本日は、月例会です。私の読後感をアップします。
今月の愛好会のテキストは、 短編小説 「若葉」 (新女苑 昭和14年6月号 (第3巻・
第6号) 実業之日本社)である。
この小説の梗概は最も手短に書くと、「女学校四年生のくめ子の叔父玉雄は、戦争で失明したが、その運命を受け入れて、
東京の失明軍人寮に行く」である。
この小説を読んで、興味深いものが二つあった。一つはこの失明軍人寮に入寮している人達が明るいという事だ。そこの部分を抜け出してみる。
(P118 終わり2行 )
「大木か、よく来たなあ。自分と同室がよかろうと思って、決めてあるぞ」と、玉雄の前に火鉢を運んだり、目の開いた人のやうに、
いろいろ世話をしてくれた。
「ここへ移ってから、二つの目の代わりに、身体中が目になったように、勘がよくなった」
さう鈴木伍長は元気に笑ひ、隣室の方へと、大きい声をかけて呼んだが、間もなく、同じような失明軍人が縁側を伝って愉快そうに笑った。
どの失明軍人も、屈託無いように、楽しそうに話していたが、玉雄も戦友のなかにはいったというように安心して、・・・
もう一つは、玉雄が
(P119 5行 )
「自分も生まれ変わった気で、職業教育を受けるつもりで出てきた。出来たら、無線技師になって、もう一度、お国のためご奉公もし、
男一匹として、生きていく覚悟だ」
玉雄が積極的に手に職をつけていこうとする事だ。
戦争で失明という不運を持ち、世に恨みを持って、ひねくれてもおかしくないのに、明るく、 前向きに生きていこうとする玉雄のその姿が特徴である。
この4年後芹沢光治良は、週刊・夫人朝日(昭和18年4月28日号 朝日新聞社)で芹沢氏は、
軍事保護院属宅である福岡やすと対談をしている。題は「英霊を抱いて-靖国の妻を語る-」である。この小説の設定、
戦争の被害で失明したというものとは違うのですが、戦争で夫を失い残された妻、
靖国の妻達が自立するため教育を施す授産所という施設を訪問されて、そこの授産所長である福岡氏との対談です。
この対談で芹沢氏は、
そうですね。私がお訪ねした時も、遺族、特に若い女の方々が集まって、真剣にこれから何か腕に覚えてゆこうと言うんだから、
何か非常に暗い感じがしやしないかと思っていたところ、もう全く遺族という感じじゃございませんね。たいへん朗らかにしていらっしゃって、
その点は驚きました。
戦争で大切な夫を失っても明るく生きているという事を強調されている。
また、この授産所には一年間いて、主人を失った方へ職業教育を施します。芹沢先生はこの対談で、
一つ例を挙げると
専門のもので自身を持たしてあげるという点で、職業を持つ事は、経済的にも嫁がいくらか稼ぐということで、
不満足な姑も我慢するということもありますね。
職業教育の大切さを訴えています。
芹沢先生の特徴である人生を肯定し、技術を持ち自立するという事が端的に表している作品です。
この対談では、靖国の妻という人で健康を損ねている人がいて心配だとに芹沢先生は話されます。
芹沢先生はこの事に対してあんまり靖国の妻という意識が強すぎて、頑張りすぎるんじゃないか、
責任感のために精神的に非常に無理をしているのではないかと問題を投げかけます。
ところがここのところが福岡氏と意見が噛み合ってなく、読んでいる私は少し、福岡氏に対してイライラします。
というのは、芹沢氏のこの指摘は、現代社会では、当たり前のことです。カウンセ【counselor】 臨床心理学などを修め、
個人の各種の悩みや心理的問題について相談に応じ、解決のための援助・助言をする専門家がよく用いる手段です
敗戦前の昭和18年という時代には、それこそ精神力の時代でした。この時代のなかで芹沢氏は、カウンセラー的な見方をされている。
対談の中でも「昼寝をしたいときでも昼寝をしちゃいけないということがきっとあるだろうと思うんです」
と優しい視点と共に忘れてはいけない視点を読者に教えてくれます。
ところでこの小説の忘れてはいけない視点とは何でしょうか。
夏目先生の存在です。P115の5行目です。
一人の若い婦人が叔父に近づき、
「大木先生」(注:失明した玉雄のこと)と声をかけた。
すると叔父は全身を動揺させるようにして、両手をそちらへ出したが、その手も微かに震えていた、婦人はその震える手に、
小さく包んだものをに握らせて・・・
とあります。
玉雄氏は、明るく前向きに生きていますが、若い婦人夏目先生の存在を示して、現実の困難を思い起こします。
玉雄は、失明軍人寮でこのつつみを開けてどう思った事だろう。やはり自分の運命を呪い涙した事だと思う。けれども玉雄は、
だからこそ職業教育を受け、技術を身につけ自律した生き方を求めていったと思う。
芹沢光治良の小説は明るいだけでなく、現実を受け入れ、現実を踏まえて斜に構えるのでなく、現実を踏まえて明るく生きていくという事です。
所謂文壇と言われる日本特有の私小説の手段を用いて、斜(はす)から物事の中心をとらえていく小説手法とはかなり異なっていて、
どうしても文壇に属する人からは受け入れられないことだと思う。