seri1.jpg unmei6.jpg 芹沢光治良文学愛好会

2026年01月03日

芹沢文学愛読者短信 No239 2026年1月1日 芹沢文学愛読者の会

あけましておめでとうございます

新しい年を迎えました。今年もどうぞよろし

くお願いたします。

お知らせです

1)昨年末に、芹沢先生の「狭き門より」が再刊行されました。芹沢先生の本がこうして装いも新たにして出版されます事は、読者にとって嬉しい限りです。

2)沼津市芹沢光治良記念館では、企画展「光治良思い出の風景富士山に怒鳴られた~が開催されています (令和8531日まで)

3) 名古屋芹沢文学読書会の皆様のご尽力をい

ただき、今年も陽気の良い時期に集いを持ちたいと思います。決まり次第連絡い

たします。


昨年119日、名古屋芹沢文学読書会に鈴木吉維(よしつな)先生が出席してくださり、神シリーズについてお話しくださいました。聴講された沢田様に、その時のことお願いして書いていただました。


鈴木先生の(神シリーズ)講義を聴いて

沢田昭人(豊田市)

先月(十一月)、芹沢文学の研究者である鈴木吉維先生の名古屋芹沢文学読書会への来訪があり、神シリーズについての講義を受ける機会がありました。

先生の講義形式は通常と異なっていて、講師が一方的に解説するのではなく、質問を投げかけ、受講者にその問題について考えさせ、講師と受講生との間で討論をしていくという形のものでした。

そこで質問というのが三つあって、

()神を信じているか?

(ジャックは実在の人物か?

(神シリーズは事実か

虚構か?

()については、神を信じる人もいればそうでない人もいる。

 芹沢先生は神を信じ切っている。そのよう

な人の作品を私たちはどう受け止めるべきか。

 私は個人的体験から何か不思議な正体のわからない、大きな力によって守られていると感じることができますが、漠然としていて神を信じるに至っていません。

()については、芹沢先生はご自分を実証主義者だと言われています。つまり、何らかの根拠

がない限り、ある事象や現象を信じないとい

う立場をとられています。

 だから神や神秘的な事柄についてどのよう

に認識したら良いかと言うことで、宗教と科

学について深い洞察力を持った人物を登場させて、より深く宗教を理解しようとしたので

はないかと思います。


()については、芹沢先生は、神シリーズは全て親神様の指示に従って

書いたと言われています。私たちは、神シリーズを聖書のように読んでいけば良いのでは

ないかと考えました。

 芹沢先生は、ご自分の長い人生経験を通して、社会の底辺で苦しんで生きている人々

に対して、救いの手を差し伸べるのではなく、彼らと寄り添い、苦しみや楽しみを分かち合って、さらに彼らの生活をより豊かなものにしようと努力されてきた方だと思います。だからこそ、神シリーズは神の立場に立って、多くの

人々のために、尽くしたいと思われたのではないかと思います。

 こうして書いたことが正解なのか、どうかわかりませんが、文学では科学と異なって、正解が立った一つではないと思います。

 考えれば考えるほど、いろいろな答えが出てくるように思います。

 このような機会を与えてくださった鈴木先生に感謝の意を表したいと思います。

posted by セリブン at 21:52| Comment(1) | 芹沢文学愛読者の会 名古屋

2025年12月04日

国際派・芹沢光治良 明治書院


国際派・芹沢光治良
―若き日の渡仏と文業のサムネール
藤澤 全
明治書院

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posted by セリブン at 11:32| Comment(0) | 芹沢光治良関係の本

人物評 「芹沢光治良氏のこと」 遠藤周作

人物評「芹沢光治良氏のこと」遠藤周作 (初出『日本文学全集 19645新潮社「こころの風景なつかしき人々 119961010小学館発行 64~68 1100



芹沢光治良氏のこと


 五年ほど前の冬のことである。その冬、ぼくは巴里にいた。雨の降っている夕方に(町の名も忘れてしまったが)ある人を訪問して、その人の事務所から出て歩道歩きだした時、一人の中年の仏蘭西人につかまった。

「あなたは、日本人ではないでしょうか」

「そうです」

 こちらがそう答えると、人は、おたずねしたいことがあるが宜しいかと言う。

「実は、私はお国の作家、ムッシュー・セリザワの『サムライの後裔」という小説を読んで非常に感動したのだが、他に彼の小説で仏訳か英訳の出ているのを御存知ありませんか?

 彼女にそう言われて、私は首をかしげた。芹沢氏の巴里における出版社はロベール・ラフォンだときいている。しかしロベール・ラフォンに問いあわせろとだけ返事するのはこの婦人に薄情な気がした。日本の小説を愛してくれるこの仏人には日本の作家の端くれとして親切にしてあげるべきであろう。私は紙を出し、文芸手帳をめくって芹沢氏の住所を紙に書いた。

「これが作者の住所です。おそらくあなたが手紙を出されたら、必ず返事を下さるでしょう」

 その婦人はとても嬉しそうに礼を言って去って行った。私も我がことのように嬉しかった。

 「サムライの末裔」「巴里に死す」の仏訳本の題である。私はこれを戦争中によんだ記憶がある。

 芹沢氏の作品に初めて接したのは戦争中、まだ学生の頃だ。新潮社からその頃、昭和名作選集というのが出て、その中には阿部知二氏や芹沢氏の作品がふくまれていた。それから私は氏の作品を少しずつ読みはじめた。そしてその頃は氏は何かきびしい、近よりがたい人のように勝手に想像していたのである。

 私がはじめて芹沢氏にお目にかかったのは自分はやっと小説家になり、「三田文学」の先輩の阿部光子さんにつれられて三宿のお宅に伺った時である。学生時代から氏の作品を読みつづけていた私は、実際にみた芹沢氏と、自分が長い間想像していた氏との間に大きな食い違いがあるような気がした。

 想像の中では芹沢氏は、非常にきびしい顔だちをされた近よりがたい作家だった。

しかし実際にお目にかかった氏はニコニコと笑われ、女性的なくらい優しい声でゆっくりと話される人だった。

 芹沢氏は笑いながら、巴里にいられる令嬢のお話や、一番下のお嬢さまも向うに行きたがって困ります、などと語られていた。このピアノを勉強されている令嬢たちには、後に私も巴里でお目にかかった。

 しかし私はすぐ気がついた。私の空想していた氏と実の氏とは食い違いはないこと、このニコニコと笑いながら、優しく話される氏の内側は古武士のような潔癖さと忍耐心と、それからきびしい精神が存在しているのであって、それは後になって、氏からお手紙を頂いた時、はっきりとわかった。その手紙には、肺ガンの疑いがあったので自分は誰にも言わず耐えていたという一行があったからだ。

 私は氏と同じように仏国に留学し、その仏で胸部疾患に倒れ、その後、帰国して小説家になったという同じような 過程を経てきたためか、氏の作品仏訳までも眼を通してさせて頂いている。芹沢作品集のあと書きも書かせて頂いた。

しかし同じような過程を経ながら、私には芹沢氏のような強い意志、きびしい克己の精神がとてもない。氏の作品を読むたびにこの強い意志ときびしい克己心に慣れのようなものを感じる。

 近頃の芹沢氏はますますお元気のようだ。なども薔薇色でまるで少年のような若々しさを感じさせることがある。今、大河小説にとり組んでいられるそうだが、その完成を待っているのは私たちだけではなく、あの冬の日の歩道で私をつかまえた仏蘭西人のような外国の読書も多いのである。

posted by セリブン at 09:28| Comment(0) | 芹沢光治良と作家