰って来い」 と言葉で話す事は、ありません。しかしその姿を願っている。

 KYですけど、あるテレビ曲が社員を募集していますが、その条件に「空気を読める」という言葉を出しているのはどういうことか? マスコミゆえに空気を読んで先に立ち働くのが必要なのだろうか。

 17日の記事では、CDについてふれました。私がその時に紹介したCDは、EMICLASSICS (LC06646)の Nellie Melba  Opera Arias And  Songs には、 Bach-Gounod のAve Mariaが入っています。W.H.Squre(Cello)の伴奏もついています。ところが、  Nellie Melba の Bach-Gounod のAve Mariaは、もう一つ録音があることがわかりました。これは、 ヴァイオリンが入ったもので、ヴァイオリンはラファエル・クーベリックのお父さんであるヤン・クーベリックであります。 先にヴァイオリンが一通り旋律を弾き終わってからメルバのソプラノが始まる。(Victrola 89073)  どちらの録音がその時聞かれたものか、わかりませんが、家族そろって再生される演奏を家族3人耳を傾け、涙を流す。美しいと思います。

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2007年11月19日 06:55に投稿されたエントリーのページです。

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