愛好会会員N氏より、今話題のNHK『ラジオ深夜便 こころの時代』で稲垣眞美氏が 「旧制一高にみる文学と思想の青春②」という題で芹沢先生にふれられたと報国がありました。今年の3月21日の事です。
2007.3.21 『ラジオ深夜便 こころの時代』
ちょうど林達夫さんと一緒に大正7年度の文芸部員をした一人に芹沢光治良さんがいました。
芹沢さんは前回にいいました北川三郎さんの沼津中学の1年先輩なんですけれども、 文学の方面に非常に友人に才能を認められて、文芸部員に選ばれて『失恋者の手紙』 という創作を大正7年2月の校友会雑誌270号に書きました。
失恋によって虚無と懐疑に陥った青年の告白を手紙の形で書いていくんですが、 後に文芸部員をした人達の卒業生の文集をまとめた「橄欖樹(かんらんじゅ)」というのが昭和10年に出るのですが、 そこではそういう失恋どころか恋愛の体験もなかったのだけれど、 仮にそういうことになったらということで自分は書いたんだというふうに芹沢さんは回想しています。
ですけれども芹沢さんの後の大きな大河小説『人間の運命』というのがありまして、それを読みますとこの 『失恋者の手紙』が出た校友会雑誌を送った女性という人がいまして、 この女性は芹沢さんと前後してヨーロッパにも留学して芹沢さんとのお互いに思慕し合う関係があったけれども医者の人と結婚した人がおりまして実際に 『失恋者の手紙』に書かれた内容というのは友人の妹さんを対象にした告白なんですけれども、 そのフィクションと後に起こったこととが奇妙に符合するというところで、 芹沢さんと言うのはひょっとしたら非常に予知能力があったのではないだろうか。
失恋の告白の最後に私の告白があなた方が今度の新しい男性との結婚生活ですけれども、 乱すと思われましたら何卒あなた一人のこととして思って下さいと言っています。
わずか二十歳くらいでこれだけのことを書けるという早生といいますか、客観的判断といいますか、 芹沢さんはそういうところで優れていたんだなあと思います。
後に『人間の運命』だけではなく『巴里に死す』では早くにノーベル文学賞の候補にもなりましたし、 『人と神』とのシリーズを90歳過ぎてから芹沢さんは書いています。そこでは例えば庭の梅の木が自分に語りかけるという表現がありまして、 世界の文学者でこういう自然をとらえてそういう表現をした人はいないわけですから、 芹沢さんという人は他の文学者にない特色を出された優れた人であったと今にして思っています。
谷崎潤一郎とか芥川龍之介とはまた違った面、 創作の新しい分野を開いていた新しい想を開いていたということが言えるのではないかと思います。
芹沢さんのすぐその後に翌年の5月校友会雑誌に川端康成さんの「千代」という創作が出てくるんです。……… …
N様、ありがとうございました。芹沢先生の相手の女性に対する気のまわし方は、「忠」、「如」 ですね。優しさと思いやりにふれると思います。
そういえば、今日の東京の月例会のテキストはこころの時代についてです。私は、 出張先から急いで駆けつけるつもりです。今日の月例会ではどのようなご意見が出るか何となく気になります。